75:お外に出て来てくれたら嬉しいなっし……♪
サブタイトルにツッコミを入れてはいけない。
尾行はあまり得意ではない。というか、現場で実際に使ったことがほとんどない。
郁美はいつ相手に気付かれるかとヒヤヒヤしながら、それでも古川と一緒に男の後を追跡した。
どういう訳か怪しい男は時折立ち止まり、もしかして防犯カメラを探しているのだろうか、顔を上げてキョロキョロしている。
やがて至近距離に近づいた。
足音を立てないよう、慎重に。
2人は男に近づいていく。そして、若い鑑識員は背後から男に声をかける。
「すみません、ちょっといいですか?」
心に疚しいことのある人間は、不意に背後から話しかけられるとビックリして焦ってしまう。その隙を見逃すな。
警察学校にいた頃に聞いた話を思い出す。
しかし古川から声をかけられた男は少しも動揺した素振りを見せない。それどころか、どこか、声をかけられるのを待っていたかのようにすら思えた。
「……何でしょうか?」
「失礼ですが、どちらへ? そのカバンの中には何が入ってるんです?」
「少し、野暮用で……」
「恐れ入りますが、あなたのお名前とご住所、年齢を教えていただけませんか? あ、私は古川と申します。こちらは平林」
上手いな、と郁美は思わず感心してしまった。
物柔らかな口調と、相手に警戒感を覚えさせにくい笑顔、それでいてさらりと肝心なことを聞き出そうとする。
しかし、男は黙っている。
何かフォローした方がいいのだろうか?
郁美が迷っていると、
「お急ぎのところ、申し訳ないですね。実はこの近くでちょっと事件がありまして。警戒を呼び掛ける意味でも、皆さんに声をかけさせてもらっているんですよ」
怪しい男は2秒ほど経ってから答えた。
「……長門です」
「これからどちらへ?」
長門と名乗った男がポケットに手を突っ込んだことに気付いた郁美は咄嗟に、
「ポケットに手を入れないでください。それから、こちらから決して顔を逸らさないでください」
一瞬だけチラリと古川の視線がこちらを向いた。礼のつもりか、あるいは……一応、やればできるんじゃないか的な驚きか。
後者だったとしたら、あとで注意しておこう。
男は両腕をだらりと降ろし、落ち着かなそうに身体を左右に揺する。
「念のため、そのカバンの中身を確認させていただけますか?」
古川がカバンを指差す。
「……なんでだよ?」
「その必要があるからです」
男はショルダーバッグを持参していた。旅行などに持って行く大きさで、いろいろと詰め込んであるらしく、パンパンに膨れ上がっている。
しばらく無言の睨み合いが続いた。
やがて「ほらよっ」と、男がカバンを放りだす。
郁美は急いでジッパーを開け、中身を確認した。最初に出てきたのは白い布。何が包んであるのだろう。
慎重に取り出し、中を確かめる。布で作ったらしい造花のようなものが見えた。
続いて、これは……人の顔?
すべて取り出して広げてみたら、あらわれたのは着ぐるみであった。
「せらやん……」
えっ、と古川が驚いてこちらに視線を向けた次の瞬間だった。
「あっ!!」
男が突然走りだす。
「待て!!」
即座に古川が追いかける。歩いている人はまばらだが、決して少なくはない。男はぶつからないよう器用に走りながら、駅に向かっていく。
郁美も古川と男の後を追って走った。
日頃、どちらかと言うと座っていることが多いため、急に走り出すと動悸がする。
でもここでボンヤリ突っ立っていたら、後で何を言われるかわからない。
郁美は意地だけで走った。
やはり若さと言うか何と言うか。
古川が男に追いつき、その左肩をつかむことに成功した。
その手を振り払うついでに殴ってやろうと考えたのだろう、大きく腕を振り上げた男の攻撃をかわすと同時に、古川は身をかがめる。
それから間髪いれず、彼は男に足払いをかけた。
ずだ~んっ!! と派手な音を立てて男は背中から地面に落ちていく。
それでもあきらめず、咄嗟に態勢を立て直そうとする。
しかしそれよりも早く動いた古川に襟首をつかまれ、男は再びアスファルトの上に膝をつく。
「午後14時32分、公務執行妨害により現行犯逮捕……っと」
生意気な後輩はポケットから手錠を取り出し、男の両腕にかけた。
鑑識員のクセに、なんで手錠なんか持参してたのよ……と、やっとのことで追いついた郁美は、胸の内でツッコミを入れた。
※※※※※※※※※
助手席の父は気まずそうな顔をしている。
恐らく、あんな言い方をしなければ良かったと後悔しているに違いない。
だが別に和泉は全く気にしていなかった。黙っているのはただ、考えごとをしていたからだ。
つい昨夜。
北条が呉に連れて行けと言い、市内のとある居酒屋に向かった。
見るからに自衛官とわかる男に声をかけ、何か聞き出そうとしていた。そして今朝。
尾道で起きたこの殺人事件に首を突っ込むから迎えに来い、と言い出したのは、何か独自につかんでいる秘密の情報があるに違いない。
それからつい先ほど、聡介に話しかけてきた猫のような若い男。
何かある。
被害者と因縁のあった生徒の自宅でばったり出会ったのは、事件と何か関連があると考えていいのではないだろうか?
「ねぇ、聡さん。さっきの若い男の子……名前、なんて言いましたっけ?」
「……リョウのことか?」
「フルネームは?」
「わからない」
まぁいい。
とりあえず【リョウ】とだけ覚えておこう。
そうこうしている内に広島市内に到着した。
せらやんを製造しているという工場へ向かって話を聞いた。
そうして聞けた話はなかなか、興味深いものだった。
「実は試作品を一体うちで保管していましてね。ちょっと不具合があって、いわゆるアウトレットですよ。外に出してはいないので、うちの倉庫で眠っているはずですが……そう言えば先日、倉庫の鍵がきちんとかかっていなかった事がありましてね。ウチの従業員のミスってことはないんですよ。ちゃんと戸締りはチェックしとりますけぇな。ただ別に、何も紛失した物がなかったんです。被害が出た訳じゃないので届け出はせんかったのですよ。なんかマズかったですかねぇ……?」
「どう思いました?」
再び、車の中。
和泉は聡介に話しかけた。
「……あの女の子の目撃証言はきっと、正しかった。何者かがここから着ぐるみを持ち出し、コピーを作ってまた元に戻しておいた」
「僕もそう思います。ガイシャはせらやんが好きだった……夜の遅い時間、着ぐるみの中に入った犯人が、ガイシャを外におびき出すのに恰好の餌だったことでしょうね。でも、どうやって誘いだしたんだろう……? 小学3年生って言ったら、それなりに物ごころのつく頃じゃないですか?」
「もしかして」
父は暗い顔をして語る。
「……もしかして、なんです?」
「こないだせらやんに叱られて、少し嫌いになったって言ってただろう?」
そう言えばあの婿養子がそんなことを言っていたような。
「その時のことを謝罪するから、外に出てきて欲しい。一緒に遊ぼう、とでも言ったのかもしれないな……」
「……せらやんって、人語をしゃべるんですか……?」
「俺が知るか」
父の推測は間違っていないような気がする。
それだけに、溜め息をつきたい気分でもあろうことも。
その時、2人の携帯電話が同時に鳴りだした。
「はい、高岡。あ、課長……」
『聡ちゃん、緊急事態じゃ。彰もそこにおるか?』
長野の声だ。
「ええ、何があったんです?」
『容疑者を確保した……すぐ、捜査本部に戻ってくれ』
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「何の話です?」
『とにかく、急いで尾道へ戻ってきてや』
以前、郁美のことを【女性にしては背が高い】と書いた記憶が……。
となると、古川君はさらに背が高いことになる!!
イラストはあくまでイメージですってことで、どうでしょう?