65:それって八つ当たりエビ?
同僚達を送り届けた後、和泉は車を走らせて警察学校に向かっていた。
北条から呼び出されていたことを思い出したからだ。
こちらの都合も考えず、好き勝手なことを言ってくれる。
そうは言ってもあの人の場合は、結果的にこちらにとって事件解決のヒントになり得る情報を与えてくれるケースがほとんどだから文句は言えない。
周にも会って訊きたいことがあった。
今のところ、彼が例のブロガー3人組と何か関係がありそうにも思えないのだが。
そのあたりはとりあえず『口実』だ。
和泉にしてみれば何かしら理由をつけて周に会いたいだけ。
急がないと、そろそろ消灯時間になってしまう。
が、そう上手くはいかなかった。残念ながらタイムオーバーだったため、和泉は仕方なく真っ直ぐ教官室に向かう。
すると不機嫌そうな表情の北条に迎えれた。
「……ずいぶん遅かったわね」
和泉としてはいろいろ言い訳したいことがあった。ついさっきまで尾道にいたのだから、そうすぐに来られる訳もないし、駿河や友永を送って行ったから回り道をしたことだとか。
もっとも言い訳をしようがするまいが、この人の反応は変わらないだろう。
「……すみませんね」
不貞腐れたように答えると、
「あんたに言いたいことがあったのよ」
「そうですか。申し訳ありませんが、それは後にしてもらえませんか? それより僕も周君に会って聞きたいことがあるんですが。部屋を訪ねても?」
まったく予期していなかった時の攻撃ほど、ダイレクトにダメージを受けるものはない。
和泉は突然、みぞおちに強い衝撃を感じた。
胃液が喉元にせり上がってくる。
声にならない呻きが口から漏れた。
たまらず床に膝をついた和泉は、いったい何が起きたのかを必死に探った。
そうして理解した。北条の爪先に腹部をえぐられたのだ、と。
「……な、にす……です……かっ?!」
「あんた、もうちょっと頭のいい子だと思ってたわ」
「……な……に、が……」
げほげほっ、咳き込み始めた。喉が熱くて苦しい。
「いつの夜だったかしらね。あんた、ここに侵入したことがあったでしょう?」
恐らく昨日か一昨日かそれぐらいだ。
この学校のすぐ近くにある居酒屋の店主に話を聞こうとし、そのついでに周の姿を見ておきたくて、単独でやってきたのは確かだ。
「……いいじゃ、ないですか。関係者なん……ですし……ごほっ」
「そのこと自体はどうだっていいのよ」
じゃあ何だって言うんだ?
「……あの子が、短躯でゴツイ顔の男に絡まれてるの見かけたでしょ」
確かに見た。
いかにも頭の悪そうな教官が、敬礼のポーズがなっていないなどと周に因縁をつけ、手を上げていた場面を。
「それが……何か?」
「あんた、もう一回蹴られたいの?」
北条が右足を振り上げたのを見た和泉は距離をとった。
よろよろと、少し時間をかけてだが。
「僕は別に、何も悪いことをした……覚えはないんですけど……っ?!」
今度は湯のみが猛スピードで飛んでくる。
紙一重でかわす。背後でガシャン、と壁に当たって割れる音がした。
「救いようのないバカね」
わからない。
どうしてそんな言われ方をしなければならないのか。
ようやく立ち上がることができるようになった。
和泉は膝についた埃を手で払い、北条の顔を見た。
怒っているというよりは、心底あきれたという表情である。
「……あんたがあの時、下手に介入した結果がどうなったか……わかってるの?」
すぐにピンときた。
「まさか……!!」
「その時の男は富士原って言ってね。どこの部署でも持て余す、腕力しか能のない頭の悪いゴリラなのよ。弱い者イジメが大好きで、あいつのせいで辞めた人間が何人いるかっていう……同じ警察官を名乗るのが恥ずかしいようなクズよ?」
その時、和泉は自らの失敗を悟った。
あの時、自分が助けてしまったことで、かえって周はその教官に眼をつけられる羽目になってしまったに違いない。
いつも彼の傍にいられればすぐに助けることができるだろう。でも、物理的にもそれは不可能だ。北条がそのことを怒っているのだと気付いた瞬間、蹴られた腹よりも、胸が痛みはじめた。
この学校では理論よりも理不尽がまかり通る。
そのことを自ら、身を持って知っていながらどうしてあんな真似を……。
強い後悔の念に襲われた。
「……周君は……?」
「あの子なら今日は練交当番よ。そこ、掃除しておきなさい」
言いながら北条は部屋を出て行こうとする。しかし扉のところで立ち止まると、
「これから呉に行くから、運転して」
「お願いします、周君に会わせてください……」
「今日、あの子は練校当番だから無理ね」
着替えてくる、と言い残して北条は去って行く。
和泉は床に散らばった湯呑の破片を回収した。
※※※
サイドミラーにうつる模擬交番の一部を見て、和泉は深く溜め息をつく。
北条がやってくるのを運転席で待ちながら、頭の中は先ほど彼に言われたことが全面的に占めている。
でもだからといって。
大切な存在が理不尽な暴力によって痛めつけられるのを見れば、即座に助けようと行動するものだろう。
自分は間違っていたのだろうか?
わからない。
和泉は頭を抱え、ハンドルに額をくっつけた。
助手席のドアが開いて、北条が乗り込んでくる。
咄嗟に顔を挙げた。
「呉の方にやってちょうだい」
こちらをタクシー運転手か何かだと思っているような口ぶりで言われても、和泉は少しも腹が立たなかった。
エンジンをかけ、ギアをチェンジしてアクセルを踏む。
「彰ちゃん……あんた、あの子の性格をよく知ってるでしょ?」
「……え?」
「あの子にとってあんたは、たとえその後の結果がどうなろうと『いつも助けてくれる感謝すべき人』なのよ。まさかあんたが原因で、あのクズに目をつけられたなんて微塵も考えないでしょうね」
北条は腕と脚を組み、淡々とそう話す。
「そうでしょうか……?」
「あんたって頭が良いくせに、時々、感情的に行動することがあるわよね」
「じゃあ、僕はあの時どうすれば良かったんですか?」
和泉は視線だけで横にいる先輩を見つめる。
「あんたが代わりに殴られたら良かったんじゃないの?」
「……ああ」
考えてみれば確かに。でも、それで事態は変わっただろうか?
「まぁでも、何をどうやったって結果は同じだったでしょうね。運が悪かったというか、タイミングが悪かったというか。さっきも言ったけど富士原……あいつは本物のクズよ」
吐き捨てるような口調に続いて「あの子ってね、太陽みたいなのよ」
「太陽……?」
「温かくて心地いいからずっと傍にいたい、そう思う人間と、眩しすぎて敵だとみなす人間。暗闇の中でずっと生きてる人間にしてみれば、暗順応みたいなもんね」
暗いトンネルの中に長時間いたなど、闇に眼が慣れた人間には、急な明るさが鬱陶しく感じることがある。
以前、和泉も誰かに同じ例えで周のことを説明したような気がする。
だから彼の言わんとしたことはすぐにピンときた。
ただね、と北条は窓枠に肘をつく。
「現状に嫌気がさして、あの子がお姉さんのいる宮島に逃げても、あるいはもっと他の遠い場所へ行って、別の職業に着くとしても文句は言えない。全部あの子が自分で決めることなんだから」
わかっている。
これ以上、周に辛い思いをさせたくはない。
彼がもし他の道を選んだとしても、自分が何か口を挟んだりはできない。仮にそうなったとしても……応援しなければ。
頭は理解しているが、気持ちは少しもついてこない。
「もっとも、アタシは確信してるけどね」
「……何をです?」
「いつかあのクズを追い出す時が来ること。それから、あの子が卒業式の日に、総代として答辞を読んでいる姿が……既に目に浮かんで見えているわ」
このオカマは時々まともなことを言うから侮れない。
それでいて、彼が言うと真実になりそうな気がするから不思議だ。
先ほどまでの落ち込んだ気分はすっかり回復していた。




