92:動く的を狙うのは難しいのよ
警察の人間と聞いて、同僚はひどく怯えていた。
彼女は以前、和泉達が話を聞きに来た時には、確か同席していなかったように思う。
「お聞きしたいのは、御堂さんのところに届いたという黒い葉書のことなんです」
聡介の柔らかい物腰と口調に、彼女は少しだけ緊張を解いたようだった。
「ああ、黒猫のイラストが書いてあったやつですね」
「何て書いてあったか、ご覧になりましたか?」
「いえ、あの……ほら請求明細書みたいに、めくって剥がすタイプだったから中身はわかりませんでした。私が通信物を仕分けして各部署に届ける係だったんですが、その葉書が届くと御堂さん、いつも不機嫌になって。確か3回は届きました。3回目にもなるともう、中身を確かめもしないでシュレッダーにかけていましたよ」
「……そのことで御堂さんと何か、話をしましたか?」
「ええ。4回目にもなると、まるで私が差出主みたいに……怖い顔でどうしてこんなもの送ってくるのかって……私に言われても困るんですけど」
思い出したら腹が立つのか、彼女は表情を歪めた。
無理もない。
御堂久美と言う人は、とにかく物の言い方が厳しかった。
「その場面をちょうど、うちのチームリーダーが見ていて。幸いにも面談の機会を与えてくださったんですよ。その時、彼女が詳しいことを少し話してくれたんです。脅迫状みたいな物が何度も届くんだって」
「脅迫状……?」
聡介は携帯電話を取り出して、何か画像を彼女に見せていた。
「もしかして、こんなデザインでしたか?」
「ああ、そうです。宛名と差出人のところに、黒い猫のイラストが書いてあって。それでいて紙全体が真っ黒だからすごく印象に残っています」
「恐れ入りますが、この中で御堂久美さんと……いえ、大宮桃子さんと親しかった人からお話を聞けませんか?」
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見えない『何か』が確実にジャマをしている。
和泉は苛立ちを覚えていた。
ついでに肉体疲労も。
捜査1課の部屋。自席でのデスクワークにそろそろ飽きたころ、和泉はぐったりとキーボードの上に額をくっつけた。意味をなさない文字列が画面に表示されていることだろう。
今朝、庁舎が開く瞬間を狙って検察に向かった和泉だったが、長門に面会させろと言う要求はにべもなく却下された。元々検察に対して良い印象は抱いていなかったが、ますます悪化した。
いったいどこから手をつけたらいいのか。
1つハードルを飛び越えたかと思ったら、高くて分厚い壁がそびえ立っているようだ。
こんな時、すぐ目の前をのんきにゆるキャラ親父が歩いているのを見ると、無性に腹が立つ。
和泉はボールペンを手にとって長野に狙いを定めた。
「痛っ!!」
ところが。和泉の投げたペンは真っ直ぐ入り口方向に飛んで行き、なぜか狙ったのとは違う人物に当たってしまった。
「……おい、彰彦……」
「そ、聡さんっ?! なんで、こんな時間に……?」
今朝、和泉が出勤した時、父の姿は見えなかった。遅れてくるらしい、と誰かが言っていたような気もするが。
「その前に言うことがあるよな?」
「……ごめんなさい……」
「やーい、彰のバカー!!」
怒り倍増。
と、その時。
「彰ちゃん、いる?」
制服姿の北条が姿を見せた。
そう言えば毎週月曜日には定例会議がある。それに出席するためにやってきたのだろう。
日頃なら『僕の周君は元気ですか?!』と、しばかれるのを覚悟の上で問い訊ねるところだが、今日はそんな元気もない。
それに。
実は未だに少し気にしている。
自分が余計なことをしたせいで、周があのゴリラみたいな教官に酷い目にあわされていないかと。
ここ何日か、周とは連絡すら取れていない。
「……何か?」
「今週の金曜日の夜は、絶対に予定を空けておいて」
なんで?
そう思ったが、この人の命令には逆らうまいと決めている。
「それと。それまでは、勝手に動き回らないで。守さんにもそう言っておいたから」
何か考えているのであろう。
少なからず疲れているのもあり、和泉は素直に承知した。
それじゃ、と出て行こうとする北条に、長野が忍び寄っていく。
「ゆっきー、おはよ~」
尾道の捜査本部が解散して以来、何となく2人の間を流れる空気が気まずいことを知っている和泉は、少しハラハラしながら様子を見ていた。
「のぅのぅ、今日の夜……なんか予定ある?」
「残業の予定がね」
北条は捜査1課長に対し、やはり怒っているようだった。口調ですぐに分かる。
「……ゆっきー、ご機嫌ナナメじゃぁ……」
くすん、と長野はポケットから別のぬいぐるみを取り出す。しかもそれは世羅高原のマスコットキャラクターせらやん、である。
それを手にはめ、ばいばーい、と手を振る。
和泉はぎょっとして辺りを見回した。
「やめろよ、バカ!!」
その神経が信じられない。相手は仮にも上司であるが、思わず『バカ』と言ってしまった。しかし長野は気にしていない様子で、
「え、何が~?」
「そんなもんここで取り出すな!! 空気を読め!!」
ほとんど問題視されなかったし、報道もされなかったが、捜査に関わった刑事達の間では秘かに話題になっている。
被害者が夜中、せらやんの着ぐるみと一緒に歩いていたという目撃証言。
あれはいったい何だったんだろうな? と。
この部屋には尾道での事件に関わった刑事達も出入りする。
「別に、せらやんは何も悪いことしとらん」
急に真剣な顔つきで長野はそう言った。
和泉は何も言い返すことができなかった。
※※※※※※※※※
ビアンカのおかげで思いがけない情報を得た。
あの黒い葉書は複数の人物に送られている。
他にも届いた人間はいるだろうか。その共通点は何だろう?
聡介がジャケットを脱いで椅子の背もたれにかけ、パソコンの電源を入れた時、ふと和泉と目が合った。が、すぐに逸らされた。
いきなりボールペンを投げつけてきたのは、おそらく自分に向かってではなく、長野課長に苛立っていたのだろう。原因は恐らく尾道の事件のことで。
あんな形で捜査本部が解散したことに強く反発するかと思いきや、意外に大人しかったので、何か悪い物でも食べたのかと思ったのだが。
その点は北条も然り、だ。
あの人が何の目的で捜査本部に足を運んで来たのか知らないが、解散を告げられた直後、長野課長に対してひどく怒っているように見えた。
彼らが何を思い、何を調べているのか。
いずれ近い内に情報共有する必要があるだろう。
と、その前に。
聡介はシステムを作動し、過去の事件を検索し始めた。
ビアンカの紹介で、大宮桃子と親しかったという女性から話を聞くことができた。その結果、判明したことがいくらかある。
大宮家は坂町で居酒屋を経営している。
彼女の母親は今から約10年前、閉店後に押し入った強盗によって殺害された。犯人は逃走しておりほぼ迷宮入り確定だ。形式的に捜査は継続されているだろうが。
資料が見つかった。
事件を担当した管轄は海田北署刑事課。
捜査責任者は当時の刑事課長、長野謙真警部。
長野……謙真……?
同姓同名と言うことはあまり考えられない。あの長野課長だろう。
別に何の不思議もないのだが、今の彼しか知らない聡介にしてみれば違和感たっぷり、である。
その事件後、どうにか立ち直った父と娘。娘は昼間、市内にある大企業の支店で働きながら、夜は店を手伝っていた。
そうして娘には恋人ができた。
その出会いからきっかけまでについては、ビアンカの同僚から聞いている。
結婚まで秒読みと言われていたが、事態は思いがけない展開を見せた。横から出てきた他の女性が彼氏を奪って婚約まで漕ぎつけたのだ。
ショックを受けた娘は自ら命を絶った、と聞いた。
その横から出てきた女性というのが、先日、帝釈峡で遺体となって発見された女性……御堂久美その人である。




