6:お父さん、捨て猫を拾う
洗面所の電球が切れてしまった。
高岡聡介はやれやれ、と溜め息をつきながら脚立を探した。
今までは和泉がいたから、電球などの天井まわりに関してはすべて彼に任せていた。自分よりもだいぶ背の高い彼は、踏み台がなくても高い所に手が届く。便利で良かったのだが……。
今年の春、今までずっと居候の立場にあった彼がとうとう独立した。
どうせ仕事の忙しさにかまけて、いつまでも傍にいるだろう。
そう考えていた自分がいた。が、現実はそうではない。知らない内に彼は部屋探しをしていて、新しい住まいを決めていた。
引き留める術もなければ、理由もない。
ただ寂しいだけで。
娘が家を出て行った時も、こんな気持ちだった。
同じ県内だし、会おうと思えばいつでも会えるのだが。
……センチメンタルになっている場合ではない……。
聡介はとりあえず、切れた電球を取り外し、買い置きがないかとあちこち探してみた。
が、見つからない。
「おい、彰彦……」
ホームセンターか電気屋に連れて行ってくれ、と言いかけて口を閉じた。
いけない。どうも、和泉がいるのが当たり前になっている。
聡介は頭を左右に振って、自力で買い物に行くことにした。
電気屋もホームセンターも歩くのには少し距離がある。
車を持ってはいるが、運転は好きではない。
それには理由があるのだが、誰にも話していない。
仕方ない。
天気もいいし、少し歩くか。
聡介は支度をして外に出た。しかし。
やっとのことで最寄りのホームセンターに辿り着いた時、外気温が高かったせいもあって、全身に汗をかいていた。
どっと疲労感に襲われる。
郊外にあるこのホームセンターには、食料品を扱うスーパーとファストフード店が併設されていることもあり、駐車場に隣接してベンチとテーブルが置いてある。
聡介はひとまずベンチに座って休憩してから、店内に入ることにした。
喉が渇いた。麦茶でも買うか、と近くの自動販売機に向かった。
するとその時、足元でミャアミャアと猫の鳴き声のようなものが聞こえた。自動販売機の電子音かと思ったが、そうではない。
販売機のすぐ横に段ボール箱が置いてあり、そこに1匹の子猫が入っていたのだ。
【ひろってください】
段ボール箱のフタにマジックで、恐らく子供の字でそう書かれていた。
誰だ、いったい……。
聡介は苦々しい思いでしゃがみこんだ。この場合、一応拾得物として交番に届けるのが正解、である。
最寄りの交番はどこだったか、と思い巡らしてる時だった。
ふとすぐ近くに人の気配を感じた。
視線を転じると、聡介のすぐ右隣に見知らぬ少女が立っている。
明るい色の髪、くりっとした目元。ワイン色のワンピースは今の季節に相応しい。
年齢は恐らく4、5歳ぐらいだろうか。ツインテールの髪を揺らした彼女は、じーっと段ボールの中の子猫を見つめている。
恐らく、連れて帰りたいけれど親にダメだと言われて、それでもあきらめがつかないと言ったところではないだろうか。
自分の娘がこれぐらいの年齢だった頃、同じようなことがあった。
一緒に出かけた先で、たまたま通りかかったペットショップ。
ガラスケースの向こうにいる子猫をじーっと見つめていた彼女に、何と言ってあきらめさせただろうか。
元々ワガママを言うような子ではなかったから、手こずった記憶は一切ない。
賃貸だから、という理由の意味を理解していたか否か知らないが、飼えないんだ、ごめんなと告げると、それで終わった。
「……この子、殺されちゃうのかなぁ?」
少女が呟く。
それは聡介に向かって投げかけられた質問なのかどうか、判断がつきかねた。
確かに、仮に交番に届けたところで、いずれはそうなるだろう。
「おじさん、猫好き?」
今度は確実にこちらへ向かって少女は話しかけてきた。
「……まぁ、嫌いじゃないかな……」
ふと頭に浮かんだのは息子の顔である。
「じゃあ、おじさんがこの子を拾ってあげる?」
返答に詰まる。
飼えない理由はない。だが、相手は生き物だ。そう簡単に決められない。
少女は懇願するように、
「うち、パパが猫嫌いなの。だから飼えない……」
困った。
「でも、この子……生きたいって泣いてる」
聡介は思わず、段ボールの中を覗き込んだ。
目を閉じて丸まっている為、瞳の色は確認できない。足元と顔の下半分は白い毛に覆われているが、背中はグレーと黒の縞模様だ。
サバみたいな模様だな……と、聡介は思った。
「そうだな、生きたいよな……」
1人暮らしの上、留守にすることが多い。とてもではないが、面倒を見る余裕はないと思う。だが犬と違って猫は散歩の必要もないし、放っておいてもたいして弱ったりすることもないと聞く。
ぱっ、と目を開けた子猫と目が合う。綺麗な緑色だった。
後で思えば、それが決め手だったかもしれない。
「……そうだなぁ、連れて帰るか」
「良かった!! 猫ちゃん、幸せにね」
少女は心から安心した様子で、猫に手を振りながら去って行く。
本当にこれで良かったのだろうか、と少し考えたりもしたが、これも何かの縁だろう。
と、なるといろいろ用意しなくてはならないことがある。
車で来れば良かった……。
※※※※※※※※※
猫に好かれる人間と、そうでない人間がいるらしい。
周はきっと、後者の方だと思う。
倉橋護は様子を見ていて、しみじみとそう思った。
友人は明らかにかまい過ぎ……だ。かなり人慣れしている猫カフェの猫達も、溢れんばかりの周の愛に辟易しているようだ。
犬ならかまってかまって、と尻尾を振ってくることだろうが、猫は逆だと思う。それが一般的に『ツンデレ』と言われる所以じゃないか。
自らは触ってこようとしないけれど、猫の方から寄って行くと優しくしてくれる。
そんな人間が猫にとって理想だ、と何かで読んだ記憶がある。かくいう自分がそうらしい。
特別、猫が好きな訳ではない。だが擦り寄ってくると可愛い。
ゴロゴロ。喉を鳴らしながら頭をすりつけてきたり、鼻を近付けてにおいを嗅ぐ仕草が可愛らしいと思う。
「……なんで……? なんで護ばっかり……」
「なんでって、知らないよ。周、気持ちはわかるけど、少しじっとしてろよ。そしたら猫も寄ってくるんじゃないか?」
自分だって完全に猫タイプのくせに。
猫の気持ちがわからないのだろうか?
先日まで警察学校の中で起きた事件捜査の為に、一時的に警察学校へ侵入していた、あの和泉という警部補。
周とは旧知の仲らしく、とても親しそうにしていた。
ちなみに傍から見ていると、和泉の方は周のことをかまいたくて仕方ないのに、周の方はやや面倒くさそうな様子を見せているように思えた。
もっとも、本心ではなさそうだけれど。
それと言うのも、和泉が他の学生と楽しそうに話している姿を見ると、途端に不機嫌そうな顔になったからだ。
なるほど、これが【ツンデレ】か……!!
深く納得したものだ。
ツンデレと言えば。
上村の様子を見守る。彼はここでも日頃の自分を崩すことなく、マイペースである。
彼の膝の上には白と黒の猫が乗っかっていた。
猫にかまうでもなく、ひたすら無言でじっと、時々飲み物を口に運びながらスマホを見ている彼。
それでもどこか嬉しそうな表情をしているように見える。
周が突然、彼を誘った時には少しぎょっとしたが、今は良かったなと思える。
にゃあ、と縞模様の猫がすり寄って来た。
倉橋が手を伸ばして頭を撫でると、
「ねこー!!」
周が手を伸ばす。
すると、ビックリした猫が走って逃げていき、近くにいた猫達も一斉に走り出す。
だからさ……。