54:噂をしたら本人があらわれた
胡散臭いイラストだな……
「それともう一つ、訊きたいことがあるんだ」
和泉はつい先ほど、車の前に飛び出してきた女性の外見をなるべく詳しく思い出しつつ、
「肩ぐらいの長さの茶髪で、ちょっと目と目が離れてて、額が広くて……唇が厚くて、顔の輪郭はそう……顎が尖ってて、身長は160センチぐらいかな。赤いギンガムチェックのエプロンをしてる、中年の女性に知り合いはいない?」
「それって、熊谷さんのことかしら……」
「熊谷さん?」
「ええ。線路を渡った反対側……海側の、梨恵の家の近くに住んでいる方です」
「どんな人?」
「確かご両親の代から文房具店を経営なさっていて、梨恵と……今岡家とは町内会と商工会つながりで親しくされているようですよ」
ならば次女の方に話を聞いた方が早いだろうか、と和泉は思ったが即、却下した。
あの子は話し出すと長い。
「実は……」
さくらが続ける。「父にも話したことあるんですけど、熊谷さんから少し前に、相談に乗ってくれないかって言われたことがあるんです」
「相談って、どんな? さくらちゃんに?」
さくらは父親の顔をうかがう。
聡介は無言で頷く。
「熊谷さんのお子さんが、どうも学校でイジメに遭っているらしいんです。それで、きっと梨恵からお聞きになったんでしょうね。父が県警の警察官だって知って……何とかしてもらえないかって。梨恵にも相談なさったそうですけど……」
おそらく、本人はドンと任せておけと気軽に答えたに違いない。
しかし良識のある彼女の夫が、それはダメだと止めたのだろう。
残念ながら警察が動けるのは事件が起きて被害者が出てからだ。
それに、縁故を理由に引き受けるのはルール違反だ。
「熊谷さん、私のこともご存知だったようで、やっぱり同じことを相談に来られたんです。でも、そういうことを気軽に引き受ける訳にはいきませんし、私もたぶん難しいと思います、ってお答えしたんです。2回か3回ぐらいそんなことがあって。でもきっと、当てにならないと思われたんでしょうね。それきり何も言ってこられなくなりました……」
さくらは申し訳なさそうに言う。
「さくらちゃんは何も間違っていないよ」
和泉の台詞に彼女はホっとした表情を見せる。
「ところで、その熊谷さんの住所を教えてもらえる?」
※※※※※※※※※
歩いてもたいした距離ではないので、車は長女の家に置いて、徒歩でその【熊谷さん】なる家に向かう。
「犯人は恐らく、土地勘のある人物でしょうね」
不意に和泉が口を開く。
聡介も完全に同意だ。
尾道市役所がある海側の地区には繁華街があり、夜遅くでも割と賑わっているものだが、反対側の三原方面に向かう西側にはいくらかオフィス街があるものの、基本的には古くからの漁師町で、夜はほぼ人通りが絶えてしまう。
犯人が遺体をあの場所に遺棄したのも、人目が少ないことを承知してのことだろう。
「地元の人間かあるいは、よくこの近辺に出没する……」
その時、和泉の携帯の着信音が鳴った。
「あ、今朝はどうも。ええ、イデッチさんが夜なら少しは時間が取れるって……」
知らない名前と単語が端々から聞こえてくる。
「はい……守警部こそ、ご無理をなさいませんように」
通話は終わったらしい。
「そう言えばお前、守警部と一緒に何を調べているんだ? 今日も、来るのが遅かっただろう」
聡介は息子の横顔を見上げた。
「ゆるキャラじじぃからは何も聞いていないんですか?」
「……長野課長か。あれから会っていないしな」
「あれから?」
急な休みを申請したあの日以来。
「いや……その話は、後で訊く」
そうですか、と和泉はそれ以上突っ込んでこなかった。
線路を渡って信号待ちをしていると、
「確か熊谷さん、でしたっけね。梨恵ちゃんのお知り合いで、さっき僕の車の前に飛び出してきたご婦人は」
「お前が人の名前を覚えられるなんて、めずらしいな……顔もそうだが」
「かなり特徴のある顔でしたから」
確かに印象的な顔立ちではあった。
実は、先ほど和泉が娘に訊ねた女性のことを実は、聡介は今朝一度見ている。
遺体を発見し、急いで通報してから約1時間が経過した頃だ。
埠頭の先端に転がっていた、山西亜斗夢の名が記された小さな靴。それは遺体の身許を示す印に違いなかった。
その時から嫌な予感がしていた。
案の定、身許確認のためにやってきたのは母親であり、彼女は山西家の一族に連なる人物だった。あのまま娘達の母親と夫婦でいたら聡介にとって姪に当たるはずだ。
彼女……山西瑠璃子は息子の遺体を一目見るなり、号泣し始めた。
そして聡介は気がついていた。
遺体の男児が昨日の夕方、商店街の入り口で見かけた少年だということに。
なぜこんなことになっているのか。
頭の中を整理しようと必死に努力していたところへ、急に母親が叫び出した。
「あなたがウチの子を殺したの?!」
誰に向かって言ったのだろう?
聡介が驚いて顔を挙げると、 瑠璃子は規制線の向こう、どこから集まってきたのかというほどの野次馬に向かって突進していく。
1人、1人と彼女を避けるようにして道が開き、そうして現れたのは。
先ほど和泉が娘に訊ねたのと同じ容貌の女性であった。
その女性は笑っていた。
おかしくてたまらない、といった具合に。
「こんなもの送ってきたのもあなたでしょっ?!」
瑠璃子がカバンから取り出して突きつけたのは、黒い葉書である。かつて義母と呼んでいた人が、聡介に『こんなものを送りつけてきた』と、決めてかかってきたものと同じに見えた。
しかし相手の女性は笑ったまま何も答えない。
すると、
「人殺し!!」
男児の母親はカバンを振り回し、その女性を叩き始めたのである。さすがに黙っている訳にはいなくなった。
聡介は仲裁に入りながらも2人の顔をよく見た。
不気味な笑顔を浮かべ、相変わらず何も言わないその女性は、確かに少し似ていた。
全員分のカバンを持たされ、集団の最後尾を歩いていた男の子に。
頭の中でぐるぐると色々なことが回っている。
「青になりましたよ、聡さん」
背中を軽く押されて聡介は我に帰った。
和泉は何も訊いてこない。今の聡介にとってはとてもありがたかった。
いっそ彼にすべてを打ち明けてしまえば楽になれるのかもしれないが、今はまだそんな気になれない。
血縁関係はまったくないとしても、今までの彼女達の、諸々の言動を明かすのは聡介にとって【身内の恥】のようなものだ。
こんなものを送ってきて、と脅迫めいた文章の書かれた黒い葉書の送り主を、頭から聡介だと決めてかかって怒鳴りこんできた、かつての義母。
同級生に暴力を振るっていたその曾孫。
高飛車な態度で、すぐに金切り声で叫び出す、その母親。
頭が痛い。
「ところで聡さん。もう1人のお孫ちゃんには……今はダメかな」
時刻は午前11時過ぎ。飲食店にとっては開店直前の一番多忙な時だろう。
「……あの子はお前が来ると泣くから、やめておこう」
長女の息子はやたら和泉に懐いているが、次女の息子はなぜか、和泉の顔を見るなり引きつけを起こしたかのような反応をする。理由は未だに謎だ。
「なんででしょうね? 別に、嫌われるようなことをした覚えはないんですけど」
「とりあえず梨恵の方はスルーだ。あいつに捕まると、いつ終わるとも知れないおしゃべりに付き合わされて時間がなくなる」
それもそうですね、と和泉が言いかけたのがちょうど次女の店の前だったのだが。
からり、と扉が空いて、本人が出てきた。
「あ、お父さんに和泉さん!! ちょうど良かった!!」
ちょうどこれから開店なのだろう。次女の梨恵が暖簾を手に、声をかけてきた。
なぜまた、よりによってこのタイミングで……。
「ねぇ、ニュース見たよ!! それでね、実はミズキのことで話があって……!!」
「またな!! 近い内、必ずまた来るから!!」
聡介は和泉と一緒にやや駆け足でその場を去った。
「……ミズキさんって、どなたでしょうね?」
「わからん。あいつは自分の友人知人を全員、俺が把握していると思っているからな」
「梨恵ちゃんらしいですね。でも……もしかしてまったく無駄な話、って訳でもないかもしれませんよ?」
それはそうなのだ。
なんだかんだ父親の仕事を理解していて、何か力になれないかといつもそう心がけてくれていることは知っている。
「ミズキさん、頭の中にしっかりメモしておきます」
「俺もそうする」
都合がつけば明日の晩にでも、もう一度次女のところを訪ねよう。




