67:猫の呪い?
既定の順路を巡回し終え、正門すぐ傍の模擬交番が目前に見えた。
あそこまで到着すれば少しの時間だけ仮眠が取れる。模擬交番とはいっても中の造りは実際の建物とまったく同じであり、奥に休憩用の和室が用意されている。
それにしても、どうしてよりによって今回の相方が栗原なのだろうか。
水越ではなかっただけマシかもしれない。口ばかり達者なあの男、今まで目立たなかったが、いなくなったアイツによく似たタイプだ。
唯一異なるのは、カメレオンのように相手によって態度を変えるところだろうか。あの男は教官の前では真面目な学生を演じている。
簡単に言えばお調子者ということだ。
周はなるべく栗原の顔を見ないようにして帽子とジャケットを脱いだ。
本当は栗原に訊きたいことがあった。まだ少し熱を持って痛む足の怪我。倉橋はワザと足を引っかけて転ばせた、と言っていたが。
やめよう。
仲間を信頼できない奴に警察官を名乗る資格はない、と他の人間に向かって叫んだ自分が。
2つ折りにした座布団に頭を乗せ、畳の上に身を横たえる。
目を閉じてもなかなか眠りにつけない。
疲れているはずなのに。
急に和泉に会いたくなった。
あの能天気極まりない笑顔で、愚にもつかない冗談を言って欲しい。
あきれかえって何も言えないことも多々あるけれど。
それでも彼が傍にいると、それだけで気持ちが落ち着くのも確かだから。
それからふと思い出した。
そう言えば今週はまだ姉に連絡していない。
電話しないと……心配しているに違いない。
時間的な余裕がなかったのもあるし、向こうも今はちょうど忙しい時期だから遠慮していたというのもあるが、一番の理由は。
こっちに帰っていらっしゃい、と言われたら本気で甘えそうになってしまう気がしたから。
一時的に『帰省』するのではなく、警察を辞めて一緒に旅館の仕事をしないか。
以前にも一度だけ言われたことがある。姉は本気だ。
でも。
警察官になるんだと一度決めたからにはやり遂げたい。
現実が辛いから、と逃げ道を用意したくない。
こんなことを思い出すのはきっと、心身ともに疲れている証拠だ。
なんとか眠らないと。
周が目を閉じた時だった。
ふと、模擬交番の入り口の方で物音がした。
怪訝に思って周は身を起こし、窓からそっと外の様子を伺う。すると。
見覚えのある横顔が目に入る。雨宮教官だ。
誰かと話をしている。黒いスーツの、見知らぬ男。関係者以外が敷地内に入ってくる訳がないので警官の1人なのだろうが。
2人は真剣な顔で何か話し合った末、それぞれ反対側に歩き出した。
気にすることないか。そう思って周は再び身を横たえたが、今度は正面玄関の方から声が聞こえてくる。
「藤江周、いる?」
それは北条の声だった。
「はい」返事をしながら起き上がり、周は仮眠室を出た。
何だろう。少し不機嫌そうな顔をしている。
この人も意外にわかりやすい。誰か何かをしでかしたのか、あるいは自分だろうか?
やや身構えていると、
「ちょっと見て欲しいものがあるのよ」
そう言って彼はスマホを取り出し、画面をタップする。
「これ、ここに映ってるの……あんた?」
周は画面に顔を近付けた。可愛らしい猫がたくさん映っていて、そちらに気を取られかけた。しかしよく見ると画面の端っこに小さく、確かに自分の姿が映っていた。
「そうです」
いろいろ思い出した。
ついこないだの日曜日。
倉橋達と一緒に出かけた八丁堀のとある猫カフェで。
まったくマナーのなっていない女性の3人組と子供連れがいて。嫌がる猫を無理矢理に抱き上げたり、奇声を発する子供を走り回らせたり。
つい怒って文句を言ったことも。
「これが何か……?」
「覚えてることをできるだけ話して」
不思議に思ったが周は、言われるまま記憶にあることを答えた。
北条は黙って聞いている。
「……この人達が、どうかしたんですか……?」
「今朝、死んだらしいわ。揃って全員」
「えっ……? あ、そう言えば……」
昼間、ニュースで見た。
「知ってるの?」
「ニュースで見ました」
「そう。車ごと海に転落したんですって。それでいて猫の……」
「猫の、何ですか?」
言ってからしまった、と思ったのか、担当教官は視線を逸らす。
「……まさか、猫の呪い……?」
すると。北条は目を点にし、しばらく無言でいたが。急に腹を抱えて笑いだす。
周は冗談を言ったつもりはなかった。彼女達の行動はあまりにも猫に対して失礼だったし、だからと言ってさすがに【呪い】はないかもしれないが……。
「あ、あんたって……意外に天然なのね……あははは……!!」
どうリアクションしていいのかわからず、周はむすっとしていた。
「あ~、おかしい。久しぶりに笑ったわ……」
そう言いながら北条は妖艶な笑みを浮かべ、なぜか顔を近付けてくる。
和泉とはまた違ったオーデコロンの香りがする。
「たまには連絡してあげなさい、お姉さんにも、彰ちゃんにもね? 明日だけ、特別に携帯返してあげるから」
なぜ耳元に囁く?
普通に言えばいいじゃないか。周は顔に血が集まってくるのを感じた。
じゃあね。ポンポン、と頭を撫でてから彼は去って行く。
周は仮眠室に戻った。
栗原はこちらに背を向けて横たわっていた。毛布がずり落ち、いかつい肩が出てしまっている。
この頃は朝晩の気温が低い。起こさないように気を遣いながら、周は膝立ちで畳の上を移動し、毛布をかけ直してやった。
※※※※※※※※※
翌朝。ゆさゆさと肩を揺すられ、聡介は起こされた。
子猫にしてはやけに力があると思ったら、驚いたことに娘だった。
「お父さん、大変!!」
「さくら? どうした」
「猫ちゃんが……さばちゃんがいなくなっちゃったの!!」
「え……?」
「今朝、私がお勝手の扉を開けたと同時に外に飛び出して行っちゃって……それから帰ってこないのよ」
聡介は布団の上に半身を起こし、目を擦った。
「猫なんてそんなもんだろう。気にするな」
「でも……」
「どうせまた、ふらっと戻ってくるんじゃないか? 気まぐれな生き物なんだから」
そうかしら、と娘は納得のいかない表情をしてみせる。
外は危険がいっぱいだから、家から出さないようしつけた方がいいよ?
リョウがそう言っていたことを思い出す。
ただ縄張りというのもあるだろうし、そう遠くまで出て行ってしまうことはないだろうと、初め聡介は気軽に考えていた。
しかし段々と、帰る家がわからなくなったりしないだろうか……という不安にも駆られた。
その上、このあたりは野良猫が多い。
ケンカになって怪我でもしたら?
落ち着かなくなってきた。
そうは言っても、支度をして仕事に行かないと。
どうせ聞き込みで歩き回るのだから、そのついでに偶然見つけることができるかもしれない。
希望的観測を胸に聡介がリビングに行くと、
「お義父さん」
優作が花束を手に近づいてくる。
「これを、お義父さんに……」
「お前が? ……気持ち悪いな」
「俺じゃありません。さっき新聞を取りに玄関へ出たら、ドアの前に置いてあったんです」
何の花だろう?
2種類ある。
鮮やかなピンク色と、淡い薄紫色の花。
「せらやん、せらやん!!」
孫が嬉しそうに花を指差す。
「せらやん……?」
するとさくらが、
「ああ、そうね。せらやんが持っているお花と一緒ね」
急になぜか嫌な予感がした。
「おい、優作。何の花なのか、花言葉も一緒に調べてくれ!!」
つい和泉に言うように義理の息子に言ってしまった。
すると彼はスマホを操作し、
「ダリアの花と……もう1つはシオンですね。それぞれ花言葉は【裏切り】【移り気】そして【別れ】だそうです」
何か意味があるのだろうか?
猫がいなくなったことと何か関係が?
とてつもなく不穏な予感がしてきた。
ただの勘ではあるのだが。