84:パンクロッカーの嫌がらせ
世羅から尾道へ向かうバイパスは事故により渋滞していた。
「あ、そうだ……実はですね、井出さんから聞いたストーカー殺人事件の概要を調べたんですよ。そこに私のタブレットがあるので、中を見ていただけますか?」
運転席の守警部が助手席側の荷物入れを指差す。
正直、和泉には一瞬何の話だったかすぐには思い出せなかったのだが、資料を見てすぐにピンときた。
「例のカリスマブロガー3人組からイジメを受けて、登校拒否になった……石塚円香さんと言う女性のことです。高校を中退した後、市内のカフェで働きだして、常連客からストーカー被害に遭い、挙げ句に殺害されたと」
胸の悪くなる話だ。犯人は既に逮捕、起訴されて今は拘置所の中。名前は末次康伸。殺人罪により15年の実刑判決が降りている。
「そのストーカーと、例の3人組に何か関連があるんでしょうか?」
「さて……詳細は尾道にて、ってところでしょうかね」
車はなかなか進まない。
和泉はちらりと時計を見た。ちょうど、梨恵達夫婦は今が一番忙しい時間帯だろう。
果たしてどんな話が聞けるのだろうか。
※※※※※※※※※
聖と別れてから北条が警察学校に戻ると、時刻は既に正午近くを回っていた。
学校は公休日だ。
今日は当直ではないのだが、とにかく溜めてしまったデスクワークを片付けよう。
そう考えて教官室の扉をくぐると、自分の席に誰かが座っていた。
「隊長!! おかえりなさい」
出迎えてくれたのはなぜかの黄島である。
「椅子を温めておきましたよ」
こいつは時々、天然で余計なことをする。
北条はつい溜め息をついた。
「……なんだ、あんたなの」
「なんだ、ってひどくないですか? 俺、苦手をおしてちゃんと言われた猫カフェに行ってきたんですけど」
「それで、どうだったの?」
「……隊長のおっしゃる香水の匂い、濃く残っていましたよ。鮮度から言って、昨日今日あたりのものです。ついでにアルバイトの女の子から話を訊きましたが、オーナーって言う人物は背が高くて、左目に泣きぼくろがあって、右手に傷跡があるそうです」
「……そう」
相馬の外見と完全に一致する。
それと、と黄島は続ける。
「たまたま俺が店に入った時、清掃業者だっていう若い男がやってきました。そいつ……世羅高原で見た、着ぐるみの中身です」
「……元自衛官だっていう?」
半田遼太郎。確かそんな名前だった。
「はい。背格好もそうだし、何よりも臭紋が一致しました」
指紋、足紋、唇紋など個々の人物を特定する情報として挙げられる要素の中に【臭紋】と呼ばれるものがある。体臭は人によって異なる。警察犬が匂いをたどって容疑者を追うことができるのはこのためだ。
そして黄島の鼻はまさに犬並みだ。
そう言えば、相馬と半田は共同経営者だと聖が言っていた。あまり良い表現ではないが、つまりその猫カフェが彼らの【アジト】と見て間違いない。
「ところで隊長」
黄島は近くにあった椅子に腰を降ろし、周囲に人がいないのを確かめてから声を潜める。
「……何よ?」
「結衣が……随分と気にしていたんですが、尾道で殺害された例の子供って、俺達があの日、世羅高原で見かけた子ですよね?」
「あの日?」
「ほら、結衣の友達と4人で一緒に、フラワーパークに行ったじゃないですか。あの時、花を傷つけて叱られてた……」
「ああ、そう言えばそんなこともあったわね」
「あの時のことが原因で、あの子、殺されちゃったんじゃないかって話してたんです」
北条はつい、鼻で笑ってしまった。
「何よあんた。花を傷つけたことで【せらやん】に殺されたとでもいうの?」
「……の、中の人に、です」
「迷惑客にいちいち腹を立てて殺したりしてたら、キリがないじゃない」
しかし黄島は真剣な顔で、
「結衣と2人で色々考えたんですが。あの時、止めようとした職員の女性に向かって母親が逆ギレしていましたよね。せらやんはそれを庇うかのようにやってきた。もしかしたら2人は恋人同士で、俺達が帰った後、他にも何かトラブルがあったんじゃ?」
一笑に付そうと思っていたのに。
案外、それなりに説得力のある推論に、反論の余地をすぐには探せなかった。
が、すぐに思い直す。
「何かのトラブルって何よ?」
「……ダメですか? それもありだよねって、彼女も納得してたんですが」
「黄島……あんた、ニュース見てないの?」
「え?」
「犯人が出頭してきて、帳場は解散したわ」
「ええーっ?!」
リア充っぷりを披露するのはいい加減にしろ。
北条は黄島に背を向けた。
しばらくして、
「あの……隊長」
「何よ?」
「なんか元気ないですよね?」
「……気のせいよ。御苦労さま、もう帰っていいわよ。本部なり自宅なり、彼女のところなり」
まさか黄島に見抜かれるほど、疲れが顔に出ていたとは。
基本的に部下や学生の前では常に超然としているよう心がけている。動揺や不安を表に出せば、全員の士気を下げることになる。
でも今回はあまりにも、いろいろなことが重なり過ぎた。
それもどちらかと言えば腹立たしいことが。
上の連中はあの長門という男の供述を真に受け、ロクな精査もしないまま、さっさと再逮捕・送検の手続きを初めてしまった。そのことも気に入らなかったし、他にも色々と言いたいことはあった。
捜査会議上で見聞きした情報はどれも、決して看過できない重大な要素である。
被害者の両親が雇っていたという家庭教師からも話を訊く必要があるし、そして一緒に外を歩いていたという着ぐるみの件についても、もっと調査が必要だ。
それに何より。
肝心の黒い葉書については何一つ判明していない。
その葉書を見た被害者の曾祖母が、聡介を送り主だと決めつけた上で、彼にクレームをつけに行ったという話は聖から聞いている。
その女性がそんな行動に出たのは、過去に自分の娘が彼に対してしたことを疚しく感じているからだろう。
端的に言えばその女の娘が、夫である聡介を裏切った挙げ句、彼の刑事人生に消えない汚点をつけてしまったということだ。
くだらない……北条は溜め息をついた。
そんな愚行に走る女の息子が、この県警の幹部でナンバー2というのだから。
その上、気に入らないのは長野の態度だ。
『上が決めたこと』と早々にあきらめてしまった。
何か他に考えているのだろうかとも思ったが、何も読みとることができなかった。
とにかく今は少し突っ走るのをやめて、大人しくしていよう。
「……あの、隊長」
「何よ?」
まだいたの、と言いかけてさすがにやめておく。
「HRT隊員の皆さんからの伝言です。いろいろ忙しそうだけど、たまにはゆっくり休んでくださいって。俺達みんな、隊長のことを大切に思ってますから」
頭の中に部下達のゴツくて濃い姿形が浮かんだ。
そして。今なら素直に言えそうだ。
「ありがとう」
黄島が帰った後、北条はパソコンのスイッチを入れた。ありがたい伝言ではあるが、今のうちに溜めてしまったデスクワークをこなしてしまわなければ。
それに、忙しくしていれば余計なことを考えずに済む。
気になることはこの校内にもある。
しばらくは、ゆっくり休める暇などなさそうだ。
その時、北条のスマホが着信を知らせた。
見慣れない番号である。
「もしもし?」
『あ、あの……俺、都築って言います。呉の……』
誰だっただろう?
『相馬さんのこと、少しならお話ししてもいいと思って、それで……』
思い出した!!
相馬が自衛隊を去る前に親しくしていたと聞いた若い男性である。
「ありがとうございます。ご都合は?」
『今週の金曜日なら、夜にでも……』
良かった。
少しだけ、一歩だけ前進できた気がした。




