7:とりあえず【さば】という名前で落ち着きそうです
猫カフェに制限時間はないらしいが、段々と店が混んできた。
「なぁ、買い物もしたいからそろそろ出ないか?」
などと、倉橋がむごいことを言う。
「俺、まだほとんど猫に触ってないよ……?」
「あきらめろよ。だいたい、周は前のめりなんだよ」
「前のめりって……?」
「自覚がないのは始末が悪いよなぁ……誰か知ってる人の家の猫、触らせてもらえば?」
思い当たる猫はいない。
「あるいは。めちゃくちゃ頑張って、自分でペット可能物件を買うとかな。せいぜい警部補ぐらいにならないと無理だろうけど」
「警部補……」
気が遠くなる。
「それよりさ、俺ちょっと、デパート行きたいんだけど」
「僕もだ。文房具売り場を見たい」
倉橋の言葉に上村が同調する。
すると友人はどうしたことか、口をポカンと開けて硬直している。
「じゃ、じゃあさ。車はそのまま置いて、歩いて行こう?」
声がやや上擦っている。
周の推測だが。多分彼は、初めて上村とごく普通の会話が成立したことに、驚きを隠しきれないのだろう。
その時だった。
入り口の方から甲高い女性達の声が響き渡る。
「マジ、ちょーかわいい!!」
「ねぇねぇ、この子どう?!」
「いい感じー!!」
派手な格好をした若い女性達の3人組。いわゆるギャルと呼ばれる人種だろう。自分の半生においてまず縁のない女性達だ。しかも1人は小さな子連れである。
全員が揃って頭に猫耳カチューシャをつけているのがイタい。
さっそく、連れて来られた子供が奇声を発しながら店内をバタバタと走り回る。
逃げまどう猫達。
「お客様、猫が嫌がっていますので……」
店員がたしなめるが、
「えー、なんで?! こっちはお金払ってんだよ!! そもそも躾がなってないんじゃないの?!」
そっちがな。
周は苦々しい思いでその様子を見ていた。
「ねぇ、これどう?!」
ギャル達は子供と猫一匹を抱き上げ、ポーズをとっている。
「いいね~、映えるぅ~」
パシャパシャ、フラッシュをたきながら次々と写真を撮る彼女達を、まわりの他の客もやや引き気味に見ていた。もしかするとあれがSNS映えとかいうやつだろうか。
とうとう我慢できなくなった猫が、しゅたっと床の上に降りるのと、女性の悲鳴が上がるのはほぼ同時だった。
「痛いっ!!」
そして子供が再び奇声を上げ、猫を追いかけ回す。
「お客様、他のお客様のご迷惑になりますので……」
「いいじゃない、こっちはお客様なんだからね!!」
「そうよ、猫に触れないで何が猫カフェなんね!!」
もはや理屈にすらなっていない滅茶苦茶な言いがかりだ。
「おい、いい加減にしろよ!!」
我慢できなくなって周は口を挟んだ。
ジロリ、と濃い化粧の女性達が一斉にこちらを睨む。
「自分達だけが客だと思ってるのか? 店の人が迷惑してるし、猫達だって大迷惑だ。マナーもルールも守れない奴に猫を触る資格なんかない!!」
しかし。
女性達は舌打ちしただけで、完全にシカトである。
すっかり頭に血が昇った周の肩を叩いて前に進み出たのは、上村だった。
「あなた達のしてることは威力業務妨害……簡単に言えば営業妨害です。3年以下の懲役、50万円以下の罰金もありえます。前科がつきますよ」
女性達はさっ、と青ざめた。
まわりの客たちはニヤニヤ。
彼女達はさっ、とカバンを手に店を出て行く。
「あ、ありがとうございました……!!」
店員である若い女性がぺこりとお辞儀する。
周達も店を出た。
「……藤江巡査……」
「なんだよ?」
「君は何のために刑法を習っているんだ? 警察官なら警察官らしく、道徳的倫理を説くのではなく、法律で語れ」
返す言葉もない。
「いやでもさ、さすがに威力業務妨害ってのは……大げさじゃないか?」
フォローするように倉橋が言う。
「民間人はほとんど法律など知らない。適当なことを言って脅しただけだ」
さらりとそう答えた上村に、周はあきれるやら驚くやらだった。
「……に、したってさぁ……ああいうマナーの悪い客って最近ホント多いよな。マナー違反じゃ逮捕、検挙できないし……」
倉橋は猫カフェの入っていたビルを見上げながら呟く。
「マナーを守れない人間は、法律だって守らないだろう」
上村は言う。
「ま、それは同感だな。赤信号を平気で渡る奴だって、厳密に言えば道交法違反だもんな」
「それらすべてを検挙しようと思ったら、何人警察官がいても足りない」
確かにそうだ。
すると上村はなぜか遠い目をして、
「法律で明確に定められていないことであっても、それを守らなかったことによって起きるのが事件だ……」
そんなことを言い出した。
「法には抜け穴がある。かいくぐることのできる網目が……そうして、法では裁くことのできない悪が……」
どうしたんだ? こいつ。
周は倉橋の顔を見た。
友人も微かに首を傾げている。
2人が黙っているのを見た上村は、少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「行こう、文具を見に行きたい」
※※※※※※※※※
さて。猫が逃げてしまわないよう、店の人に事情を話してしばらく預かってもらい、その内に買い物を済ませたのだが……大荷物になってしまった。
聡介は歩いてここまで来たことを後悔していた。
一度帰宅して車を取ってくるか……と思ったのだが、ふと和泉の顔が浮かんだ。
頼めばすぐに来てくれるだろう。が、私的な用事で呼び出すのはどうも気が引ける。
思えば自分が若かった頃は、先輩警官が引っ越しをするからと、休みの日に手伝いに駆り出されたり、親を病院へ連れて行くから車を出せとか、公私混同も甚だしかった。
体育会系の不文律と言えばそうなのかもしれないが、聡介自身はそういうのが嫌で、決して後輩の世話にはなるまいと決めていたのである。
と、思っていたら携帯電話が着信を知らせる。
『はぁい、聡さん。あなたの可愛い息子ですよー』
思いがけず和泉からだった。
「彰彦か、どうした?」
『いえ、そろそろお昼時じゃないですか。冷蔵庫に何もないし、何か食べさせてもらえないかなー、って』
「俺の家だって似たようなもんだ」
1人暮らしをしていて、しかも仕事で家を開けることが多いとなると、必然的に冷蔵庫は空のことが多い。あるいは、何年も前に賞味期限の切れた調味料などが入っていたりもする。
『じゃあ、一緒にどっか食べに行きましょうよ。聡さんの奢りで!!』
「……わかった……」
『え、ほんとですか?!』
その代わりこの荷物を運んでもらおう。
これで貸し借りなしだ。
和泉はすぐにやってきた。
「これはまた、随分な荷物ですね……って、猫……?!」
トランクに荷物を積みながら、彼は驚きをあらわにした。
子猫は買ったばかりの籠の中でニャーニャー鳴いている。
「聡さん、猫を飼うんですか?!」
「……なんとなく、口車に乗せられて……」
聡介は店先で出会った幼い少女のことを、かいつまんで話した。
我ながら、情に流されて警察官らしくない行動をしてしまったと今になって、少し後悔している。
しかし和泉は、そんなこちらの心情を察してか、
「ま、いいんじゃないですか? 猫は放っておいても平気だって言うし。それに今は、ペットシッターなんていう人もいますから」
「そんな職業があるのか?」
知らなかった。
「可愛いですね、サバトラかな。もう名前は決めたんですか?」
「そんなもん『ねこ』でいいだろう」
「……聡さんって、変なところで雑ですよね。せっかくなんだから可愛い名前をつけてあげてくださいよ。あ、サバっていう名前はなしで」
なぜバレたんだ? サバと呼ぼうと思っていたのが。
ひとまず買った荷物を家に持って帰った。
「聡さん、どこの電球が切れたんです?」
勝手知ったる家の中、和泉はキョロキョロと天井を見回している。
「なんでわかるんだ……?」
「何年の付き合いだと思ってるんですか。電球が切れて、買い置きがなかったからホームセンターまで出かけて行ったんでしょう? わかりますよ、それぐらい」
息子はにっこりと、邪気のない笑顔を見せた。