62:決して後ろは振り返らないのさ
どこかの宇宙刑事か、戦隊ヒーローのOP曲みたいなサブタイトルだなぁ(笑)
すると。バックミラーに映る友永の眼が、何か言いたげに複雑な色を見せる。
「……何か?」
「前から気になったんだけどよ……お前、あの子のこと何だと思ってる?」
唐突になんだ、と和泉は怪訝に思った。
「可愛いハニーであり、将来的には僕の相棒ですよ?」
友永は靴を脱いでシートに横たわると、ボサボサの髪をかき回し始めた。
それからなぜか深く溜め息をつく。
「相棒ってのはな……お姫様と騎士みたいな関係でもなけりゃ、要人とSPでもないんだぞ? ただひたすら守って守られて、そういうんじゃない。あくまでも立場は対等だ」
「……何が言いたいんです、友永さん?」
「班長はお前のことをどう扱ってくれた? 小さな子供を庇護するような真似はしなかっただろ。フォローはしてくれつつ、何時だって一人前の刑事として認めてくれてたはずだ。転んだからって、可愛いからってすぐに手を差し伸べてたら、なかなか成長しないぜ?」
彼の言いたいことはわかる。
だが。素直に頷きたくない。
「ま、あの子は元々しっかりした子だからな。逆に今後、お前の方が守られる立場になるんじゃないのか? ジュニア」
「本当ですね……」
と、答えたのは和泉ではなく、助手席に座っていた駿河の方だった。
思わず和泉は若い後輩を横目で睨んでしまった。
「……申し訳ありません……余計なことを言いました……」
和泉はふと思った。
この子、こういうキャラだったっけな?
※※※※※※※※※
聡介は捜査会議の後すぐ署を後にした。
それからどこにも寄り道することなく、長女家族が暮らす家に真っ直ぐ向かった。
玄関のドアを開けると、中から小さな影が飛びだしてくる。足元にまとわりつく柔らかい感触は……猫だ。
「ただいま」
聡介がしゃがんで猫を抱くと、
「じいちゃ!!」
続いてとたとた、ややおぼつかない駆け足で孫が走ってくる。
「伊織、ただいま」
「う~……」
何があったのか。孫はこちらにしがみついて泣き出しそうな顔をしている。
「どうしたんだ、お母さんに何か叱られたのか?」
聡介は右手に猫、左腕に孫を抱き上げる。
「俺の賢い息子が、そんな愚かな真似をする訳がありません」
などと腹の立つコメントを述べたのは、義理の息子である有村優作であった。気がつけばすぐ目の前に立ってこちらを見下ろしている。
「夕方、俺が外から帰宅した頃から……さくらの様子がおかしいんです。お義父さん」
本来なら「しばらく世話になる」とか他にも挨拶をしなければならないところだが、それを聞いて平静ではいられる訳がない。
聡介は脱いだ靴もそのままに、急いでリビングに向かう。
「さくら!?」
「あ、お父さん。お帰りなさい」
台所に立っていた娘は普段通りを装っていた。
すぐにわかる。本気で笑っているのか、作った笑顔なのか。今は明らかに後者だ。
「……何があったんだ?」
「え?」
近づいてよく娘の顔を見ると、頬に涙の跡が見えた。
「なんでもないわ。それよりも、晩ご飯はまだでしょう? すぐに支度するわね」
さくらはそう言ってこちらに背を向けてしまう。
孫は相変わらず泣きそうな顔で、聡介の肩に額を擦りつけてくる。
こうなってしまったら彼女の方から話してくれるまでは何もわからない。
長女の『なんでもない』ほど、裏に重大な事情が隠されていることは他にないというのに。
気は進まないが、聡介は義理の息子に何があったのかを訊ねることにした。
彼はリビングを出て、客間である和室へ来るよう勧めた。
「……午後5時頃でしょうか」
孫と猫は聡介の膝の上に陣取り、不安そうな表情でこちらを見上げてくる。
一方、優作はいつものことだが不機嫌そうな顔で話し出す。
「見ず知らずの老婦人が我が家の玄関先に立っていました。何やら喚いていたので、よく聞いてみたら……『人殺し』だの『卑怯者』だのと、さくらに向かって穏やかならぬ単語を投げつけていたので……警察を呼ぼうかと思ったのですが……」
老婦人、と聞いてすぐに思い当たる人物がいた。
「もしかして、山西と名乗らなかったか……?」
優作は首を傾げる。
「俺が帰ってきた時は既に、ただならぬ様子でしたので名乗りは聞いていません。ただ、どうも『ナツコ』とかなんとか言う名前が出てきたので……もしかすると、彼女達の親類縁者ではないかと思いました。それは……さくらの、お母さんの名前でしょう?」
危惧していた事態が現実になってしまった。
「……戸籍上のな」
「正しくは血縁上の、でしょう?」
「どっちだっていい!!」
いら立ちを覚えて聡介は思わず、大きな声を出してしまった。
孫がびくっと震え、猫はしゅたっ、と畳の上に降りて行ってしまう。
「……すまん」
聡介は立ち上がり、孫を抱いたままリビングに戻った。
それから娘の背中に向かって問いかける。
「さくら……お祖母さんがここに来たんだな?」
彼女に取って祖母に当たる山西信子は、今朝、遺体となって発見された山西亜斗夢の曾祖母である。
何日か前。黒い枠で囲われた、脅迫文めいた葉書を送ってきたのはお前だろうと、県警本部にまで乗り込んできた彼女だ。彼女の娘、つまりさくらにとっては母親である奈津子のことで、こちらが未だに恨みを抱いていると疑っている……。
確かにさくらは奈津子を怨んでいるだろう。
それは紛れもない事実だ。双子の娘の母親でありながら、どういう理由か未だに不明だが、奈津子の関心は次女にしかなかった。いつもさくらは置いてきぼりだった。
いつしか長女は母親のことを「お母さん」とは呼ばなくなった。「あの人」としか。
聡介は初めこそ娘を窘めていたが、そのうちあきらめた。
「そうなんだな……?」
「今朝のニュース、見たわ。あの人の……血縁だとどういう位置になるのかしら? 姪御さんになるの……? その人の子供が亡くなったって」
さくらはこちらに背を向けたまま話し出す。
「あの人のことで、今になって親族に恨みを晴らすような真似したのかって、そう責められたわ。びっくりした。お父さんが今朝、出かける前に言ったとおりのことが起きたんだもの」
今すぐにでも抗議に行こう。聡介の中でそんな思いが浮かんだ。
その時、娘が突然、こちらを振り返る。
目にいっぱい涙を溜めて。
「ねぇ、どうして……?」
「さく……」
「なんで今になって、あの人のことで私が嫌な思いをさせられなければいけないの?! あの人はお父さんを裏切って、私達みんなに迷惑をかけて……そのくせ自分はさっさと姿を消して……信じられない!! いつまで、どこまで不愉快にさせたら気が済むって言うのよ?!」
うわぁ~んっ!!
孫が大きな声で泣き出した。
彼女がこんなふうに感情をあらわにし、涙を流すのを聡介は初めて見た気がする。
幼い頃からいつも、どんなに苦しくても悲しくても、無理をして微笑んでいたのに。
不意に片腕が軽くなった。
優作が孫を引きとったのだと気付いた聡介は、そっと娘に近づく。
「さくら……」
肩を抱き寄せると、娘は震えていた。
「もう嫌、もぅ……一切関係ないじゃない……」
「そうだよ、さくら。もう何の関係もない」
はっ、とさくらは顔を上げる。
「二度とこんなことがないように、お父さんから厳重に言っておく。そうだ。必ず犯人を挙げる。そうしたらもう、お前がこんな辛い思いをすることはないだろう?」
「お父さん……」
抱きついてきた娘の背中をぽんぽん、と軽く叩く。
「いつまでもお前に辛い思いをさせてごめんな? でもな……俺はもう、あいつは死んだと考えている」
聡介の中では別れた妻……正式には行方不明になってから一定の年数が経過したため、生死は不明だが、法的には死別となっている……はもう生きていない。
「死んだ人間をいつまでも恨むのはもうやめよう。その代わり、これからは生きている家族を愛することに努めよう。その方がずっと前向きじゃないか」
「……うん……」
「もう、振り返らないって決めたんだ」