50:君は狙われている
上村は溜め息混じりに続ける。
「とにかく。今、君は非常に微妙な立場にいると思った方がいい」
「どういう意味だよ?」
「……気付いていないのか?」
どうして和泉と言い上村といい、頭の良い人間はこう、謎めいた言い方をしてこちらを悩ませるのだろう。
「ハッキリ言ってくれよ。俺、お前みたいに頭が良くないからわかんねぇよ」
すると上村は、
「君は今、富士原教官に目をつけられている」
「俺が……?」
何があっただろうか?
最近のことを思い出そうと試みるが、すぐには浮かばない。
そんなこちらを見ていて苛立ったのだろう。上村は刺々しい口調で言う。
「原因はおそらく、あの時のことだ」
「あの時って?」
まだ思い出せないのか、という眼で見られた。
少しだけムっとしたが事実なので黙っておく。
「僕を庇って、クラス全員の前であの教官のことを【間違っている】と言い放ったことがあっただろう?」
「ああ、やっぱりか……」
実は薄々、勘づいてはいた。それが原因で相手を怒らせたであろうことは。
「やっぱり? 気付いていたのか」
「たぶん、そういうことじゃないかって今思った」
加えて先日、和泉が助けてくれた時のことを思い出した。敬礼の形がなってない、と殴られそうになった時のことを。
完全に、ただの言いがかりだと思うが。
「あの教官は好んで他人に人前で恥をかかせるくせに、自分が人前で恥をかかされると許せない、そういうタイプだ」
つい先月まで武術専任だった教官が退職し、新しく着任した富士原という教官は、確かに周から見てもおよそ他人を教え育てるのに適していないと思う。
倉橋も言っていたが、低身長がコンプレックスなのか、特に背の高い学生が狙われる傾向にある。
でも。もう少しだけ身長が欲しい、と願っている自分が狙われた理由は、さっき上村が言ったとおりだろう。
先ほどの授業の時。
準備運動の後は、各自組み手をするようにとの指示。
すると。周は同じ教場内の猛者達に取り囲まれた。
彼らと何度か組み合った時、ふっとバランスを崩した瞬間があった。
咄嗟に持ち直そうとしたが、何かに足が引っかかってしまう。妙な態勢で転んでしまった周は、足に違和感を覚えた。捻じってしまったようだ。
強い痛みを覚え、畳の上で蹲っている時に終了の合図。立ち上がるのがやっとで、周は倉橋に肩を借りながら着替えに行った。
その時、荷物を入れている袋から筋肉痛防止スプレーがなくなっていることに気づいた。これで2度目だ。
もし上村や倉橋の言う通り、誰かが盗んで隠したのだとしたら、まさか富士原教官の指示か?
周は首を左右に振り、そんな考えは頭から出ていくようにと願った。
そんなことあるわけがない。仮にも警察官なのに……。
「とにかく、気をつけろ。僕にはそれしか言えない」
言いたいことだけ言ってさっさと行ってしまった上村の背中を、周達はしばらく見守っていたが、
「……あのさ……周」
「なに?」
「気のせいかもしれないけど、いや……多分真実だと思う」
なぜ、そんな回りくどい言い方をするのだろう?
周は友人の横顔を見上げた。
「さっき授業の時、栗原巡査と組んだだろ? あの時……俺、見たんだ」
「……何を?」
「あいつワザと、お前が転んで足を捻じるように仕組んでた」
「まさか……そんな、器用な真似どうやって……」
周は笑おうとしたが、倉橋が思いの他、真剣な表情をしているので顔を引き締めた。
ややあって、
「周はさ、いろいろ目立つんだよ」
倉橋はぼそっと言う。
「……え?」
「だから、否応なく嫉妬の対象になるんだ。俺は周のこと好きだけど……それが面白くないって思う連中もいるってこと」
決して目立ちたいと思っている訳じゃない。
ただ確かに、何かと注目の的になることは認めざるを得ない。でも。
俺に、どうしろって言うんだ。
周の困惑した顔を見たのか、倉橋は慌てて
「先にいつもの席、座ってなよ。俺が周の分も取ってくるからさ。あ、1人で歩けるか?」
気がついたら食堂に到着していた。
平気、と答えてびっこを引きながら周はいつもの席に向かった。
釈然としない気分だ。
これから、少しはくつろげる昼休憩の時間だというのに。
周がお気に入りの定位置に座ると、向かいになぜか水越がやって来た。
ちょうどいい。文句を言わないと。
「なぁ、お前……護に、倉橋巡査に何か妙なことを吹き込んだだろう?」
「妙なこと?」
「とぼけるなよ! 護から聞いたんだからな?!」
しかし水越はなんのことやら、という表情で箸を手にとる。
もっと何か言わないと。こいつのおかげで、あれこれと余計なことで悩む羽目になったのだから。
だが、上手くまとまらない。
そうかと思えば向こうから話題を振って来た。
「だってホンマのことじゃろ? お前、ホントは奴のことウザいって思うとるんじゃろ? いっつも隣にくっついて、まるでフジツボじゃん」
「ふざけんなよっ!! 護は俺の大切な友達だ!!」
思わず大きな声が出てしまった。
「友達……ねぇ」
水越は怪訝そうな顔をする。
「なんだよ?」
「それじゃお前さ、もし倉橋の方が先に昇進して、その部下になったとしたらどうする?」
「従うに決まってるだろ」
模範解答だな、と目を細めて彼は笑う。
キツネみたいだ。
「人間、そんなに単純な生き物じゃないんだよ。表面上はどうとでも取り繕えるけどよ、胸の内じゃホントは黒い感情が渦巻いて……どうしてあいつが?! 自分の方がよほど成績上なのにって歯噛みしてさ……もっとも、大抵は過大な自己評価なんだけどな」
「それは、君自身の内心の話だろう? 水越巡査」
そう言ってすぐ傍に立っていたのは上村だった。
「他人の成功が羨ましくて妬ましい、それは人間としてごく自然な感情だ。だからといって仲間の足を引っ張ったり、和を乱していい理由にはならない」
水越は上村を睨んだ。
「君もその、余計なことによく回る舌を活用して上司にゴマを擦ればいい。そうすればいずれ、肩書きだけは立派なものがついてくるかもしれないな。実力が伴わないにしても」
ほとんど捨て台詞のように言って、上村は定位置に着いた。
水越はかきこむかのように昼食を平らげ、鼻を鳴らして去っていく。
何だったんだ。
不思議な気持ちで周は一連のやりとりを見つめていた。
しばらくして、
「今、もしかして水越がそこにいたか……?」
2人分の食事が乗ったトレイを手にやってきた倉橋が訊ねる。
「いたけど、どっか行った」
そっか、と彼はホっとした表情で隣に腰かける。
「そう言えばさ……」
話したいことがたくさんあった。周が口を開きかけた時、
「あ、あれ……なぁ、周!! 見ろよ、あれ!!」
肩を揺すってくる彼の眼は、テレビ画面に釘付けであった。
なんだ? 不思議に思って周が顔を挙げると、
『本日午前5時半頃、佐伯区五日市埠頭にて軽乗用車の転落事故がありました。乗っていたのは市内○○区××町に住む……警察は事故と見て詳しい原因を調べています』
画面いっぱいにうつったのは五日市埠頭の映像。
「どうかしたのか?」
「よく見ろよ、あれ……」
亡くなったのは三人の女性と子供。なんと読むのかわからない名前と共に、顔写真が映し出される。
友人が何をそんなに慌てているのか、周は不思議に思ったが、段々と記憶が甦って来た。
そうだ。
つい先日、猫カフェで見かけた迷惑客だ。確かに常識のない、マナーの悪い人間達だったけれど。交通事故で子供まで亡くなってしまったなんて。周の胸は痛んだ。
「事故かぁ……かわいそうだな」
倉橋の呟きに周も同意した。
だが。なぜだろう? どこかスッキリしない気分なのは。
さっき上村の言ったことや、水越の態度が気になるからだろうか?
それとも、今ニュースで聞いた事故が、本当に事故なのかと疑っているのだろうか。
現時点では不明だった。
周の言う『もう少し背が欲しい』は、和泉と同じ高さの目線になりたい(物理的に)という意味で、決して小柄な訳ではありません。
172センチぐらいかな?