60:べ、別にうらやましくなんかないんだからねっ?!
郁美は会議に参加しておりませんでした。
捜査会議が終わったらしい。
鑑識作業に没頭していた郁美は、気分転換にと自動販売機の緑茶を買いに行って作業部屋に戻る途中、刑事達がゾロゾロと部屋から出てくるのを見た。
和泉の姿を探したが見つからない。
自分のために買ったお茶だが、差し入れと称して捧げてもいい。ところが。
「おい、郁美。何ぼさっとしとるんじゃ?! 早ぅ作業に戻れ!!」
相原にどやされ、郁美は胸の内で舌を出し、急ぎ足でその場を去る。
そうしてパソコンを前にしたらふと、何から手をつけたらいいのか、わからなくなってきた。
こなさなければならない仕事があといくつ……?
頭頂部から湯気が出始めたような気がする。
正直言って、容量オーバーだ。
「ふふ、うふふふ……」
「郁美、郁美ってば、大丈夫?!」
友人の声が聞こえる。なんでここにいるのかと思ったら、そうだった。
今は尾道東署に捜査本部が設置されていて、1課の刑事はほとんど皆、ここに集まっているのだ。だからさっき和泉に会えたわけで……。
「やっぱり、和泉さんからの依頼が最優先よね~? ねぇ、あんたもそう思うでしょ」
「そんなことより!!」
警察学校の頃からの同期で友人の稲葉結衣は、さらりと失礼なことを言う。
「やっぱり高岡警部に報告した方がいいかなぁ?」
「……何を?」
「ガイシャの名前、山西亜斗夢っていうらしいんだけど……あの子がほら、お花を傷つけて職員に叱られた……世羅高原で見た時の話よ」
そんなことあったっけ?
郁美は記憶を辿ってみたが、思い出すのに少し時間がかかった。
「郁美、覚えてないの?」
「……今、思い出したけど。ホントにあの時の子だった?」
「間違いないわよ、被害者はあの時の子供だったわ!!」
そう言えば結衣には一度見た顔は忘れない、という特技があったのだ。
でも、だから?
好きにすれば、と言いかけて郁美は口をつぐんだ。
すぐ近くをかつての上司、相原係長が通りかかったからである。あの人のモットーは『どんな些細なことに、事件解決の糸口が隠されているかわからない』なのだ。自己判断で勝手に報告事項を取捨選択せず、気になったらとにかく何でも伝えろと言われてきた。
友人はこちらの思惑など気付いていない様子で続ける。
「おまけにほら、母親もさ……えらくタカビーだったじゃない? うちのパパは警察の偉い人なのよ、みたいな。さっきの会議でわかったけど、あれって本当だったのね」
そうだったっけ? そこは覚えていない。
「山西警務部長の孫だって」
「ふーん、警務部長……って、ナンバー2じゃない!!」
これは大変だ、という危機感を郁美も覚えた。
しかしだからと言って、自分は自分の仕事をするだけだ。
「……そんなに気になるんなら、高岡警部に報告しておけば?」
「郁美だって見たでしょ? あの場面」
「まぁね」
そして結衣はとんでもないことを言い出した。
「まさか、あの職員さんが怒って……?」
「そんなこと!! マナー違反の客を腹が立ったからっていちいち殺してたら、今頃は死体の山よ」
「そうなんだけど……」
友人は納得のいかない顔をしている。するとそこへ、
「おつかれっす~、うさこ先輩」
「あ、古川さん。お疲れ様です」
煙草でも吸いに行っていたのか、席を外していた後輩が戻ってきた。
「あの、古川さんはどう思います?」
などと、友人はよりによって今、郁美に話したのとまったく同じことを、古川に言って聞かせた。
「……ふーん……」
古川はしばらく顎に手を触れ、考える様子を見せていたが、
「その【パパは警察の偉い人】って言うのは、気になりますね」
「やっぱり?!」
「この商売って、自分じゃ意識していない内に、逆恨みを買うことがあるじゃないっすか。特に逮捕した相手に、出所したら必ず報復する、みたいな脅し文句を言う奴が必ずいるって聞きます」
ですよね、と結衣は嬉しそうだ。
確かにそう言う話は嫌というほどよく聞くが、今回の事件とつながりがあるのかどうかは怪しいところだ。
「……で、被害者はその孫……」
しかし気がつけば思わず郁美も、彼の話に聞き入っていた。
古川はこちらを等分に見つめて語る。
「ってことはですよ。ほら、たまにあるじゃないっすか。恨みを持つ本人じゃなくて、その家族とか恋人を狙って殺して行く復讐劇みたいなの」
「あ、ありますね!!」
結衣はすっかりその気になっている。そうして彼女は頬を紅潮させ、やっぱり高岡警部に報告してくる!! と、すっ飛んで行った。
はいはい、と郁美は作業に取りかかることにした。
まぁ、確かに彼の言うことには一理ある。が、果たして捜査指揮官が何と言うことだろうか。
仮にも、古川がそう言うのなら一考に値すると言うのならふざけた話だ。
彼は将来的に捜査1課への異動を約束されているという若手のホープだ。
そして郁美はふと、考えた。
もしかして嫉妬してる……?
ぶんぶん、と首を横に振る。
別に出世を望んでいるわけじゃないし、仕事は好きだけれど、チャンスがあるならさっさと寿退社して、家庭に収まりたい。
できることなら刑事の妻に。
警察官同士の結婚は上も歓迎するというし、自分なら上手くやって行けると思う。
いや……そんなことよりも。
とりあえず和泉に頼まれたブログの解析だ。
パステルカラーに彩られたポップなデザインの入り口には、今時流行りのメイクをし、派手な衣装を身に着けた3人の女性がVサインをしつつ映っている。
その真ん中にいるのは恐らく3歳ぐらいの男の子。
クマの着ぐるみをつけ、ハートマークを一杯散らした画像加工がしてある。
毎日が充実していて楽しいです。と、言いたいのだろう。ほぼ毎日、遊んで暮らしている様子が映っている。今日はどこそこへ行きました、有名な何々です。
それでもこのブログはかなり人気が高いらしく、フォロワーの数は一万人を越えており、いいねの数も軽く一万を越えている。
仕事でなければ、和泉に頼まれていなければ決して見ないタイプのブログである。
しかしこの女性達はいったいどうやって収入を得ているのだろう?
これだけ遊び回っていれば、相当なお金がかかることだろうに。
郁美は単純に不思議に思った。
それにしても……自分達だけなら問題ないだろうが、恐らくたまたま映り込んでしまった他人を、モザイクなりで加工することなくアップロードしているようだ。その件で抗議が来たのかもしれないようで、時々、文章と画像が合致していない部分がある。
基本的にあまり神経が細くないタイプかもしれない。
今度は別のカフェが登場した。
猫が何匹か映っている。
子供に無理矢理猫を抱かせ、ポーズを撮らせている。どこかの猫カフェのようだ。壁に貼ってあるのは恐らくメニュー表。そして里親募集のポスター。
そして。画面の端っこに映っている1人の青年らしき影。ぼかしてあるというより、ピントが合っていないだけのようだ。
郁美は写真を拡大して確かめてみた。
「こ、この子って確か……」
「なんすか、郁美センパイ。指名手配犯でも映り込んでました?」
後ろから古川が画面を覗き込んでくる。
「ち、違うわよ……ただ、その……」
名前は【藤江周】だったはず。
和泉がやたらと気にかけているという、つい最近まで男子高校生だった。
その上、今は確か警察学校にいると。
「あ~、この子。絶対、美人のお姉さんがいる弟タイプっすね」
「なんでそんなことがわかるのよ?!」
確かに彼には、姉がいたはずだ。
すると古川は笑って、
「仕事柄、何人もの顔を見てるんで。人間って意外と、顔にいろいろ出るもんっすよ。特に似顔絵を書こうと思って相手を見ていると……なんていうのか、だいたいどういうキャラなのか特定できます」
「へぇ~……」
すごいな、と郁美は素直に感心してしまった。
「……ひょっとして、俺に見とれてます?」
「そんな訳ないでしょ!! とっとと仕事しなさいよ!!」
「ちなみにさっきの話はデマです」
「え、どれ、どの話が?!」
答えてはくれなかった。




