51:そこでピンと来るっていうのもね
午前中、北条は県警本部で調べ物をしていた。
聖から聞いた話を確認すべく資料を漁ったが、世羅高原の開発事業に絡むトラブルについては、確かに推進派と反対派の間で一度抗争があり、機動隊が出動したという記録は残っていた。ただしあまり詳しい記録はない。
推進派の1人である地主の事故死についても、事件を匂わせるような要素は記載されていない。他殺を疑っていたのは一部の刑事だけなのだろう。
当時の所轄署にいた主な担当者を調べた。その人物に話を聞こうと思ったが、既に定年退職し、現在は県外にいるという。
千葉で起きたという殺人事件についても詳しいことを知りたかったが、さすがに話を聞きに行くには距離がありすぎる。まして他県の警官に、そうやすやすと情報を下ろしてくれるはずもない。
警察の縄張り意識と言うのは根深いものだ。
それに加えて学生達のことも気になる。
富士原がくだらないことをしないよう見張っておいて欲しいと冴子に頼んでおいたが、さっそくだ。先ほど彼女からメールが来た。
抜き打ちの服装検査を行ったこと。
そして恐らくヤラセと思われる、亘理玲子のボタン紛失事件。
くだらない。
どうにかあのクズを追い出す方法がないものだろうか。北条は本気でそう考えた。
※※※
文字を追うのに疲れたので、正午には切り上げることにした。
それから北条が警察学校に戻ると、
「お帰りなさい。ねぇ、雪村君……」
冴子が上目遣いに話しかけてきた。こういう態度を取る時はたいてい、何かお願いがある時だ。
「何よ?」
「今日、うちの猫が退院するのよ。獣医さんがどうしても今日中に引きとりに来いっていうもんだから……定時で帰らせてもらっていい?」
そんなことか、と拍子抜けしてしまった。
「なんだ、そんなこと……さっさと仕事を終えて帰ればいいじゃない」
「なんだ、って何よ!! ペットは家族なのよ?!」
はいはい、と適当に返事をしておく。下手に何かペットについての質問でもしようものなら、マシンガントークが襲ってくるからだ。
コーラが飲みたい。まだ次の授業までには時間の余裕がある。
「それより雪村君……なんか私に、隠しごとしてない?」
北条が部屋を出ようとしたところ、冴子がドアの前に身を滑らせてきて、ジト目で見つめてくる。
「別に」
北条は彼女の肩を軽く押して道を開け、ドアノブをつかむ。
「男の人って、そうよね~……秘密を抱えると必ずと言っていいほど顔に出るの」
「女の勘ってやつ?」
「そういうこと。何かしら? 雪村君の隠しごとって~」
興味はあるが、それほど本気で知りたいと思っている訳でもない。そんなところだろうか。
それじゃ、と彼女は自分の席に戻った。
冴子を見ていると必然的に、相馬のことを思い出す。学生時代、3人で一緒につるんでいた時代のことを。
本当に相馬なのだろうか?
聖から聞いた闇サイトの管理者というのは。
だとしたら彼女にとっても、彼は【敵】に回ってしまうことになる。
あれから北条は相馬の連絡先を調べ、何度か連絡を試みた。しかし反応はない。
まさか、と思う気持ちとそうかもしれない、という不安に心が揺れている。
相馬は基本的に口数の少ない人間で、学生時代から確かに、何を考えているのか時々わからないこともあった。だけど。
私怨による復讐を手伝ったりするような人間ではないはずだ。
そう信じたい。
北条がコーラを買って部屋に戻る途中、グラウンドで声を張り上げている富士原の姿が見えた。
担当外の教場の学生達が必死で走っている。
一見するとごく普通の、どこにでもある警察学校の授業風景に見える。だが。
あの男は正真正銘のクズだ。
聖が調べてくれた闇サイトが実働するとして、いっそあのゴリラを始末して欲しいぐらいだ。
ふとそんなことを考えていた自分に気付いた北条は、苦笑してしまった。
少し疲れているのかもしれない……。
「はい。あんた、これよね」
教官室に戻り、北条は冴子に自動販売機で買った、ミルクセーキと言う名のジュースを渡す。
極甘で飲めたものではない。が、学生時代から彼女はこれが好きだった。
「えー? 嬉しい、ありがとう!! 覚えててくれたんだ?!」
「いつかあんたの血管が詰まるか、骨が溶けるだろうと思ってたけど」
「だから、飲む頻度はほどほどにしてたじゃない」
どうだか、と言いかけたこちらをよそに、彼女は一気に飲んでしまったようだ。
「ねぇ、ところで。メールじゃ説明が長くなりそうだから、会ってから話そうと思っていたことがもう1つあるの」
冴子は空き缶を手の上で弄びながら言う。妙に嫌な予感がした。
「……なに?」
「雪村君の可愛がってる、あの子……」
「藤江周のこと?」
「そう。気をつけた方がいいわ、本格的に富士原に目をつけられたから」
「……何かあったの?」
「名前知らないけど、あの子の知り合いらしい男の人がこないだの夜、学校へやってきたのよ。私、ちょうどその場面を見ていたんだけど」
「それってまさか、背の高い……」
「うん。雪村君好みのイケメンだった。確か警部補ですよ、とかなんとか」
和泉だ、間違いない。
「何をしに来たのよ? あいつが」
「知らないわ。ただ富士原があの子に絡んでるのを見て、助けちゃったのよね」
「助けた……?」
そう、と冴子は肩を竦める。
「おまけに階級と名前を名乗っちゃったから始末が悪いわ。自分よりずっと背が高くて、階級も高い相手でしょ? その上イケメン。あのゴリラにしてみれば、定年までおそらく手の届かない地位と……絶対に手に入れられない容姿。イラっとくる相手よね。絶対に逆恨みするわ。でもほら、本人に八つ当たりする訳にはいかないから、かわいそうに、とばっちりがあの子に来るわよ」
彼女の言うことはいちいちもっともだ。
根性の捻じ曲がったあのゴリラは、自分よりも強い相手にはケンカを売らない。その代わり弱い相手を徹底的に痛めつける。
「そういうわけだから、気をつけてあげてね?」
「……そうするわ」
次から次へと、どうしてゆっくり休ませてくれないのだろうか。
何をしにここへ来たのか知らないが、和泉にしてみればおそらく、自分の大切な存在が目の前で理不尽な暴力を振るわれようとしている場面を見て咄嗟に介入してしまったに違いない。
しかし。その行動はやや短絡的であり、その後のことを考慮に入れていない。
北条は今夜あたり和泉をここに呼びつけて一発殴っておこうと考えた。電話しようとスマホを取り出したと同時に着信音が。
「……もしもし?」
『ワシじゃ』
「あら謙ちゃん、めずらしく真面目な声してどうしたの?」
『ゆっきーの部下を全員、借りてもええかのぅ?』
「いいけど、何があったの?」
『尾道でコロシじゃ。初動捜査の聞き込みは人海戦術じゃけんな』
「……そう」
電話を切った後、北条は今後しなくてはならないこと、しておいた方が良いと思うことをメモ帳に書き出してみた。
和泉を呼び出して殴っておく。
富士原の挙動を監視する。
引き続き相馬要とのコンタクトを試みること。
あの男は今どこでどうしているのか。
聖が探ってくれているが、まだ結果は出ていないようだ。
自衛隊を辞めたという話は事実だろう。そうであればなぜ退職したのか、その理由を確かめたい。
海上自衛隊の駐屯地がある呉はここからすぐの距離だ。
時計を確認し、壁のカレンダーを見て北条はふと思い出した。
「そういえば。今日の午後だったかしら、例の交通技能コンクールの審査員が来るっていう特別授業」
「そうよ。八坂って言う警部補が来る予定」
「冴子、アタシちょっと出かけてくるから……後をよろしくね」
「ええ、またぁ?!」
それから北条はスマホを取り出し、和泉の番号にかけた。
「彰ちゃん? アタシよ。今日、何時になってもいいから警察学校に来て……いいからとにかく来なさい、いいわね?!」