5:アイラブにゃんこ
昨夜は興奮してあまり眠れなかった。
遠足の前の晩でも、ここまでじゃなかったような気がする。
「ねこ~、猫~にゃんこ~」
自分で作った謎の歌を口ずさみながら、広島県警察本部警察学校第50期生長期過程に所属する藤江周は友人で同期生である倉橋護と一緒に出かける為、駐車場へ向かっていた。
今日は日曜日。
本来、土日が休みで外出できる決まりになっているのだが、昨日は理由があって全員校内に閉じ込められていた。それが日曜の今日、やっとのことで外出が許可され、当番以外の学生は全員、急いで門の外へと散って行く。
だから誰も、周の異様に高いテンションを奇異な目で見咎める者もいない。
約1名を除いては。
図書室にでも行っていたのだろうか、脇に何冊か分厚い本を抱え、向かいから歩いてくる同期生の上村柚季は、変な人間を見る目でこちらを見ている。
そのことに気づいた周は手を挙げて、
「おっ!! おはよう!! あれ、上村ってもしかして当番?」
「いや、別に」
休みの日に寮に残る学生は稀少だ。皆、家族や友人、恋人に会いに行くため出かけて行くのが普通である。
現在テンションマックスな周は、普段ならきっと言わないことを、思わず口に出してしまった。
「じゃあさ、上村。お前も一緒に行かない?」
倉橋はぎょっとした顔をする。
「どこへ……?」
「猫カフェだよ、猫カフェ!! にゃんこに会えて触れ合えるんだぞ?!」
そう。今日、周は友人と一緒に猫カフェへ行く約束をしていた。
とにかく猫が好き。
猫のいない生活など考えられない。
だが……警察学校に入って寮生活を始めてから、ほとんど猫に触れていない。
たまに宮島の姉のところへ行くと、以前から飼っていた猫2匹が出迎えてくれるが、いずれもあまり愛想がない。
「もう何日も猫に触ってないなぁ……」
金曜日の夜、なんとなくぽつりと周がこぼしたところ、それを聞いた倉橋が提案してくれたのは、
『猫カフェにでも行ってみる? 確か、本通り商店街に新しくオープンしたって』
なんで今まで思いつかなかったのだろう?
そこで今日、周は友人と2人、猫カフェに向かうことになったのである。本当は土曜日に行くはずだったのだが、予定がずれたのには理由がある。
それはさておき。
「ここで会ったのも何かの縁だ!! よし決まり!!」
周は上村の肩をポンと叩いた。
「何を言って……」
「早く着替えて来いよ、駐車場で待ってるから」
上村が来るかどうか半々だった。が、周は確信している。彼はきっと猫が好きだ。
「あいつ、来るのかな……?」
運転席の倉橋はミラーをちらちら確認しつつ呟く。
「とりあえず、5分だけ待ってみてくれよ。別に予約してる訳じゃないし」
「……周ってさ……」
「何?」
「なんであいつなんかにかまう訳? 俺達のこと、基本めっちゃ上から目線で見るだろ。確かに頭はいいけどさ……」
なぜと訊かれても、これと言った回答はない。
ただなんとなく。それじゃダメなのだろうか?
「そうかもしれないけど、最近は実技だって少しマシになってきただろ? 前はまともにランニングさえこなせなかったのに、安定のビリだとしても、今は完走してるじゃないか」
「そうだけど……」
「上村はツンデレなんだよ、きっと」
「ツンデレ……ね」
しばらくして。上村はやってきた。
彼の、制服とジャージ以外の姿を初めて見た。
倉橋はびっくりしているが、周はやっぱりな、と思った。
※※※
「なぁなぁ、上村はどういう子がタイプ?」
もちろん猫の話である。助手席の周はバックミラー越しに、後部座席の上村を見つめながら話しかける。彼は車の中でも何か参考書を読んでいた。
「俺はやっぱり縞模様か、三毛だな~。無地もそれなりに可愛いんだけどさ、やっぱり柄がある方がいい」
「なんだよ、猫の話か……」
運転席の倉橋が呆れた声で言う。
「当たり前だろ、他に何があるっていうんだ?」
友人はやれやれ、と首を横に振る。
「上村巡査に、前から聞きたかったんだけどさ……」
と、彼は周にではなく上村に話しかけた。
「亘理玲子と付き合ってんの?」
しん、と車の中に冷たい空気が降りた。
上村は参考書を閉じ、
「その質問にはどんな意図がある?」
と、問い返してきた。
「え、いや別に……なんか、入校当初から何かと彼女に親切にしてたから、てっきり……なぁ?」
同意を求められても困る。
周は他人のそういった色恋沙汰にはさっぱり関心がないのだ。
「仮にそうだったとしたら、いいよなって思って」
「どういう意味だ?」
「いやほら、支え合って励まし合って……そう言うのって力になるだろ」
確かに。相手が男だろうが女だろうが、こんな厳しい環境の中、精神的に頼れる相手がいるのはありがたいことだ。
倉橋の返答が意外だったのか、上村は少し虚を突かれたような顔をした。
「別に、彼女はあまりにも……鈍くて、見ていられない。それだけだ」
確かに。
亘理玲子は周達と同じ教場の学生だ。
彼女に関して言えば、お世辞にも行動が俊敏だとか、動作が機敏だとは言い難い。
特に武術。
学生達の中には柔道は言うまでもなく、ボクシングやレスリング、格闘技を長年やってきたという女子学生もおり、そういう生徒とは比べ物にすらならないほどトロい。
ならば座学は得意かと言えば、まぁ中間ぐらいといったところだろうか。
こう言ってはなんだが、彼女のミスのおかげで足を引っ張られたことは何度もある。
つい先日、金曜日もそうだった。
午後の逮捕術の授業の時だ。誰かがミスをすれば、全員にペナルティが課せられる。
なかなか指示通りにできない彼女は、とうとう担当教官の怒りを買ってしまった。
全員、今週の休みはすべて取消。
外出も外泊も一切禁止!!
そう言い渡された学生達は皆、一斉に玲子を見た。
いたたまれない表情で、今にも泣き出しそうな彼女を救ったのは、上村だった。
「私が彼女の相手になります。それで無事、成功したら……せめて一日だけは外出許可をいただけないでしょうか?」
できるわけがない、と担当教官もたかを括ったのだろう。
「なら亘理、お前が上村の頬を殴れ」
「……できません……」
「やれと言っている。できません、なら今週の休みはなしだ」
全員の視線が2人に注がれる。
早く、と上村の目が言っている。
玲子は震えながら手を振り上げた。彼女が上村に好意を持っていることは、ほぼ周知の事実だ。
その手が派手な音を立てることは、しばらくなかった。
事態を見守る学生達。
すると、上村がぼそっと何か言ったのがわかった。
次の瞬間。
ばしーんっ!!
派手な平手打ちの音が響き、上村が畳の上に倒れた。
「……若干生温いが……まぁ、いいだろう。日曜日だけは許可してやる」
と言う訳で。
土曜日に予定していたはずの猫カフェは日曜日にずれこんだが、周は別に彼女を恨んだりはしてない。いつ何時、自分が同じ立場になるかわからないのだ。
でも上村が言うように、亘理玲子はかなり危なっかしい。
親しくしていた女子学生が急にいなくなってからは特に。そう言う面で、支えたり励ましたりしてくれる仲間の存在はありがたいだろう。
周は彼女のことを良くは知らない。
あまり自己主張をせず、口数も少なく、いつも隅っこにいるイメージだ。なぜこの職業を選んだのか不思議ではある。事務専門の募集もあっただろうに。
そうこうしている内に、八丁堀へ到着した。
日曜日だからか駐車場はどこも混んでいて、やっと見つけた空きスペースに車を止めて、あとは歩くことにした。
目指す店はすぐに見つかった。
いよいよ久々に猫とのご対面である。
店の入り口に猫の耳を象ったカチューシャが置いてあった。
「なぁ、これ着けてみない?」
冗談のつもりで周は上村にそう言ったのだが、予想通り返ってきたのは冷たい視線のみ。
いらっしゃいませ~、の声と、猫達に出迎えられる。
アドレナリン大量放出。
しばらく誰も何も話しかけないでくれ。