88:言った言わない
「ご心配ならさなくても、あなたを疑うような真似はしませんよ」
守警部は優しい声音で話しかける。
しかし彼女はどういうわけか、急に泣き出しそうな顔になる。
大丈夫? と、梨恵が彼女の肩を優しく撫でる。それからものすごい眼でこちらを睨んできた。
「まさかミズキのこと、疑ったりしないわよね?!」
強い眼力に思わず和泉は怯んでしまう。
顔がよく似ているせいか、容疑者を前にした聡介を思い出させる。日頃は優しい父も非道な犯罪者相手には決して容赦はしない。
その【強い瞳】が好きでもあるのだが。
「……さっきそう言ったじゃないか、守警部が」
「じゃあ和泉さんは違うって言うの?!」
「まぁまぁまぁ……」
疲れる子だ。和泉はそっぽを向いた。
しばらくして。
「実は私、偶然に聞いてしまったんです……」
ミズキは小さな声で話し出す。
「半月ぐらい前だったと思います。高橋君と行ったレストランで偶然、例の3人組を見かけたんです」
誰だ、高橋君って。
しかしこの際は突っ込んでいられない。
「変なメールが届くって、ブツブツ言っていました。その時……円香ちゃんの話が出たんです……」
和泉は思わず守警部の顔を見た。彼もこちらを見ていたので、バッチリ眼が合う。
「……なんて?」
思わず敬語を忘れて問いかける。
「別にウチらは悪くない、あいつが勝手に暴走しただけ、とか。でも、あんたがあいつのことをけしかけたんじゃろうが、とか……」
「けしかけた……?」
「全部聞いてはいませんけど、確実に円香ちゃんの名前が出たんです。ある程度は、そういうことになるかもしれんって予想しとったじゃろ、みたいな……」
『けしかけた』
『そういうことになるかもしれない』
和泉の中で1つの仮説が浮かんだ。
学生時代は自分達よりも優れた容姿を妬み、社会に出てからは、狙っていた素敵なイケメンの心を鷲掴みにしてしまった、かつてのクラスメート。目障りだから学校から追い出したっていうのに、未だに自分達のジャマをする。
なんとかして消し去ってやりたい。
そこで、いずれはストーカーと化しそうな……言ってみればやや精神的に不安定な男を『けしかける』ことにした。
その男は3人組のいずれかの【彼氏】だった男。
その【彼氏】はおそらく、あまり社交的ではなく、むしろ引っ込み思案で内気なタイプだったに違いない。それでいて思いつめると何をしでかすかわからない、そんな危険性のある。
女性に声をかけるなんてとんでもない。
自分に彼女ができるなんて、夢みたいな話だと思っていたような。
そんな自分にもいよいよ春がきた。
しかも読者モデルに選ばれるような、お洒落で素敵な女性。
もしかすると同級生だったかもしれないし、SNSか何かで偶然知り合ったか、あるいはブログの熱心なフォロワー。
出会いのきっかけが何にせよ、その彼は女達に良いように利用されていることになど気がつかず、彼女が喜ぶからと、自分の時間や財産を費やしてきた。
だが。
そうまでして尽くしてきた【彼女】は、本気で自分を想ってくれているのだろうか?
少しづつ疑問を持ち始めた頃。
『あの子、あんたに気があるんじゃない?』
『絶対そうだって。間違いないよ』
『あなた達は間違ってる』
あの大人しくて人見知りな彼女がそこまで言ったのは、全部あなたのため。
女だって好きな男のためなら強くなれるのよ……。
男はその甘言を鵜呑みにした。
歪んだ妄想はやがて、男を凶行へ走らせることとなる。
すべて推測に過ぎない。
何しろ3人組はすでに死亡している。
裏を取るには容疑者から直接話を聞くしかないが……可能だろうか?
仮にその推理が当たっていたとして【殺人教唆】に当たるかどうか、と言われれれば微妙なところだ。そもそも殺人教唆は非常に立件が難しい。
言った、言わない。
証拠の有無。
仮に録音された音声が残っていたとしても、他人の行動を予見することなど不可能だと却下されるに違いない。
考え込んでいた和泉は、
「その時の3人組の様子は、いかがでしたか?」
守警部の声に我に帰る。
「初めはひどく怯えていた感じでした。でも、アルコールを飲んでいたらしくて。その内に大騒ぎを始めて……とうとう、お店の人に追い出されました」
恐怖を紛らわすため酒の力を借りた。
彼女たちには確実に、恨みを買う心当たりが合ったに違いない。
「わ、私……怖くなって……それで……」
「ミズキ、大丈夫?」
梨恵はまるで、こちらが彼女を泣かせた犯人でもあるかのように睨みつけてくる。
彼女の夫は青い顔をして額に汗を浮かべ、
「……と、いうことなんですよ……」
たいていの場合【と言う訳で】というフレーズには『どういう訳だよ』というツッコミが入るのが定番だが、この場合は正当な使われ方をしている。
「貴重なお話をしてくださってありがとうございました。それと」
和泉は立ち上がる。
「あなたが責任を感じる必要性は、何1つありません」
※※※
「何とも、やりきれない話ですね……」
店を出てから守警部が呟く。
「……ええ」
「動機と言う面で一番強いのは、石塚円香さんのご両親ですね」
「母親が警察官だと言っていましたね」
嫌な気分がした。
「本部に戻ればきっと、資料が残っているでしょう。とりあえず広島に戻りますか?」
そうしましょう、と2人は帰路に着いた。帰りは和泉が運転を引き受けた。
高速道路に向かう一般道を走っていると、
「今さらなんですが……和泉さん」
「何ですか?」
「以前、仰っていたでしょう? 嘱託殺人を請け負うサイトがあって、御堂久美さんも3人組女性も、そのサイトを管理する人物に殺害されたのではないか……と。黒い葉書が届いた全員……言うならば、山西警務部長の孫もです」
「ええ、ますますその確信が強まってきました」
「正直言って、初めはまさかと思っていました。でも今は私も、それが真実なのではないかと、そう思い始めています」
そうですか、とだけ和泉は答えた。
「特に石塚円香さんの母親に関しては……職業柄、表立って復讐劇を起こすような真似はしないと思うのですよ。あまりにも失うものが多すぎます……」
そこは和泉も同意する。
だからこそ、恨みを晴らしてくれる他人に復讐を依頼した。
その時、着信音が聞こえた。
「守です。はい、ああ……ありがとう」
それから彼はしばらく、向こうの話に黙って耳を傾けていたが、
「何だって?!」
和泉も驚いて横目で彼を見つめる。
「そ、それは本当なのか……いや、すまない。ありがとう……」
「どうしました?」
「今、サイバー犯罪対策課の知人から連絡があって。例のブラックキティなるサイトの回線元を辿ったところ……契約者の氏名が、長門大輝となっていたそうなのです」
「どういうことだ? 取調べでは一切、そんな話はしていなかったはず……」
「もし、長門が黒い葉書の送り主だったとして……」
混乱してきた。
「か、彼は今、どこへ?!」
「身柄は既に検察へ送られているはずです」
「急いで検察へ向かいましょう」
和泉はアクセルを踏み込んだ。
そして直後に気づいた。今日、役所関係はすべて休みだったことに。
「どうします……?」
「とにかく、本部に戻りましょう。石塚円香さんの事件についても調べなければ」
そうだった。
県警本部の資料室に向かう。
「……ない」
「ないって、どういうことですか?」
「資料がごっそりないんですよ。印刷物も、データも何もかも」
「……まさか……」
途方に暮れてしまった。
しばらくして、
「あまり考えたくはありませんが……」
守警部が何か言いかけた。
そして和泉は、彼が今言わんとしていることと、自分の頭の中で抱いている疑念が恐らく一致しているだろうと考えている。
内部に裏切り者がいる。
真相を隠そうと企んでいる人間が。