77:せらやんはうたう
先ほど突然、署の外に飛び出して行った北条だったが、何も見つけることができなかったらしい。
必死に左右を見渡しているが何も言わない。
和泉も彼の後を追いかけたが、これといった不審者も不審物も見当たらない。
そうかと思えば再び、北条は走って中に戻っていく。
なんなんだ……。
和泉が彼の後を追いかけると2階の、刑事課の部屋前に到着した。
すると、なぜかボンヤリした顔で聡介がそこに立っていた。
「聡ちゃん、今、ここに!! 背の高い、左目に泣きぼくろのある男がいなかった?!」
「……いました」
「どこへ?!」
「今は、取調室へ……」
「どうしてそんなところへ?」
「確保された容疑者の、身許引受人だそうです」
『彼がいったい何を……?』
身許引受人だと名乗ったその男性は、慌て騒ぐこともなく、淡々とした口調で取調べを担当する刑事に話しかけた。
『確かに昔は、法に触れる行いをしたこともありました。でも、今はしっかりと罪を償って……社会復帰しています。今彼は、私の下で働いてくれています』
『何の仕事ですか?』
『自営業をしていましてね。清掃や引越しの手伝い、あるいは依頼があれば何でも請け負います。いわゆる便利屋です。何しろ男手の必要な仕事でしてね。彼は本当によく働いてくれて、重宝しているのですよ』
北条はミラーに両手をつけ、食い入るように取調べ室の様子を見ている。
彼が注目しているのはおそらく容疑者ではない。身許引受人を名乗り、刑事に話をしている男性の方だ。
その男性のことも気になったが、北条の様子も気になった。
恐らく浅からぬ因縁のある知り合いだろう。
『教えていただけませんか? 彼が何を疑われているのです』
すると。容疑者として確保された男が急に、目に涙を浮かべ始めた。
『刑事さん、相馬さん、すんません!!』
机の上に額をつけ、男は泣き出した。
『俺が、あの子供を……殴って殺しました!!』
「北条警視」
後ろから声がした。振り返ると、サングラスほどではないが、色のついたメガネをかけて素顔を隠したスーツの男性が立っている。
「少し、よろしいですか?」
北条は無言のまま、取調室の前を去って行く。
あの男、どこかで見たことがある……。
和泉は記憶をたどろうと試みたがすぐにやめた。
※※※
その後、捜査本部であった尾道東署の会議室は蜂の巣をつついたような大騒ぎであった。
記者会見に臨む署長は原稿の読み合わせに余念がなく、本部からやってきていた管理官はホっと胸を撫で下ろしている。
捜査本部に設置されたテーブルや椅子は今や並べ方を変え、マスコミ関係者を迎え入れる態勢を整えている。
和泉は部屋の隅でそれらの様子を冷ややかな気持ちで眺めていた。
捜査本部は事実上『解散』の運びとなる。
【公務執行妨害】で逮捕されたはずが、せらやんの着ぐるみを持っていたばかりに、山西亜斗夢殺害事件の容疑者として取り調べを受けていた長門と言う男。
そいつは身許引受人がやってきた途端に自白を始めた。
その供述によれば。
事件の夜。長門は仕事で尾道へやってきていた。
市内のとある店舗が移転するので、引っ越し作業を手伝うためだ。仕事が終わったのは夜中の10時過ぎ。
仕事終わりにコンビニで缶チューハイを買い、祇園橋埠頭で飲んでいた。
すると。どこからともなく子供……被害者が現れたのだそうだ。
近所の子供か、いずれにしろ初めは放っておいた。ところが。
何を思ったかその子供は長門の荷物を漁り始めたそうだ。
そのことを咎めると、とんでもなく生意気な口をきいたらしい。ちなみに子供の興味を引いたのは、次の日に仕事で使うために持ち歩いていた【せらやん】の着ぐるみである。その時は紙袋の中へ無造作に着ぐるみを入れていたので、中身が見えたようだ。
親はどこにいる?
そう思って探していたが、見当たらない。
すると何を思ったのか急に子供は、罵声を浴びせ始めたのだという。
『お前みたいな社会のクズが、この世の中をダメにするんだ!!』
『僕を誰だと思ってるんだ!? じぃじは警察の偉い人なんだぞ!! お前なんか即刻クビだ、クビ!!』
酒が入っていたこともあり、腹を立てた長門はつい軽く叩いた……つもりだった。ところが。
子供は転倒し、船をつなぐ鉄製の錨に後頭部を打ちつけてしまった。
息をしていない。
恐ろしくなった彼は、遺体を海に投げ込んだという。
※※※
「……山西宏一警務部長兼広島市警察部長がわざわざいらっしゃって、記者会見に臨むそうですよ?」
会議室の隅で、聡介の部下達は皆、無言のまま互いに顔を見合わせていた。
犯人確保。
その事実に沸いたのは幹部達だけだ。これで警察としては体面を保つことができ、被害者の祖父にも言い開きができる。後はマスコミが好き勝手に脚色して、事件を全国に広めることだろう。
出頭してきた容疑者の供述には何の矛盾もない。殺害方法、遺棄した方法も。
すべて鑑識が割りだしたデータと合致している。
だが、不明点がまだある。被害者がいつどうやって家の外に出たのか、せらやんと一緒に歩いていたという目撃情報については、少女の供述と微妙に食い違うところがある。
そして何よりも黒い葉書のこと。
しかし。幹部達にとっては末端の刑事達が抱く疑問など、まったく意に介さない様子である。
「とにかく広島へ帰りましょう」
和泉が言いかけた時、少し離れた場所から守警部が近づいてきた。
「和泉さん」
「あ、守警部。なんだかお久しぶりのような気がしますね……」
「そうですね。このヤマではほとんど、ご一緒しませんでしたね。それより……これから広島へ戻られるのでしょう?」
「ええ、そのつもりです。例の事件もまだ精査しないといけませんし」
「良かった、私からも継続してお願いするつもりでした」
そもそも和泉が彼と一緒に行動するきっかけとなったのは、帝釈峡で発見された、女性の遺体遺棄事件である。まだあれこれと探っていた途中だった。
立ち話をしている2人の傍を忙しそうに事務員たちが行ったり来たりしている。コピーした資料を各テーブルに配り、マイクなど各種機器などのセッティングに余念がない。
ジャマだから退け、と言われているように感じたが、かまいはしない。
「実はそれぞれ、事件の略称を考えたんですけど……」
とうとう事務員の1人に睨まれたので、仕方なく和泉達は廊下に出た。
「略称?」
「帝釈峡の事件……こちらは【ドタキャン花嫁水死事件】で、五日市埠頭で転落死した女性3人組の事件については【カリスマ(笑)ブロガー転落死事件】って言う感じで」
「2時間ドラマみたいですね……しかし(笑)というのはちょっと……」
「さすがに不謹慎ですかね」
守警部は当たり前だろ、と言いたげな顔をしている。
その時だった。
廊下の突き当たり……自分がいた当時と変わっていなければ自動販売機と、ちょっとした休憩スペースがある場所……から、ものすごい衝撃音がした。
ガラガラガラ、と飲み物が落下する音も。
和泉と守警部は顔を見合わせて音のした方へ視線を向けた。
こちらに背を向け、自動販売機のボディに拳をめり込ませていたのは北条だった。
何かひどく怒っている。大柄な彼の身体に隠れて顔は見えないが、向かいに誰か立っているようだ。影でわかる。
「……謙ちゃん……」
「上が決めたことじゃけん、あきらめるしかなかろうよ」
長野の声だ。
「それでいいの……?」
「わしゃ知らん。そんなに気に入らんのなら、ゆっきーが直接、本部長にでも掛け合えばええじゃろうが」
長野は北条の脇をすり抜け、それこそスケートでもするかのような動きで、滑るようにこちらにやってくる。
「おい、彰」
「……なんだよ」
「市内で美味しいラーメン屋さんってどこじゃ? 地元民」
「自分で探せよ。ネットぐらい使えるだろ」
「あ、あの。課長……」
守警部が心配そうに、長野の顔と北条の背中を見くらべている。
すると。捜査1課長は意外なことを言い出した。
「いっちゃん。例の件は、ほどほどにな? 本来の業務優先じゃけん。彰、お前もじゃ」
「……え?」
守警部は困惑している。
「僕は、聡さんの命令しかきかない」
「ふーんだ、あっかんべー!!」
いつもの調子で長野は去って行く。
が、そのすぐあと。
「課長!! 容疑者確保って本当ですか?! ウチにだけ特別、他社に教えてない最新情報をください
よ!!」
どこかの記者に捕まってしまった。
うたう、って言うのは「自白する」の意味だエビ?
前にも書いたっけね、これ……。