87:佐藤ミズキさん
和泉達が尾道の、梨恵のいる店に到着したのは、ちょうどランチタイムが終わる午後2時少し前。
店の奥には、隅っこで小さくなっている若い女性が1人いた。
「彼女が、佐藤ミズキさん。私と慧ちゃんの友達」
小柄で可愛らしい顔立ちの女性は立ち上がると、ぺこりとお辞儀をした。
「お忙しいところ、申し訳ありません。佐藤ミズキです。広島市内でカフェを経営しているんですが……」
カフェのオーナーが、稼ぎ時であろう休日の昼間にこんな所までやってきているとは、よほど切羽詰まっているのだろうか。
「本当はもっと早く、申し出た方が良かったんでしょうけど、なかなか決心がつかなくて」
「それで、ご相談というのは?」
「円香ちゃん……石塚円香さんの事件に絡んで、私の知っていることをお話しします。参考になるかどうかわかりませんが……」
今から約5年前。
ここで働かせてほしい、と石塚円香が突然、ミズキの経営するカフェにやって来たそうだ。
「ビックリしました。人を雇うつもりはなかったので。でも彼女があまりにも熱心に頼むから……一応、話だけは聞いてみようと思って。どうも、学校に行けなくなってずっと家に引きこもっていたんですね。でも、このままじゃ……って、思い直したそうなんです。そんなある日、ネットでウチの店を知ってくれたそうで。とにかく気に入ってくれたんです。それと、できるなら人見知りを克服したいっていうことで。確かに、かなりシャイな感じの子でした」
井出から聞いた話でも、石塚円香と言う少女は目立たない、教室の隅でひっそりしている子だったと。
「初めは少し危なっかしかったですけれども。段々と仕事に慣れて、いろいろ覚えて行くにつれて……ウチの店になくてはならない存在になってくれたんです」
懐かしそうにオーナーは目を細める。
「彼女のお母さんが、時々お客としてこっそりやってきてくれたりしました。娘が立派に働いているのを見て、すごく喜んでいましたよ」
それはそうだろう。
登校拒否をしていた娘が外に出て、それも接客業に携わるなんて。親としては驚きもさることながら喜びも大きかったに違いない。
そんな時です、と彼女は続ける。
「ちょうどその頃、SNSで店の料理を写真撮って流すのが流行りだして。そうそう、円香ちゃんは絵を描くのが上手で。カプチーノにイラストを描いてくれたりして、それが評判で……おかげ様でお客様も増えたんです。そんな時ですよ、円香ちゃんを……彼女を登校拒否に追いやった、3人組の女性客がやって来たのは」
その時の彼女がどんな気持ちだったか、想像に難くない。
驚きと気まずさ。
相手はこちらを覚えていないかもしれない。イジメの加害者と言うのはえてしてそういうものだ。でも被害者はいつまでも忘れることができない。
「円香ちゃんがあまりにもビックリしていたから、訳を聞いたら……学生時代の同級生だって教えてくれて。しかも、彼女が登校拒否になってしまった原因を作った人達でしょう? かわいそうだと思って、ホールに出なくていいって言ったんです。その3人組のお客さん、うちの店を気に入って……ううん和真君が目当てだったんだろうなぁ」
「和真君?」
「ホールで働いてくれていた学生です。イケメンで、女性のお客さんに大人気だったんですよ。その3人組も彼が目当てでよく通っていました」
でも、とミズキは続ける。
「彼、円香ちゃんのことが好きだったんですよね」
「2人の間に付き合いがあったと?」
「いえ、円香ちゃんの方は気付いていない様子でしたね。ただ、その例の3人組女性からしつこく連絡先を聞かれた和真君は、好きな子がいるからって断っていました。その相手が円香ちゃんだってことを明かしちゃったんでしょう。ネット上に彼女の悪口が書かれたりするようになって……ウチの店のことも、悪い噂が広がっちゃって」
わかりやすい構図だ。
学生時代には、自分たちよりもずっと容姿に恵まれているという理由で彼女を迫害し、その後は目当ての男の心をつかんだという事情でやはり嫉妬を覚える。
しかも3人組。
1人に対し、複数であればどれだけ凶悪になれるだろう。
「でもある時から、3人組の1人が男性を連れて来店するようになったんです。どなたかの彼氏だったらしいですけど。その頃ちょうどエンスタが流行りだして、うちの店も何かフォトジェニックなメニューを出そうって言うことになったんです。その3人組、すぐに飛びついてくれましたよ。でもね……」
「写真だけ撮って、食べずに帰ったと?」
「そうなんです。それだけじゃありません、いつも連れてくる、どなたかの彼氏に全部支払いをさせていました。その男性も、もったいないと思ったんでしょうね。初めの頃は無理して食べていましたけど……」
「石塚円香さんは、その様子を知っていましたか?」
「ええ。やっぱり忙しい時にはホールの手伝いもしてもらっていましたから。そんなある日です。いつものように食べきれない料理を注文して、彼氏に伝票を渡した時です。円香ちゃんが彼女たちに言ったんですよ。あなた達は間違ってる、って」
「間違ってる……?」
「具体的な言葉はさすがに覚えていませんが、要するに……自分達の自己満足のために食べ物を粗末にしたり、支払いを全部彼氏に押しつけたりして。私もそう思っていましたから、よく言ったとは思ったんですが……」
和泉は黙って彼女の話の続きを待った。
「しばらく3人組の女性は来なくなりました。代わりに、その彼氏と思われる男性が毎日のように店にやってくるようになったんです。そうして、円香ちゃんのストーカーと化してしまったんです」
「……どうして、そんなことに?」
「私も詳しいことは。ただ、待ち伏せされたり、しつこく連絡先を聞かれたり。それはもう大変でした」
「警察へは?」
「それが、彼女のお母さんって言う人が……警察の方なんだそうです。それで彼女、直接お母さんに相談してみるって言っていたんですけども」
警察官?
「でも、その矢先でした。彼女がそのストーカーに殺されてしまったのは」
思い出すと辛いのか、ミズキは指先でそっと目元を拭う。
和泉の脳裏に、かつて3人組女性が住んでいた家で見た、パソコンに届いたメールの文面が甦った。
あなた方が『彼女にしたこと』そして『彼にしたこと』それは。
石塚円香を登校拒否にまで追いやったことは言うまでもない。それに加えてその女性3人組は、自己満足のために彼氏と言う名の財布を良いように利用した……そういうことではないだろうか。だが。
男はなぜ突然、ストーカーと化したのだろうか?
挙げ句、暴走を始め殺害にまで及んだ。
被害者遺族は何をどう考えただろうか。
なぜ、こうなったのか。
一番の責めを負うべきはもちろん、ストーカー男だ。だが、本当にそいつだけに問題があったのだろうか?
もし自分が石塚円香の身内ならそう考えたと思う。
そして徹底的に調べる。
こんなことになった要因を。
母親は警察官だった。となれば、一般人よりもよほど情報を入手することは容易だっただろう。
それこそ容疑者に直接面会することだって。
「その、何とか君というアルバイトの男性は今、どこに?」
守警部の声に、和泉は我に帰った。
ミズキは忌々しそうに、
「就職で関西に行きましたよ。それが、薄情なことに向こうで知り合った人と結婚したそうです」
「彼とは今も、連絡を?」
「ええ、時々。なんでも向こうでカフェを開きたいから、いろいろ教えて欲しいっていうので」
薄情かどうかはともかくとして、もしその男性が本気で石塚円香を愛していたのなら。彼にも3人組を恨む動機はある。
「あの、刑事さん」
カフェのオーナーは不安げな表情で、
「あの3人組のお客さん達、確かこないだ、事故で亡くなったんですよね?」
「……ええ」
「事故、なんですよね……?」




