71:竹馬の友と違うのん?
それにしても。
被害者の母親とその曾祖母、そして父親。
先ほどのやりとりを思い出しただけでも気分が悪い。なるほどああ言う家庭で育った子供なら、他の子にどう接するかなんて、現場を見るまでもない。
ただふと、和泉はあの婿養子が言っていたことが気になりだした。
『わざわざ県警本部にまで乗り込んで行って、妙な因縁つけて……』
「で、その教育関係者のはずの出しゃばりバァさんが……」
『聡さんにいったいどんな因縁をつけてきたって言うんです?』
と、言いかけて飲み込んだ。
急に休暇を取る、なんて言いだした原因はきっとそこにある。そう思ったら、やはり訊かない方が良い、と考え直した。そこで、
「……ご立派な教育者のひ孫は、クラスメートを虐めるような見事なクソガキ様だったということですよね」
しばらく返事がなかった。
「……聡さん?」
「実は、その場面を実際に見たんだ」
ぽつり、と聡介が言う。
「……え?」
「あれは、何曜日だったかな。遺体が発見される前の日の夕方……」
和泉は驚いて父の横顔を見た。
「3人分の荷物を全部持たされ、よろよろ歩いている子がいた。その子を後ろから蹴飛ばしたのが、山西亜斗夢……被害者だ」
そんなことがあったのか。
「顔を見てすぐにピンときた。あれは、山西の家系だって」
聡介は遠くを見つめ、
「もう関係ないって思っていたのに……なんて言うんだろうな。恥ずかしさとか情けなさとか、いろんなものがない交ぜになって……正直、見ていられなかった」
めずらしい。
彼がそんなふうに自らの心情を吐露するなんて。
「聡さんが恥じることなんて何もないじゃないですか」
「……そうなんだろうな……でも」
人の心とは複雑なものだ。
「子育てに関しては、聡さんはむしろ誇ってもいいんじゃないですか? お嬢さんを2人とも、あんな立派に育て上げたんだから」
和泉は続ける。「あるいは娘達は勝手に育ったとでも? そんな訳ありませんよ。子供は親の背中を見ていますから」
少しだけ父の頬に赤みが刺したのがわかった。
「だから。今はただ、真相を突き止めることだけを考えましょう?」
すると、
「お前の口からそんな、まともな台詞を聞くとは思わなかった……」
「失礼な!! 僕はいつだって真面目じゃないですか」
そういうことにしておいてやる、と父は笑う。
良かった。少しだけ元気が出たようだ。
それから和泉は思考の世界に入った。
被害者の元に届いた黒い葉書。
そして殺害に至る強い動機となり得る状況について。
いずれの件も警察が介入することは難しい【トラブル】が起きていたこと。法律に触れる訳ではないにしろ、確かに被害を受けた人物達がいるという点。
何もかもが似ている。
御堂久美の事故およびブロガー3人組の事故と。
ただ今までと今回で大きく異なるのは、明らかに殺人事件だとわかることだ。謎の言葉を残した、熊谷という主婦のアリバイを調べる必要があるだろう。だが、すぐに自分が疑われるとわかっていてあえて実行するものだろうか。
その時。
頭の片隅に置いておいたメモが顔を出した。
以前、ほんの思いつきのつもりで守警部に話した【嘱託殺人】の可能性。
和泉の中でますますそれは存在感を増していた。
守警部はどう考えているのだろう?
後で彼を探して、話してみよう。
その時、2人の目の前を野良猫が横切った。
「……さば?」
聡介が呟く。
「え? 今の、どう見ても三毛猫でしたけど」
「ああ、そうだな……」
「どうしたんですか?」
「今朝、急にいなくなったんだ。さばが……」
「その内にふらっと戻ってきますよ、きっと」
「……だといいんだが……」
どうも父はすっかりナイーブになっている。
※※※※※※※※※
「ねぇ、謙ちゃん。聡ちゃんを山西の家に向かわせて大丈夫だったの? それも彰ちゃんと一緒に」
聡介と和泉のコンビが被害者遺族の家に行ったと聞いた北条は心配になってしまった。
会議室にいるのは今のところ自分と長野だけなので、いつも通りの口調で話しかける。
「……ゆっきーは聡ちゃんの【事情】を、何をどこまで知っとるん?」
「まぁ、一通りはね」
「さすがじゃのぅ。ゆっきーは何でも知っとる。のぅ? ひじりん」
「お久しぶりです、長野課長」
いつの間に。気配を消して入って来たから気がつかなかった。
聖いつき警部はいつの間にか尾道東署の会議室に入りこんでいた。
確かにここで会おうと伝えてはあったが。常々、この男は忍者じゃないのかと北条は思う。
「例の件でご報告があります」
北条は少し待って、と辺りを見回した。
通信機器も何もかも、電源が入っていないことを確認する。
「マルBの所在がつかめたの?」
マルBとは北条と聖の間で決めた暗号であり、その意味は【相馬要】である。またマルAは、最初に調べて欲しいと依頼した【半田遼太郎】のことだ。
「何なに~? マルBってことは、Aもあるんじゃろ?」
もう少し緊張感を持てないのだろうか、このゆるキャラ親父は。
「ちょうど今から、謙ちゃんにも報告しようと思ってたところよ」
「ふーん……ひじりんが登場するってことは、何か深い裏があるんじゃの?」
長野は聖を見つめて言う。
「彼と知り合いなの? 謙ちゃん」
「竹馬の友ってやつじゃ~、のう?」
「……北条警視、長野課長には何をどの程度、お話しなさっているのですか?」
実はまだこれからだ。
「おっ友達ぃ~……じゃないのん?」
面倒くさい。さすがに和泉の親戚だ。
聖も同じように思ったのか、あえてそこには触れず、
「それでは、私から改めて概要をお話ししましょう」
彼は、北条が世羅高原で見た着ぐるみの中の人物……半田遼太郎に興味を抱いたきっかけ、そして。半田を含めてもう1人、彼の親しい人物……相馬要が、どうやら嘱託殺人を請け負う闇サイトを運営している疑いがあることを、簡潔にまとめて説明してくれた。
ただし、相馬が北条の古い友人であることは言わないでいてくれた。
さすがの長野も真面目に、真剣に耳を傾けている。
「今回、こっちの事件でも被害者宅に黒い葉書が届いたって聞いたから、もしかしてと思ってね」
刑事課長はしばらく黙って何か考えていたが、
「今回の事件に関して言えば、鑑取りの方でそのうち何か出てくるじゃろう。でも、なぁ……」
鑑取りとは被害者の交友関係および、日頃の生活態度などを調べることである。
「警務部長の孫、だったかしら? 捜査員が妙な忖度をする可能性があるわね。たとえば手のつけられないクソガキだったとしても、ハッキリとは言わない……」
「聡ちゃんは、そんなことせんよ」
そう言えばそうだった。
恐らく彼は他の誰よりも聡介が一番、きちんと仕事をすると考えて、あえて彼を被害者遺族の元に遣わしたのだろう。その判断は間違っていないと北条も思う。
「ご報告を続けてもよろしいでしょうか?」
聖の声で我に返る。
「マルBですが……広島市中区八丁堀○丁目○○……こちらの3階で、表向きは猫カフェを営んでいます」
「猫カフェ?」
「はい、そのように登録してあります。店名はラング・ド・シャ」
確かフランス語で【猫の舌】という意味だ。そう言えばあの男は猫が好きで、猫舌でもあった。
「主に保護猫を集め、時折、譲渡会も行っているそうです」
「本人が店に出ているの?」
「肩書きはオーナーとなっています。現在のところ、アルバイト2名。そしてマルAは表向き、共同経営者となっております。そしてマルAは別途、各種代行サービス及び清掃業を行う店も経営しています。その屋号は【猫の手】」
「……猫カフェに、猫の手かぁ~」などと、長野は呑気に言う。
北条はふと思い出したことがあった。
「ねぇ、それってもしかしてこの店じゃない……?」
和泉が藤江周に確認して欲しいと言った例の写真は確か、どこかの猫カフェだったはずだ。北条はスマホを取りだして画像を見せた。
失礼します、と聖はそれを受け取って顔を近付ける。
「そうです。この店で間違いありません」
確か和泉が、昨日の朝、廿日市市五日市埠頭で発見された事故車の件を調べたいと言っていたはずだ。捜査1課強行犯係第二班の守警部と共に。
彼のメールには、引き揚げられた車の中から、脅迫状とも取れる黒い葉書が発見されたこと、亡くなった3人組女性の元に『BLACK KITTY』を名乗るサイトからもやはり、殺害予告ともとれるメールが届いていた、と。
例の闇サイトでは、依頼を受領すると決めた際、ターゲットに宛てて脅迫状を送ることにしているらしい。それが裏表両面共に黒く、猫の絵が描かれた葉書。
千葉で起きた事件の被害者の元にも何枚か葉書が届いたそうだ。