70:お前は黙ってろ
「そのことなんですけど!!」
被害者の母親、山西瑠璃子は急に何かを思い出したのか、大きな声で叫んだ。
「昨日、あなただって見ましたよね?! あの女……あの子供の母親ですよ!!」
「あの子供の母親?」
そうだ。遺体が発見され、鑑識が到着して作業をしている間にゴタゴタがあったことを聡介は思い出した。
黒い葉書を手に『あんたの仕業でしょ?』と彼女は、ある女性に詰め寄っていた。相手はまったく何も答えず、ただ薄ら笑いを浮かべていただけだが。
その女性はつい昨日、和泉の運転する車の前に飛び出してきて、謎の言葉を残して行った人物であった。名前は確か『熊谷』だったはずだ。
「昨日の、とおっしゃいますと?」
本当は覚えている。だが聡介はあえて忘れたフリをした。
すると瑠璃子は自分の中で何かしらの【結論】を出したようだ。
般若のような怒りの表情を浮かべ、
「そうだわ、絶対にあいつの仕業よ……間違いない!! あんな気持ちの悪い葉書を送ってきたのだって、そうよ!! 熊谷だわ、絶対に!!」
急に彼女は立ち上がり、リビングを出て行こうとする。
「待ってください、どちらへ?!」
「……呼んでくるんです、今すぐここへ!! 熊谷篤の母親を!!」
瑠璃ちゃん!! と、彼女の祖母が駆け寄る。
何か耳打ちをされ、それでようやく少し落ち着いたようだった。
瑠璃子は脱力したように、再びソファに腰かける。
「恐れ入りますが、熊谷篤君と仰るのは? 今のあなたの発言からすると、御子息がその熊谷さんという親子に、何か強い恨みを抱かせるような非道なことをしでかした、と僕にはそう聞こえるのですが?」
冷静な声で和泉が問う。
すると、
「もう、ここまでにして頂戴!! 我が子を亡くしてショックを受けているのに、無神経な質問は止めて!! さ、行きましょう」
ヒステリックに叫んだかつての義母は、孫娘の手を取ってリビングを出て行く。
話にならない。
どうします? と、和泉が目で問いかけてくる。
いったん引き揚げよう、と聡介はやはり視線で答える。
2人は同時に腰を上げた。
「また、お話をうかがいに参ります……」
「あ、俺も煙草を買いに外へ出ます」
瑠璃子の夫が立ち上がり、刑事達より先に部屋を出る。彼はしかし靴を履いたまま玄関に立っていた。
「お話し、しませんか。外で」
※※※※※※※※※
婿養子だな、と和泉は直感した。
その態度や物腰ですぐにわかる。家の中ではひたすら嫁に平身低頭、逆らわないでおこう。ところがそれにも段々と疲れたのか、今度は何もかもシャットアウトしてスマホゲームの世界に入り込むことに決めた、そんなところではないだろうか。
「……俺、婿養子なんですよ」
やっぱりね。
「瑠璃子とは大学で知り合って……今日は大丈夫だって言うから信じてたのに、まんまと騙されて、子供ができたから結婚しろって。俺、まだ就職決まってなかった頃ですよ? そしたら婿養子に入ればいいからって、あいつの親戚が経営してる会社の……一応、専務の肩書きはもらったんですけど、別にやりたかった仕事じゃないし……」
「そんなことより」
和泉は放っておけば延々と続きそうな愚痴を遮り、質問を開始した。
「学校で何かあったのか、ご存知なんですか?」
「……早い話がイジメですよ、イジメ……」
被害者の父親はまるで他人事のように語る。
「誰が、誰を?」
「たぶん、うちの子が……さっきあいつが言ってた熊谷って子をです」
「なぜそんな真似を?」
すると婿養子は頬を歪めるような笑い方をする。
「イジメに理由なんかありませんよ。単純に気に入らない、それ以外に何かあります?」
「あなたの意見の是非はともかくとして、それが事実だったとご存知だったんですね?」
「そりゃぁ……一応、それとなく担任が言ってきたことがありましたよ。だけど瑠璃子の奴、親バカで。子供同士がふざけ合ってるだけなのに、大げさにする方が問題だって言い出して」
「……向こうの親御さんは、それで納得したんですか?」
「知りませんよ、そんなこと」
夫婦揃って親バカではなくバカ親だ。無関心にもほどがある。
そんなこちらの胸中など知ってか知らずか、彼は続ける。
「そうこうしてるうちに、例の変な葉書が届いたんすよ。最初はその何とかっていう子供の母親の仕業だと思ったんですけど。それで瑠璃子の奴、あの婆さんに相談したんです。あいつ子供の頃から婆さんに猫可愛がりされてたから」
だろうな、と和泉も思った。
「そしたらあの婆さん……なんかいきなり頓珍漢なこと言い出したんすよね。知ってるでしょ、刑事さん? 確か、高岡さん……ですよね。瑠璃子の叔母さんの、別れた旦那さんだって聞きました」
そうだったのか。
道理で、聡介の様子がいつもと少し違うと思っていた。
「過去にあいつの叔母さんと何か揉めたことあったんでしょう?」山西家の婿養子は父の顔を見て嫌な笑いを浮かべる。「詳しいことは知らないけど、なんか大変だったそうじゃないですか」
その【何か大変だった】ことの詳細を和泉は概要しか知らない。
だが今は、そのことは重要ではない。
「それよりも……」
話を元に戻そうと和泉は試みたが、
「その時のことで今になって恨みを晴らしてやろうって、ほら、あの葉書にもそんなことが書いてあったじゃないですか。そこで婆さん、わざわざ県警本部にまで乗り込んで行ったんですってね。あんたの仕業だろうって、因縁つけられたでしょう? 災難でしたね」
口先では気の毒だと言いながら、内心では嘲笑っているのが一目でわかる。
和泉は殴りつけてやりたい衝動をどうにか抑えた。
「って言うかさぁ。山西の家系の女って……あれ、ほら女郎蜘蛛ですよね? 目をつけた男は必ずものにして喰っちまう……まぁ、俺も喰われた方だけど……刑事さんもそうでしょう?」
「黙れ」
和泉の表情に気圧されたのか、婿養子は怯えた表情になる。
「余計なことは言わなくていいです。こちらの質問にだけ答えてください、わかりましたか?」
「お、俺が知ってるのは……そんなところです……」
役立たずめ。
おまけに余計なことを言い出すから、何が本論だったのかわからなくなってしまった。
和泉は舌打ちしたいのを必死で我慢し、もう1つ聞いておきたいことを確認する。
「ご子息は【せらやん】がお好きですか?」
その姿を見たら、無条件でついて行ってしまうほどに。
「あ……ああ、あの世羅高原の。ええ、えらい気に入っていましたよ。ついこなだいもせらやんに会いたいから連れて行けって……でも」
「でも?」
「少し嫌いになった、って言ってました」
「なぜです?」
「……詳しくは知らないけど、叱られたようなこと言ってました」
どうせマナーの悪いことをして注意されたのだろう。
自分の家族のことなのに『詳しいことは知らない』だらけだ。
その時ふと、聡介が何かを思い出したような顔をしたのに気付いた。
「ご協力、ありがとうございました」
聡介はすっかり顔色を悪くしている。
あのゆるキャラじじぃ、もしもこうなることを予測した上で自分達に、この家に事情聴取に行けと命じたのだったら……タダではおかない。
「……さくらちゃんから聞いた話も併せて、被害者は同じクラスの子をイジメていた、それゆえに恨まれていた……それは間違いないですね」
和泉は聡介に向かって話しかけたのだが、反応はなかった。
「聡さん!!」
「え? あ、すまん……」
「もしかしなくても、昨日、車の前に飛び出してきたあのオバさんですよね? その熊谷なにがしって言うのは」
「ああ、間違いない」
「子供のイジメに関して、さくらちゃんにも、聡さんに何とかしてもらえないかって相談に来た……でも……」
何の解決にもならなかった、はずだが。
『世の中に正義って、ちゃんとあるんですねぇ』
確か、そんなことを言っていた。
「相手は教育委員会にも太いパイプのある家だからな、学校としても担任としても強くは出られないだろう」
「そうなんですか?」
「さっきの山西瑠璃子の祖母は……実家が全員、教育者でな。教育委員会に籍を置いてる人間が何人もいる」
それは確かに厄介だ。
和泉は深く溜め息をついた。