83:父の次女がケンカを売って来た件
「ニュースをご覧になりましたか? 尾道で起きた事件のことなんですが」
和泉の問いに若い女性はああ、と頷く。
「ビックリしました。長門君、真面目に一生懸命働いていたんですけど……あ、私はシャトレーゼレインパレスの頃から働いている従業員です」
願ってもいない情報提供者があらわれた。
彼女の話によれば。長門は勤務態度も真面目で、確かにややケンカっ早い一面はあったものの、経営者である社長から可愛がられていたという。
「でも7年前にトラブルを起こして……自分から辞めちゃったんですよね」
「トラブル? 何があったんです」
「実は……」
彼女の話によれば。
ワイナリーでは試飲サービスも行っていた。ある日、このあたり一帯の土地を所有している地主の男性がやって来たのだが、飲み過ぎてすっかり酔っ払ってしまったのだという。
なおその地主の男性は、かねてからワイナリーの社長婦人に好意を寄せていた。そこで酔った勢いもあり、社長婦人にセクハラ行為を働こうとしたのだが。
「その現場を見た長門君が、止めようとしてつい……殴っちゃったんですよ」
相手が悪すぎた、と彼女は続ける。
製造工場を含むワイナリーの敷地、ブドウを栽培する農場すべて、その地主からの借りものだったからだ。その事件があってから地主は、当てつけのように賃料を上げると言い出したそうだ。
「その地主って、なんでも世が世ならお殿様だったとか……? とにかく威張ってて嫌な人でしたよ。あの時だって、いの一番に土地を売るって言い出して、皆からの反感を買っていました」
話が横に逸れそうになり、和泉は思わず口を挟んだ。
「それで長門氏は、その事件がきっかけでワイナリーを辞めたのですか?」
「ええ、そうなんです。社長も社長婦人も引き留めたんですけど……迷惑をかけることになるからって、いなくなっちゃいました。でもその後、広島に出てまさかヤクザ屋さんになっていたなんてね……あれ、何年前でしたっけ? 事件を起こしてしばらく刑務所にいたんでしょう?」
そう言って女性は恐ろしそうに身震いした。
元々、粗暴な性質を持っていて、すぐにキレるタイプではあったようだ。見ず知らずの子供である被害者から罵られ、カッとなって手を挙げたという供述にムリはない。
「ところで、先ほど仰っていた【あの時】というのは……?」
守警部が訊ねる。
「ここです、このフラワーパーク。あしたかグループが開発計画を持ちだしてきた時、地元の皆は随分と反対したんです。住み慣れた場所を離れたくないし、地元に雇用を生むとかなんとか美味しいことばっかり言って……その実はただの自然破壊ですよ」
「でも、地主は早々に土地を売ってしまったんですね?」
「そうなんです!! 勝手に話が進んでいたみたいで、ある日突然、次々と重機とか大きなトラックとかが入ってきて、ちょっとした騒ぎになりました。そこで太田垣先生が音頭をとって、反対運動を起こすことになったんです」
「太田垣先生?」
「地元では有名な郷土史なんかを研究している学者先生です。何しろここはほら、昔、後鳥羽天皇が隠岐の島に流される時に通った、歴史のある町ですから……」
「その運動には何人ぐらい集まったんですか?」
「それはもう、署名は住民ほとんどですけど……実際に工事現場に行って抗議活動をしたのは……どれぐらいなんでしょうね? 数えたことがないのでわかりません」
それはそうだろう。
そもそも世羅郡の総人口が1万6千ちょっと。全員が集まる訳ではないだろうから、ざっくり【大勢】という表現しかできないかもしれない。
「そうだ、その時に長門君も来てくれたんです!! 確か刑務所を出たばっかりの頃じゃないかな? 反対運動を手伝ってくれるって、助っ人を連れて」
「助っ人って、もしかして……そのスジの人達、ですか?」
和泉は自分の頬を人差し指で撫で、顔に傷のある、という意味のジェスチャーをして見せた。
「いいえ。どっちかって言うと……」
すると。
なぜか突然、女性は顔色を変えた。
その表情は明らかに『しゃべり過ぎた』ことを後悔している顔だ。
「どうかなさいましたか?」
「あ、私そろそろ、仕事に戻らないと……それじゃ!!」
サインはいらないんですか? と思わず和泉は問いかけそうになった。
女性はものすごいスピードで走り去っていく。
守警部と和泉は顔を見合わせた。
「どっちかって言うと、普通のサラリーマン?」
「どっちかって言うと、警察官っぽい……かもしれませんよ?」
「あの女性、明らかにマズいことを言いかけたって顔をしていましたね?」
和泉は立ち上がった。
「ダメ元で、地元住民に詳しいことを聞き込みに行きましょうか」
「それは止めておいてください」
突然、背後から声が聞こえた。
振り返ると先ほどの監察官が。
「い、いつからいらしたんですか?!」
全然気がつかなかった。気配を消していたのだろうか。
恐らく彼は、先ほどの女性とのやりとりも秘かに聞いていたに違いない。
「あまり表立って動くのは、おやめになった方がいい。こういう町での聞き込みの仕方をご存知ない訳ではないでしょう」
田舎の人間はとにかく他所者を警戒する。それが警察官であっても、だ。
地元出身である、もしくはかなりの時間をかけて地元に馴染んだ駐在警官などが、平身低頭に出てようやく口を開いてくれるかどうか、と言ったところである。
「ここは私におまかせください」
さっきは思わずカッコいい、と思ったがやはり、完全に警戒心を拭うことはできない。
「監察官のあなたが、ですか……? なぜです?」
こちらの内心など既にお見通しなのだろうか。聖はふっ、と笑う。
「先ほども申し上げたように、ただ真相を知りたいからです。それに私は監察官である前に1人の警察官であり、北条警視の友人でもあります。そして……」
「そして?」
「他の理由は、いたって個人的な事情ですので、控えさせてください」
それでは、と聖と名乗った監察官は去っていく。
「……とりあえず、今日のところは広島に戻りましょうか? 守警部も帰ってお嬢さんと遊んであげてくださいよ」
「そうしますか……」
「我々も少し、休息をとりましょう」
言いながら和泉は、何とかして周に会えないかな~と考えていた。それ以外に癒しはない。
思い切って警察学校に忍びこんじゃおうかな。
なんて思っていたら、スマホが着信を知らせた。めずらしいことに聡介の次女、梨恵からだ。
「……梨恵ちゃん?」
『和泉さん。今から尾道に来られない?』
「何かあったの? ひょっとして、聡さんとケンカしたとか」
『そんなんじゃないわよ。仮にそうだったとしても、和泉さんになんか相談しないわ』
割とカチンとくることを言う子だ。
「あのね……」
『紹介したい人がいるのよ』
「再婚相手なら、もう目処は立ってるんだけどね」
『違うって。いいから、とにかく来て』
「聡さんは?」
『お父さんは今日、さくら達と出かけたわよ』
「ふーん、それで仕方なく僕に来いって言うんだね?」
すると。
『も、もしもしっ?! あの、俺、慧ですけどっ!!』
慌てた様子の別の声に代わった。梨恵の夫だ。
「あ、慧君。久しぶりだね」
『俺達の友達で、警察の人に相談した方がいいのかって、悩んでいる人がいて、それで……お忙しいところを申し訳ないと……思ったんですけど、話だけでも聞いてもらえないかって……』
なぜこうも、しどろもどろなのだろう?
「どういう人?」
『こないだ……五日市の港で転落事故を起こした女性の3人組のことで、って言ってるんですが……』
「すぐに行く」
和泉は通話を切り、即、守警部の方を振り返った。
「急いで尾道へ向かいましょう。ここからならすぐです」
「どうしたんですか?」
「カリスマブロガー転落死事件(笑)について、詳しい情報が得られそうですよ」
だから(笑)はやめろ。
無言の内にそう言われた気がした。