63:あえて空気を読まないのも一種の才能か
少し落ち着いたようだ。
さくらが風呂に入っている間、聡介は孫と猫を膝に抱いてソファーに座り、テレビを見ていた。
いずれも空気を読んだかのように大人しい。
「……あいつが、さくらがあんなふうに感情をあらわにして泣いたのを見たのは、これで二度目です」
いかがですか、と冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出してグラスに注ぎ、優作が声をかけてくる。
「二度目って……一度目はいつなんだ?」
「さぁ? それは俺だけの秘密です」
そういう奴だと知ってはいたが、嫌な奴だ。
だからいつまで経っても長女の夫は好きになれないのかもしれない。
決して嫌いではないのだが。
「お義父さん。アキ先生と一緒に是非、事件を解決してください。必ずそうなると確信していますが」
言われるまでもない。
聡介は返事をしないでおいた。
その後ほどなくして、ピンポン、とインターフォンが鳴った。
優作が受話器を挙げるよりも早く、玄関の扉の開く音が。
「お父さん、おとーさんっ!! いるんでしょっ?!」
ドタドタと大きな足音を響かせて入って来たのは次女の梨恵だった。
彼女は腕に自分の息子を抱いて、まるで我が家のようにリビングへと入ってくる。物音に驚いたさばが、慌てて床の上に飛び降り、ソファの下に潜り込む。
「お前……いくら親戚の家だからって、もう少し遠慮というものを……」
優作の苦言などまるで耳に入っていない彼女は、聡介の隣にドカっと腰かける。
長女の息子は次女の息子と仲が良い。やってきた従兄弟に対し、嬉しそうに手を伸ばす。
孫達は仲良く手を取り合ってソファを降り、この下に猫がいるんだよ、というような会話をしているようだ。
「どうしたんだ? お店はいいのか」
「今日は暇なのっ!! それよりお父さん、ニュース見た?!」
自分達が扱っている事件だろうか。
その件に関しては口にしたくないし、そもそも詳しいことは話せない。
それに。
さくらがようやく落ち着いたのに、蒸し返して欲しくない。
「もう、びっくりしちゃった~、あの時の3人組だったんだよ?!」
「……え?」
何の話だ?
聡介が眼をパチクリさせていると、
「覚えてないの? お父さんが訊いてきたんだよ、撮影禁止ってどうしてかって!!」
そう言えばそんなことがあったような。
「ああ、例の迷惑客か……」
「夕方のニュースで、五日市の港で軽自動車が転落して、女性3人と子供が亡くなったって聞いて……」
「そんな事故があったのか?」
「え、知らないの?」
今日はニュースや新聞に目を通す時間などなかった。さばがソファの下から飛び出し、ジャンプを繰り返し、聡介の肩に飛び乗ってくる。
「なんか聞いたことある名前だなぁって思って、ちょっと調べてみたの」
「調べるって、どうやって?」
お前は刑事か?
爪を立ててくる子猫を剥がしつつ、次女の顔を見つめる。
「やだ、お父さん。今の時代、名前で検索したら、たいていの知りたい情報は手に入るんだよ?」
恐ろしい時代になったものだ。
「なんてね、うちのお店にやってきた時に名刺を置いて行ったの。県内のあちこちを巡っておいしいお店を探して、ブログに載せてるんだって。最初はいい宣伝になるかと思ってOKしたの。でも、段々お店が混んできたから、早く食べて出て行って欲しいってやんわりお願いしたのよ。そしたら初めはブツブツ言いながら出て行ったけど……2回目にまた来てね? その時よ、あの騒動があったのは!!」
思い出しても腹が立つのか、梨恵は憤然としている。
「それで、いろいろ思い出したことがあったんだ……私と慧ちゃんの共通の友達でね、佐藤ミズキって言う子がいるの。東広島の出身で、おっとりした可愛い子でね……」
※※※
次女の話は長くて回りくどい。余計な情報を挟むし、あちこちへと飛躍するし、注意して聞かないと肝心の情報を聞き流してしまう可能性が高い。
それを助けてくれたのは風呂上がりの長女だった。
同じ年数を生きている彼女は妹の話を上手く要約して伝えてくれた。
梨恵とその夫の友人で、広島市内でカフェを経営している佐藤ミズキという女性がいるらしい。彼女とは親しくしていて、時々互いの店を行き来するのだという。
そこで聞いた話だそうだが。
例のエンスタ女子3人組は、次女の友人が経営するカフェの常連客だった。
彼女達はいつも特定の男性を連れていたという。
派手な彼女たちにはやや不釣り合いに見える、地味で冴えない若い男。その男性はどうやら3人の内の1人と付き合っているようだった。
支払いはすべてその男性だったそうだ。それも全員分。
女性達が遠慮なく食べたり飲んだりしている傍で、彼自身は水しか飲まないということもあったという。気の毒に思った娘の友人が、サービスでコーヒーを提供したこともあったとか。
やがてSNSが普及し始め、彼女達がブログを始めると、来店の頻度は高くなった。
毎日のようにやってきてはパンケーキだのパフェだのを注文し、食べずに去って行くのは当たり前になった。
それでも男性はきちんと全額支払った。
次女の友人はある日、余計なお世話かと思いながらも彼に言った。
あんな女たちは放っておけと。
事情が変わったのはそのすぐ後。
何となく客足が落ちた。なぜだろうかと思ったら、その店の悪口がネット上で広がり、炎上していたからだと知った。
それでも固定の常連客のおかげで、どうにか閉店は免れたらしいが。
「だからあたしね、ニュースで例のエンスタ3人組女子が亡くなったって聞いて……まさか……なんて思ったわけよ」
「まさか、って何だ? どういう意味だ」
「……別にミズキちゃんがどうこうっていうんじゃなくて、彼女ほら、可愛いしモテる子だから、熱烈なファンがいるのよ」
「そのファンが、その3人組に何かした……と?」
梨恵はうなずく。
「それはお前、飛躍しすぎだろう。閉店を免れたんなら、恨みを持つ理由もないじゃないか」
「そんなこと言って、一度でもお店の評判を傷つけられたら、回復するまでものすごい苦労と時間がかかるんだからねっ?!」
自営業者ならではの意見だろう。そこは素人である聡介も認めざるを得ない。
「……そもそも、その問題が発生したのはいつの話だ?」
「えっと確か、今から3、4年前かなぁ?」
「お前が言っているのは、この3人組のことか?」
長女の夫がテレビを指差し問いかける。
ちょうどニュース番組を放送している時間帯だった。
【本日午前5時頃、石塚区五日市埠頭で軽乗用車が海に転落しているのが発見されました。
乗っていた女性3人と、3歳の男の子が死亡。付近にアルコール飲料の空き缶が大量に放置されていたこと、及びブレーキ痕がなかったことから、警察は飲酒運転による事故とみています】
【続いてのニュースです。尾道市内の祇園橋東詰にて……】
ぷちっ、電源が切られる。
「……そういうことだ、事故だったんだよ」
「……もしかして、お父さんの役に立てるんじゃないかと思っただけだもん……」
不貞腐れた顔で次女は言う。
可愛い、と聡介は素直に思った。
「でもね、お父さん!! あのエンスタ女たち、絶対にあんな調子でいろんな店に迷惑をかけてるのは間違いないんだから!!」
「わかったわかった、頭の片隅にしっかりと覚えておくから」
「……帰る」
どうやらご機嫌を損ねてしまったようだ。次女は従兄弟と遊んでいる自分の息子に、帰るよと声をかけた。
孫達は少しぐずっていたが問答無用のようだ。
時刻は午後9時前。
「送って行く」
付近で殺人事件があったばかりの夜だ。聡介が立ち上がると、
「え~、すぐそこだよ?」
「いいから」
次女の息子、もう1人の孫を腕に抱いて玄関に立つ。
この子は外見が父親そっくりだ。
中身もどうか、良識と思いやりの深い彼に似て欲しい。
聡介は心からそう願ったのだった。