66:自衛隊員と合コン
呉市は警察学校のある坂町から15キロほど南下した、海上自衛隊の基地があることで有名な場所である。
実を言うと和泉はまだ足を踏み入れたことがない。
呉駅の南、海側はほとんど工場地帯と自衛隊関連の施設が占めている。夜も更けたこの時間帯に歩いている人間はほとんどいない。北条は行き先を言わず、交差点が近づくと左右の指示だけを出す。
やがて到着したのはとある居酒屋の駐車場であった。
その頃には元気を取り戻していた和泉は、
「ひょっとして自衛隊員と合コンですか?」
呉と言えば海上自衛隊。冗談のつもりで言ったのだが、
「そんなところね」
で、飲んで帰りたいから車を運転しろと……。冗談じゃない、こっちは明日も捜査のために尾道まで遠出しなければいけないんだ。
運転代行を頼んでください、と言いかけた和泉の声は、襟首を引っ張られ、先に店内に入れられたことでかき消されてしまった。
賑やかな店内にはなるほど、一目で自衛隊員だとわかる筋肉マン達が揃っている。
好みのタイプがみつかるといいですね、警視どの。
和泉は無言のまま、されるままにカウンター席の隅に座った。すると。
「キャー、すごーいっ!!」
背後から女性の黄色い声が聞こえた。
「うわ~、ホントだ。かっちかちー」
何の話なんだか。
「……お相手は……?」
和泉は隣に座っている北条の横顔をちらり、と見上げた。
「黙ってて」
そう言われたら黙るしかない。
一体彼が何を考えているのかわからないまま、しばらくは水だけを口にした。
しばらくして、
「……今日のは……どうだった?」
「いや~、俺に言わせれば正直50点ってとこかな」
「マジか?! 30点もいかねぇよ、あんなの」
「1人だけちょっといい子いたけど、まぁ中の中ってところ?」
どうやら背後では合コンが行われていたようだ。男達が好き勝手に相手の女の子達に点数をつけている。
今頃、女の子たちもトイレで会議をしているに違いない。
それにしたって……何のつもりだろう?
やがて。ありがとうございました~、と店員が客を見送る声が聞こえた。
「……あーあ……今日は時間の無駄だったなぁ」
その時だった。
北条が突然振り返り、知らない若い男性に声をかけたのは。
「あんた、都築3等海曹って人?」
声をかけられた方は目をパチクリさせ、少し酔いが回っているのか、なぜか拳を握って戦闘態勢をとる。
やめた方がいい。この人にケンカを売ってもれなくついてくるのは、骨折サービスしかない。
ついでに和泉は相手をよく観察した。
短髪に四角い顔の輪郭。耳が餃子のように潰れているのは、長い間柔道をやってきたのだろう。警察にもよくいるタイプだ。太い眉に飛び出しそうなほどの大きな目。
シャツをしっかりズボンの中に入れているとか、ボタンをきっちり一番上まで止めているとか、腕に多機能時計がハマっているあたりとか、なるほどこれが【自衛隊カジュアル】か……。
ちなみに座敷の靴脱ぎにはやはりスニーカーが置いてあった。
「なんだよ、あんた?」
「聞きたいことがあるの。おごるからついてきて」
北条は声をかけた相手の腕をつかみ、それもけっこうな太さがあったのだが、片手で軽々と引っ張って行く。そしてあっという間に外へ出てしまった。
彼の仲間であろう男性陣がポカンと様子を見守る中、和泉の胸元に店の伝票とクレジットカードが飛んできた。
カードの名義は『YUKIMURA HOJO』となっている。
ゴールドカードじゃないか。
お金持ちだよなぁ……と思いながら、和泉はレジで支払いを済ませた。
車に戻ると北条はギョロ目の自衛隊員と共に後部座席に座っている。
「……坂町の【おおみや】っていう店にお願い」
「え?」
※※※
もはや時刻は午後11時半。
飲み屋の客が千鳥足で次々と店を出て行く。
北条が何を考えているのかさっぱりわからないが、和泉も、無理矢理連行されてきた自衛隊員と思われる男性を連れて店の中に入る。
にゃ~ん、と黒猫が出迎えてくれる。
北条は店主に向かって冷酒3合を注文した。
店主は以前、和泉が守警部や長野と一緒に事情聴取したことのあるあのスキンヘッドの男性だ。彼は和泉のことを覚えていたらしく、こちらを見ると表情を変えた。
しかしすぐ何もなかったように、調理台の方へ視線を向ける。
他の事件が重なって忘れかけていたが、店主の娘は、婚約者を他の女に奪われたショックで自殺してしまった。そして奪った女もまた、結婚式の日に招待客はおろか、花婿さえ姿を見せずにすっぽかされた挙げ句、帝釈峡で遺体となって発見されたことを思い出す。
所轄は早々に事故として処理してしまったが。和泉は殺人を疑っている。
その件で一度は店主を疑ってみたが、調べてみたところ彼には確実なアリバイがあった。
そんな和泉の回想を遮るかのように、
「悪かったわね、突然。アタシ、こういう者なんだけど」
北条は名刺を取り出し、都築と呼んだ男性の前に置いた。
「……警察の人って、いつもそういうやり方なんですか……?」
当然だが、相手は警戒心でいっぱいだ。
「この人だけ特別です」
思わず和泉は口を挟んだ。
「あなたにどうしても聞きたいことがあるの。相馬要っていう男のことで」
「相馬……?」
「他にも何人かに聞いたけど、どうもタブーみたいでね。一番親しかったって言うあなたのことを聞いたの。知っていることを教えてもらえないかしら?」
すると彼は急に怯えた表情になった。
「そ、そんな……タブーだって知ってるんなら、俺なんかに……」
「申し訳ないと思ってるわ。だから、この件は一切他言無用よ」
何の話だ?
カタン、と何かが床に落ちる音。店主がしゃがむ姿が見えた。
黒猫がたたっ、と走ってきて、北条の膝の上に乗る。
ややあって、
「……言えません……すみません」
気の毒な自衛隊員は微かに震えながら俯いてしまう。
腕に物を言わせて吐かせるつもりだろうか、と和泉は考えたが、案に相違して北条は「そう」と、だけ述べるにとどまった。
「……悪かったわね。送って行くわ」
北条は黒猫を床に下ろすと、立ち上がって一万円札をカウンターに置く。
「おつりはいらないから」
その後、呉の駅前まで自衛官を送り届けた。
和泉としては拍子抜けした上、謎ばかりが残って消化不良だ。
「いったい何がどうなっているっていうんですか……北条警視? ソウマさんってどなたです? なんでさっきの店だったんです?」
和泉は北条を質問攻めにしたが、一切回答はなかった。
「……あんた達、しばらくは尾道でしょ?」
「え? ええ、まぁそうですが……」
「アタシも向こうへ行く。今夜は当番だから明日の朝、学校まで迎えに来て」
「……何をお考えですか?」
「いろいろとね」
はぐらかされた。
でもきっと、この人のことだ。
真っ当な手段では得られない【情報】をつかんでいるに違いない。
北条を警察学校の正門前に送り届けた時、思い出したことがあった。
「そうだ!! 周君に訊きたいことがあったんですよ」
「アタシから訊いておくわよ。何?」
文句の一つも言いたいところだが、逆らうとまた痛い目に遭う。
「……これ、周君ですよね?」
仕方ない。和泉は郁美が解析してくれた画像を見せた。今朝、五日市埠頭で車ごと海に転落した女性3人組が運営していたブログである。
彼女達がつい先日訪れた猫カフェに、周も偶々いた。それが何かと言われたら、ただなんとなく気がついたことはないかと……それだけだが。
「事故の詳細と、その画像をアタシのスマホにメールしといて」
どうもなんとなく、今日の隊長さんは不機嫌そうだ。
それから車を降りようとした彼だったが、なぜか急に動きを止めた。
「……どうなさいました?」
「なんでもないわ、じゃあ明日ね」