74:足つぼをぐっとね
和泉は何となくバンの後ろに回って荷台を確認した。掃除道具やら何やら、雑然と積まれている。
「彰彦、何してるんだ?」
「いや……なんとなく。これって、あの被害者にいじめられていたっていう男の子の自宅前で見かけた車ですよね?」
その時だった。
「あ、おじさーん!!」
コンビニやレストランの入る建物の出入り口から、若い男性が手を振りつつこちらに向かってくる。
彼はなぜか拳を握って腕を振り、こちらへ走ってきた。
「奇遇だね!! まさか、こんなところでまた会うなんて」
昨日、たった今話していた家の前で見かけた人物だ。彼は笑顔を浮かべながら、聡介にまとわりつく。
まるで、猫が人の足に頭を擦り寄せる姿のようだ。
「よく会うな。今日は、どこで仕事なんだ?」
「これから広島市内に戻るんだよ~。あ、そうだ。今度おじさんに会えたらこれ渡そうと思ってたんだ」
彼はポケットから財布を取り出し、チケットのようなものを取り出した。
「おじさんって猫好きでしょ? これ、猫カフェの割引券。うちと業務提携してるお店でね、シフォンケーキが美味しいんだよ」
それじゃね、と彼はライトバンの運転席に乗り込む。
「リョウ」
父が声をかけると、その若い男性はドアを閉めようとしていた手を止めた。
「おじさん、じゃない。高岡聡介っていう名前があるんだぞ」
「わかったよ、聡介さん。じゃ、またね?」
「……聡さん、いつから海上自衛隊員の知り合いができたんです?」
コーヒーを購入してカウンター席に腰かける。
砂糖を入れたいのを我慢しつつ、ミルクを入れてかきまぜていると和泉が訊ねてきた。
「え? 俺は自衛隊に知り合いなんて……」
「さっきの【猫の手】の男性ですよ。間違いありません、海上自衛官です」
「そうなのか……?」
「あの手の振り方……拳を握って腕を振る、あれは彼らの特色です」
知らなかった。
「掌を見せて両腕を上げるのは降伏の印だから、と決してパーでは挙手しないそうですよ」
「へぇ……」
そう言えば以前、リョウが呉に住んでいたと話していたことを思い出す。
呉と言えば海上自衛隊。なるほど、と納得がいった。しかし。
なぜそこを辞めて自営業に転身したのだろう? 別に彼の勝手と言えばそうだが、妙に気になった。
そのまま続けていれば安定した収入を得られたことだろう。
若いし、出世の見込みだってあったに違いない。
「自衛官……」
和泉が呟く。
「どうかしたか? 彰彦」
「あの若い子、名前はなんて?」
「リョウ、って言ってたぞ」
「名字は? いつ、どうやって知り合ったんです?」
なぜ彼がそんなに食いついてくるのか不思議に思った。
そうして彼と初めて会った時のことを思い出すと、せっかく考えないようにしていた嫌な気分まで甦ってきた。
「聡さん?」
「あの子が何だって言うんだ。やたらめったら、誰でも疑えばいいってもんじゃないだろう?」
すると、和泉はなぜか無表情になる。
「とりあえず、行きましょう」
なぜか気まずくなってしまった。
ああ肩がこる……。
少し休憩しようかしら。そう思って郁美が立ち上がりかけた時、
「郁美、アイス買って来い」
突然、相原からそう命令された。文句を言いたいところだが、郁美としては未だに彼よりも立場が低いため、逆らえない。
ほれ、とかつての上司が渡してくれたのは一万円札1枚。
「釣りは取っといてええど? 寛大な上司じゃけんな、ワシは」
元ね、元上司。
一個100円ぐらいのアイスをひとまず、職場に残っている職員の人数分買ったとしても、たいしたお釣りは出ない。
そもそも、そんなに安いアイスはない。
やれやれ、と席を立った時、
「あ、郁美センパイ。コンビニ行くんなら、俺も一緒に行くっす」
古川が作業の手を止めて立ち上がる。
「別にいいわよ、1人で」
「何言ってるんすか、物騒ですよ。仮にも殺人事件があった場所なんですから」
えっ?
思いがけない彼の優しい台詞に、ついドキっと胸がときめいてしまう。
「郁美センパイに万が一のことでもあったら、相原係長は泣くだろうし、俺も寝覚めが悪いっすよ。なんていうか、末代まで祟られますよね。執念深そうだし」
なんだこいつ。
「……って、思ったんすけど。良く考えてみたら郁美センパイもサツ官でしたっけ? 万が一にも暴漢に出会ったら逮捕してくださいよ。仮にも学校で習ったでしょ、逮捕術」
ときめきを返せ、バカ野郎。
そんな訳で、郁美はプンプンしながら、古川と一緒に一番近いコンビニを目指して署を出た。
それにしてもほんと何もないところだわ。
あるのは寺と神社ばかりという話は、誇張表現でも何でもなかった。
今は観光地として観光客の姿も多く、それなりに賑わっているが、確かに観光で一時的に訪れるのならいいかもしれない。
尾道東署は海沿いの、市役所や市民センターが集中する場所に建っているため、まわりはそれなりに商店や飲食店が並んでいて賑やかである。が、コンビニやスーパーは見当たらない。
署を出てすぐのところに細い路地があり、そこを通り抜けると、駅前から続く商店街に出る。
商店街に並行して山陽本線が走っており、線路のすぐ裏側は山である。
平地の面積が少なく坂道ばかりの町は、山側は特に本当に何もない。あるのは山肌を削りとってムリに建てたかのような一軒家ばかり。
ここで生活するとなると、大変だろうな……。
郁美は思った。
「センパイ。駅に向かって、線路沿いに行ってみます?」
「そうね」
しまなみ海道の開通に伴って整備された海沿いの道路は、ちらほらと外国人観光客の姿が見える。彼らはどこが目当てなのだろう? 特にめずらしいスポットなどないように思えるのだが。
ちらほらと学生が自転車で傍を通り抜ける。今が下校時間らしい。
このあたりの学校は制服が詰め襟にセーラー服のようだ。
郁美が卒業した学校ではブレザーとジャンパースカートだったので、実はセーラー服に少し憧れていたりする。
和泉さんも詰め襟だったのかしら……?
そんな平和なことを考えていたら、いつの間にか商店街の入り口に近づいていた。するとその時、向かいから俯き加減に歩いている男性が歩いてくるのに気付いた。
上下とも黒っぽい格好で、顔を隠すように野球帽を深くかぶっている。
袖口から覗く手の甲には刺青が施されていた。
嫌だわ、ヤクザかしら……と郁美は目を逸らした。
男は不意に立ちどまると、ポケットからスマホを取り出し、耳に当てる。
「……はい。今、向かっています……はい、万事手はずどおりに」
嫌な予感がした。
まさか、どこかに爆弾をしかけたとか?
そんな突飛な考えが頭に浮かんだ。
仮にそうだったとしても場所がここだと言うのはあまり納得がいかない。テロだとしたら普通、大勢の人間が集まる場所を狙う者だろう。
今は平日の午後ということもあるが、あまり人気がない。
男は福山方面、東方向に向かって歩き進める。目的があるのだろう。迷っている様子は見られなかった。
「センパイ、あいつかなりヤバい空気出してません?」
こそっと古川が呟く。
同感だった。
「後を追って、タイミングを見計らってバンかけましょう。フォローお願いします」
古川が言い、郁美は焦った。
「え……待ってよ!! それこそさっきの話じゃないけど、万が一にも凶悪犯だったらどうするのよ?」
すると生意気な後輩は、
「郁美センパイの職業って、何っすか?」
「鑑識員よ」
「鑑識員は、サツ官とは違うんすか?」
ぐっ。郁美は返す言葉を見つけることができなかった。どちらかと言うと、建物の中でじっと証拠品に向き合う時間が長かったせいで、現場の空気を少し忘れかけていたのも確かだ。
それにしたって。痛いところを的確にかつ、鋭く突いてくるこの男。今後、彼のことは【足つぼ君】と呼ぶことにしよう。
あ、どうも。
古川です。
実は俺、警察官になる前は漫画家やってたんすよ。マジで。
なろうでも読めるんで。よろしく。
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