59:必ず、ホシをあげる!!
捜査本部に戻ると会議が始まる5分前だった。
正直言って、見ていて面白かった。
笑いごとではないのだが。
今朝、祇園橋バス停付近の埠頭で見つかった遺体の身許が判明した。
山西亜斗夢、10歳。
現在の住所は広島県尾道市十四日元町……。
そんな情報は些細なことだ。問題なのは、被害者の家系。
現在、県警本部長に続く地位にある警務部長兼広島市警察部長……山西宏一警視長の孫という事実である。
そのことを知った署長、管理官、尾道東署刑事課長。
上官たちの慌てぶりと言ったら。
それに対し、現場の捜査員たちの様子はと言えば。どことなく白けたムードが漂っていた。全員、決して小さな子供が犠牲になったというこの事件に対し、無関心でいる訳ではない。ただ。
上司たちの焦り具合が滑稽なのである。
万が一にも迷宮入りにでもなろうものなら、自分達の首が飛ぶ。それだけは避けたい。
そんな思惑がひしひしと伝わってくる。
和泉は会議室の一番後方、全体が見渡せる位置に座って様子を見ていた。
聞き込みを終えた捜査員達がそれぞれに雑談を交わしながら、席につく。
「和泉さん」
誰と組んでいたのかしらないが、同じ班の仲間である駿河葵が声をかけてきた。
「今夜は向こう……広島に戻られますか?」
「うん、会議が終わったらね。葵ちゃんも一度向こうに帰るでしょ? 送って行くから一緒に帰ろうよ」
ありがとうございます、と彼はすぐ前の席に着いた。
間を置かずに捜査1課長である長野が入室する。日頃はふざけているとしか思えない言動を繰り返しているあのゆるキャラおやじだが、仕事中はさすがに真剣だ。
「一同、起立!!」
号令と同時に刑事達は一斉に立ち上がる。
「1課長に敬礼!! 休め!!」
ガタガタと椅子の軋む音が会議室に響く。
司会進行は現尾道東署長である。
「それではまず、鑑識から」
立ち上がったのは和泉にとって旧知の仲である相原係長であった。
「現場付近から採取された遺留品ですが、幾らか気になる物があります。小さな繊維片ですが、ブーツなどに使用される生地と思われる布片が残されていました。色は青です」
会議室がざわつく。
続いて検視結果が報告された。
被害者の全身には擦過傷が認められ、いくらか内出血もあったとのこと。直接の死因は後頭部を鈍器のようなもので殴られたことによる脳挫傷。殺害された後、海に投棄されたと考えられる。
子供相手だろうと、容赦のない犯人であることが伺い知れた。
「続いて地取り班!!」
和泉の斜め前に座っている、尾道東署の刑事が挙手して発言する。
「昨日は放課後、真っ直ぐに帰宅したそうです。しかし午後8時頃、1人で自宅を出て線路沿いをJR尾道駅方面に向かって歩いていたという目撃情報もあります」
「同行者は?!」
「目撃されておりません」
10歳の男の子が夜中にふらふら出歩いたりなどと、通常では考えられないことだ。
「……ふむ、他には?」
和泉は挙手して発言を求めた。
許可が出るや否や、
「昨夜、せらやんというゆるキャラが町中を歩いているという目撃情報が出ました」
しーん、と部屋の中が静まり返る。
「……恐らく着ぐるみです。犯人はその中に入って身を隠し、ガイシャを誘いだしたと考えて良いと思います。子供は我々が思っている以上に、キャラクター好きです。知らない人に声をかけられても返事をするなとは常日頃言われていても、大好きなキャラクターが目の前に現れたらついていってしまう。その可能性は高いと思われます」
「……その、何とかっていうキャラクターは……?」
「こう言う感じです」
スクリーンに【せらやん】が映し出される。
「足元を見てください。先ほど、相原係長が仰った青いブーツ地の布片とはこのことではないでしょうか」
せらやんは足元に青い長靴を履いている。
ひな壇の前方に座っている幹部達は顔を見合わせている。一笑に付すには見過ごせない情報なのだろう。
「中に入っていた人物がホンボシと見て間違いないと思いますが、いかがでしょう?」
誰も、何も答えなかった。
「次に、鑑取りの方は?!」
守警部が挙手して立ち上がる。
「ガイシャの担任教師から話を聞いてきました。日頃から活発で、クラスの中心人物となり、皆をけん引しているリーダーシップに優れていたと……」
ものは言いようだな、と和泉は腹の中で笑っていた。
活発とはつまり、落ち着きがない。
皆をけん引するリーダシップというのは、要するに自分の思い通りになるまで譲らないというか、自己主張を引っ込めないとも受け取れる。
同じことを考えたのだろうか、幹部の一人が声を裏返して叫ぶ。
「他に?!」
挙手したのは、和泉にとっても身近な仲間である友永巡査部長である。
「被害者宅にたびたび、脅迫状とも取れる葉書が届いていたとの情報があります」
「脅迫状……?」
「両面が黒く、白抜き文字でメッセージが書かれているものだそうです。さらに……端の方に猫のイラストが描かれていたとのことでした」
どくん。
和泉の心臓が高鳴った。
友永が聴取してきたことならば信憑性が高い、なんていうのは身びいきかもしれないが。でも。
まさかここでも黒い葉書が登場するなんて。
和泉は思わず首を動かし、守警部の姿を探した。彼は聡介と同じく、ひな壇の前の方にいる。さすがに今は振り返ることはできないだろう。でもきっと、同じようにびっくりしているに違いない。
会議の司会進行をしている管理官は鼻を鳴らす。
「……どうせ山西警視を逆恨みしている前科者の仕業だろう」
太鼓持ちの尾道東署長が、仰る通りでございます、と追従している。
その可能性だって見過ごすことはできない。
しかし今、和泉の中で『黒い葉書』はもはや、事件の核心をなす【キーワード】と化している。
そんなこちらの思惑をよそに、会議の司会進行者である管理官は、
「主に前科者を中心に、山西警視との関わりがあると思われる人物の行動を徹底的に洗い出せ!!」
と、そう叫んだ。
「他に……!!」
その後のやりとりを聞いていると、葉書のことを幹部達はほとんど重視していないように思えた。
それならそれで動きやすい。
こっちはこっちで好きなようにやらせてもらおう。
御堂久美の事故死および、五日市埠頭で起きた3人組女性の転落事故。
そして今回の男子児童殺害事件。
すべてが【黒い葉書】という一本の共通点でつながっているのは間違いない。父にだけは報告しておかなければ。
和泉は聡介の顔を探す。彼は斜め後方から横顔が見える位置に座っていた。
昼間は本当に顔色が悪かった。今は少し、血の気も戻ったようだが。
自分の知らない所で【何か】があったのは間違いない。でも、父は話してくれない。
となると考えられる可能性は一つだけ。
昔、縁あって【家族】だった人に絡んだ何かがあったのかもしれない。
それが何か今回の件に関連しているのか、それとも無関係なのかは不明だ。
いずれにしろ今は無理に訊き出すことはしない方がいい。
それぐらいの思いやりは持ち合わせている。
するとその時、
「それでは1課長、お願いいたします」
長野が立ち上がった。
「今回の被害者は……山西警務部長の孫じゃ。皆も知っとるじゃろう? あの部長の血縁者じゃ」
しかし、と彼は続けた。
「それがどうした?!」
しん、と部屋の中は静まり返る。
水を打ったかのように。
誰一人、反論も茶々も入れない。
「ええか、皆。たとえ殺害されたんが部長の孫でのぅて、名もなき一般家庭に生まれた子供であったとしても、命の重さ、その尊厳を天秤にかけたりはできん!! 子供を手にかけるような犯罪者を許してはならん!! 忖度なんぞ一切いらん!! みんな、全力でかかれ!!」
はいっ、と全捜査員が一致して声を張り上げる。
驚いた。日頃の長野を知っている和泉としては、まさかあんな、まともな台詞が出てくるとはまったく思っていなかった。
上官たちは苦い顔をしているが、捜査員達のモチベーションは確実に上がった。
捜査1課長の肩書きは伊達ではない、ということか。
和泉はつい鼻を鳴らしてしまった。




