98:おひさしエビね
「そう言えば、こないだどこかで見かけたような気が……あ、尾道でか」
相馬は笑顔を浮かべる。「もしかして雪村じゃないかと思ったんだけど……仕事中だっただろう? 声をかけたら悪いかと思って」
どうしよう。
先ほどのように、咄嗟の出まかせが言えない。
「今日はどうしてここに? それとも、誰かに聞いて来てくれたのか?」
「……偶然よ」
やっとのことで声が出た。
「そうか。そう言えば君も、昔から猫が好きだったもんな。いや、正確には猫みたいに可愛い男の子……かな?」
昔と少しも変わらない笑顔でかつての友人は言う。
「今日は休み? 中に入ってゆっくりして行かないか」
「……悪いんだけど……急いでるから」
「そうか、残念だな」
どうしてこのタイミングで。
北条は何とも言えない気分で階段を降りた。
「雪村!!」
背中に、相馬の声がかぶさってくる。
「この店じゃアルコールが出せないから、もっと他の場所で近い内に飲もう? あ、そうだ。連絡先を教えてくれないか」
何も考えることができなかった。
北条は思わず駆け上がって、相馬の右手をつかんだ。
「……どうしたんだ?」
訊きたいこと、言いたいこと、たくさんあるはずだった。
本人を前にすると、なぜか声が出ない。
迷ったり躊躇したりしないと決めたはずなのに。
いつもの自分らしくもない。
「ああ、そうだ。雪村に訊きたいというか、相談したいことがあってね」
「……何を……?」
相馬の右手をつかむ手に力を込める。しかし。
「よせよ、バイトの子が妙な眼で見てるじゃないか」
やんわりと、確実に相馬は手を振りほどいてしまう。学生時代から彼とは腕力の面で互角だった。
「君は警官なんだから法律のことは詳しいだろう? 店を運営していく上で、いろいろと知っておきたいことがあってね。だからほら、連絡先」
「店長、お電話です~」
アルバイトの女性が彼を呼ぶ。
「折り返すって、伝えて」
相馬はポケットからスマホを取り出した。
何か操作していた彼は、できた、と嬉しそうに言う。
「雪村だって忙しいだろうけど、必ず時間を作るから。頼んだよ?」
※※※※※※※※※
倉橋は単純にハメられただけだ。それも彼自身に何か恨みがあると言うよりは、その友人である藤江周の方がターゲットではないだろうか。
あの2人が親しいのは教場内の誰もが知っている。そして。あの底抜けなお人好しが、友人を庇って行動するであろうことを見越した上での嫌がらせ。
本来なら学生が教官に逆らったり、口応えなど決して許されないはずだが、彼は違う。
正面から堂々と反論して教官の機嫌を損ねてしまう。その報復は……考えるだけで背筋がぞっとする。
勇気と言うよりも無謀。
世渡りが下手で、あまりにも純粋過ぎる。
洗濯物を突っ込み、洗剤を投入しながら上村はそう考えていた。
別に彼のためではないが、こんなことは一刻も早く解決するに限ると思う。
問題のパソコンに触れる機会があったのは、3番デスクを割り当てられた学生に限ったことではない。あの後、学生達による清掃が行われている。
紛失したとされる時間を特定し、アリバイと指紋を調べれば結論は出るはずだ。
この学校内で誰にも気付かれずに、好き勝手に行動することなど、不可能に近いのだから。
洗濯機のスタートボタンを押し、何気なく洗濯室の窓から外を見た時だ。この場所からは学校の正門が見える。
一台の車が止まり、降りてきた人物がいた。
北条に見えた。上村は彼を探していた。
どうやら担当教官はあの聖と顔見知りの様子だった。連絡先を知りたい、とずっとそう思っていたからだ。
上村は部屋を出た。
駆け足で教官室に向かう。すると、
「あら、上村君。そんなに急いでどこへ行くの?」
声をかけてきたのは北条ではなく、副担任の方だった。雨宮冴子教官。
長いまつげに縁取られた褐色の瞳が、油断なくこちらを見張っている。
「北条教官にお話ししたいことがあるからです!!」
そうだ、この際だから例の盗難騒ぎについても話しておこう。
「もしかして例の、盗難事件のこと? 今はやめた方がいいと思うわよ」
ニヤリと面白そうな顔をして女性教官は答える。
「なぜですか?」
「雪村君、今ものすごく機嫌が悪いから……」
そのことも気に入らない。彼女が北条と顔見知りであり、ファーストネームで呼び合うほど親しいことは知っている。だがあまりにも仕事に私情を挟み過ぎではないだろうか。
「そう言う時って何を話しても右から左よ。頭の中は、どうやって腹の立つ相手にギャフンと言わせてやろうかって、そのことだけだから」
上村は女性教官を見つめた。
「では、雨宮教官にお訊ねします」
「私に? 何かしら」
「……今回の盗難事件、本当に倉橋巡査の仕業だと思われますか?」
すると雨宮は一瞬目を丸くし、それから嫣然と微笑みを浮かべる。
「あなたはどう思うの? 上村君」
「自分は、彼が容疑者だとは思いません」
「あら、どうして?」
「ですからそのことを証明するためにも、きちんとした捜査を行う必要があ……」
ぐいっ。
急に腕を引っ張られて上村は驚いた。
相手は女性だというのに何と言う力だろう。
そう言えば彼女は、逮捕術の授業なども担当する肉体派だった。
「ねぇ、ちょっと来て」
「ど、どこへ……?!」
入校したての頃は、笑い話にもならないほどお粗末な筋力だったが半年以上が経過したいま、少しは腕力も上がったと思っていたのに。自分より少し背の高い女性に手をつかまれ引きずられ、それでも抵抗できずにいる自分が情けない。
到着したのは女子寮……それも入ってすぐの場所にある、談話室であった。
基本的にここは男子禁制のはずだが。
そこには同じ教場の仲間である女子学生がほぼ全員、集まっていた。他にも何度か見かけたことのある女子が数名。隣の教場の学生だろう。
「みんな、ちょっといいかしら?」
これは何の嫌がらせだろう? 頭が混乱してきた。文字通り24の瞳が一斉にこちらを見つめる。
「どうしたんですか? 雨宮教官」
「上村君がね、調べたいことがあるそうなの。あなた達も協力してあげて」
いいのだろうか? 心臓がバクバク鳴っている。
「私、雨宮立ち合いの元だから、何も気にしなくていいわよ」
それならば。上村は気付かれないよう深呼吸をしてから、全員を見回す。
「……聞きたいことがある」
躊躇している場合ではない。
「パソコン室のマウス紛失事件について。紛失したとされる前まで、あの部屋を掃除したのは誰か?」
女子学生達は顔を見合わせる。
「それって、確か2日前でしょ? 私達の班が当番で……」
見たことのない顔の女子学生が発言しかけた。すると、
「なぁ、真澄。ホントのところはどうなんだ?」
こちらの質問を遮ったのは、女子学生の間でボスとあだ名されている谷村だった。
「え、何が……?」
「倉橋のことだ。どう思う? 前から皆、知ってたよな」
「そうそう、いつも真澄のこと目で追ってたよね」
「わ、私は別に……」
「いいじゃない、お似合いだと思うよ?!」
「でも、変態っぽくない……? 真澄の使ったあとのマウスを……って」
「えー、そんなのって小学生男子ならたまにやるよ~」
顔を真っ赤にした若狭を取り囲み、女子達は一斉にキャイキャイとはしゃぎ出す。
「こっちの質問に答えてくれ!!」
上村は叫んだが、白い目で見られただけだった。
その後はいわゆる女子トークというやつだろうか。まったく口を挟む余地もない状態になってしまう。
「あきらめなさい」
雨宮はおかしそうに言う。
「上村君はもっと、乙女心を研究した方がいいわね?」
失礼します!! そう言い残して上村はそこを去った。




