90:ダリアの花言葉は移り気、もしくは裏切り
……だそうです。
紫陽花もそうなんですってね。
「気まぐれ」
にゃんこにピッタリ(笑)
リョウの顔が強張ったのを見て、聡介は何か悪いことを言ったのだろうかと不安を覚えた。
「いや、前にほら、どこかのサービスエリアで会っただろう? あの時に、グーで手を振っていたじゃないか。あれは海上自衛官の特徴だって聞いたから。それにほら、呉にいたって言ってただろ?」
そういうことか、と彼はなぜかほっとしたような顔になった。
「……歓迎されてたかどうかは知らないけど、少なくとも、入隊して良かったとは思ったよ。父親のことは大嫌いだったから、自衛官にだけはなるまいって思ってたけど」
「なぜだ?」
子供に嫌われる父親。
かつて自分が次女に関してそう言う立場だったので、妙に気になった。
「自衛隊の中ではそこそこ偉い人だったらしいけど、家に戻るとまるで僕や母のことを自分の部下みたいに扱うんだ。おまけに、気分次第で言うことがコロコロ変わるから、なんで言われた通りにしないんだって、よく叱られてた。親を選べないって、本当に不幸だなって思ったよ……」
リョウは子供のように両足をブラブラさせ、遠くを見つめて答えてくれた。
かつて自分の上司にもそういうタイプがいた。
その人が異動で他所に行った時、心からほっとしたものだ。
でも、それが父親だったのなら逃げようがない。
彼はもしかして、常に親の顔色を伺うような辛い生活を強いられてきたのだろうか。
そう考えたら少なからず気の毒だと思ってしまった。もっとも、同情なんてしなくていいと言われるかもしれないが。
「……まるであの花みたいだ」
「あの花?」
「知らない? ダリアの花言葉って【移り気】っていうんだ」
彼の視線の先にあったのは、花畑。
聡介は花に詳しくない。
さすがにバラやチューリップぐらいはわかるが、そもそもこの世羅高原で栽培されている花の種類すら把握していない。
「……リョウは、花言葉に詳しいんだな?」
「母親が花屋に勤めててね、いろいろ教えてもらったんだ」
そう言えば。聡介はさばがいなくなった朝、誰かが玄関にダリアとシオンの花束を置いて行ったらしいと聞いたことを思い出した。
「シオンの花言葉は確か、別れ……だったか?」
「そうだよ。でも、どうして?」
「実は、さばがいなくなった朝にな、誰かが玄関に花束を置いて行ったんだ。ダリアとシオンの花を……まさか、猫からの餞別だったんだろうか……」
笑われるかと思った。だが。
リョウは笑わなかった。
「そうかもね。お世話になりました、っていう意味を込めて」
「もう少し、遊んでやればよかったな……しかし、移り気っていうのは……」
「だってそこは猫だから」
さて、とリョウは立ち上がる。
「ご馳走様。それじゃね?」
染みついた習慣と言うのは取れないものだ。
リョウはやはり、握った拳を振って見せた。
※※※※※※※※※
仕事が終わってロッカーに向かい、スマホをチェックする。
特に誰からもメールは来ていなかった。
ビアンカはむすっとしながらカバンに荷物をしまいこんだ。あれから和泉は何も言ってこないし、聡介からも音沙汰がない。
御堂久美の事件はあれからどうなったのだろう?
「お疲れ様です」
同じチームの女性が声をかけてきた。
「ビアンカさん。今日は女子会、行かないんですか?」
誘われたが断った。段々と面倒くさくなってきたせいもある。
「そうだ、あの刑事さん達……なんて言いましたっけ?」
もう1人のチームメイトが言う。
恐らく和泉ともう2人、一緒に来ていた刑事たちのことだろう。1人は守と名乗っていたはずだが、もう1人は忘れた。小柄なオジさんだった気がする。
「もしかして、刑事さん達と会う約束ですか~?」
冗談じゃない。聡介には会いたいが、息子の方とは出来ることなら顔を会わせたくもないと思っている。
「違うわよ」
それじゃ、とビアンカはロッカーを出かけた。すると。
出入り口のところで、向こうからやって来たチームリーダーとぶつかりそうになる。
「ご、ごめんなさい!!」
彼女が手に持っていた物が、床の上に散らばっていた。
ビアンカは慌ててしゃがみこんで拾い集める。ふと、一枚のチラシが目に入った。
それは猫カフェのチラシ。
可愛い猫ちゃんに癒されに来ませんか、そんな宣伝文句が書いてある。
「これで全部ですか?」
「ええ、ありがとう」
チームリーダーはロッカーの中に入っていこうとした、が。
「ああ、そうだ。ビアンカさんって確か……警察に知り合いの人がいたわよね?」
「ええ、そうですが?」
「実はこれ、大宮さんが使ってたデスクから見つかった……遺品っていうの? 彼女、引出しにやたら古いタイプの鍵をかけててね、長い間封印がかかっていたんだけど、今日ようやく業者さんが来てくれて、ついに解き放たれたのよ」
「はぁ……」
この人は時々、妙な言い回しをする。
「でね、直接ご遺族に送るのがいいのか、もしかして、警察の人に提出した方がいいのか迷ってるところなのよ。それって言うのがほら、前に御堂さんのことで刑事さんが話を聞きに来たでしょ? あの人達が調べていることと関係ないかもしれないけど、あるかもしれないし……」
和泉が以前、御堂久美のことで話を聞きに来た時、確かこのチームリーダーも同席していた。彼らがひょっとして殺人の可能性もあるのではないかと言っていたのを、彼女も聞いている。
聡介に会えるチャンス!!
ビアンカは即答した。
「もちろん、今すぐ警察の人に相談します!! ちょっとだけ待ってください」
ウキウキしながらビアンカは、聡介の番号に電話をかけた。
御堂久美と大宮桃子に関する因縁については、和泉から彼に伝わっているに違いない。
幸い、3コール目でつながった。
そして応答した聡介の声は、なぜかひどく疲れているように聞こえた。
「あ、高岡さん? ちょっとご相談したいことが。大宮桃子さんのことで」
『……大宮さん……?』
まったく何の話だかわからない、と言った様子だ。
ビアンカの予測は大きく外れた。
予定では『何かわかったんですか?!』と、向こうが食いついてくれるはずだったのに。
「和泉さんから何も聞いていないの? 私の会社の同僚で、御堂さんの……」
電話の向こうで彼が困惑しているのがわかった。
もしかしなくても本当に【聞いていない?!】
しばらくして、
『申し訳ありません……彰彦から何も報告を受けていないもので……』
「高岡さんが謝ることなんてないわよ!! そもそも、和泉さんが報告義務を怠ってるのが悪いんだから!!」
腹が立ってきた。和泉に必ず文句を言っておこう。
それにしても、随分と疲れた声をしている。
「ねぇ、高岡さん。明日、お会いできませんか? 相談したいことがあって」
『明日、ですか……?』
「少しの時間で良いんです」
『では、朝の内でもいいですか?』
「もちろん!! じゃあ、どこで待ち合わせします……?」
朝の8時、紙屋町駅前で。
そこならいくらでも近くにコーヒーショップがある。
ビアンカはチームリーダーを振り返った。
「あの、明日の午前中、お休みをもらっていいですか?! それとこれ、私から警察の人にお渡ししますから、持って帰りますね!!」
返事を待つことなく、ほぼ奪取するような形でビアンカは会社を出た。
家に帰ってから風呂上がり、缶ビールを片手にビアンカは、大宮桃子の机から出てきたという遺品を並べてみた。
遺品として発見されたのはスケジュール手帳、化粧ポーチ及び、チラシが何枚かだ。
わざわざチラシを大切に保管していたなんて、どんな店だろう?
ビアンカは改めて猫カフェの広告を眺めた。特別、変わったことはないように思えるのだが。
しかし『いわく因縁つきの代物』とはなんだろう?
スケジュール手帳を開いてみたいと、ウズウズする気持ちをどうにか抑え、ビアンカはベッドに潜り込んだ。
あ、そうだ!! 明日は何を着て行こうかしら……?