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40:船橋競馬場前とかね

 店員がボトルと氷、グラスを2人分運んでくる。

 後はいいわ、と北条は彼女に告げ、水割りを2杯用意した。


「そう言えばさっき2人って言ったわね? マルAの他にいた、もう1人については?」

「マルBとしましょう。この人物はマルAの友人で同僚だったと思われます」

「友人……同僚って、海上自衛隊の?」

「はい」


 なぜだろう? ひどく嫌な予感がする。


「そいつは今も自衛隊に?」

「いえ。残念ながら詳しい事情はわかりませんが、マルAと時を同じくしてマルBも除隊しております。その後の所在及び、現在の状況については調査中です」


「……若い女の子じゃあるまいし、Aちゃんが辞めるならアタシも、ってやつ?」

 嫌な予感を払拭したくて、北条はワザとおどけた様子で肩を竦めてみせる。

「その可能性を考慮した上で」

 こちらの胸の内を見透かしたかのように、聖は冗談をちゃんと受け止めた上で、真面目に答える。「いろいろ調査を試みましたが、その2人が除隊した理由は未だ不明です」

 そうだろう。自衛隊だって部外者にそう簡単に、隊員が除隊した理由など明かしてくれるわけがない。


 考えられるケースとしては。

 たまたま退職のタイミングが重なった。


 あるいは冗談ではなく本当に。

 マルAあるいはBがいないのなら、自衛隊(そこ)に自分が存在する理由はないと考えたのか。

 だったとすれば、その2人はおそらく強い絆で結ばれていたに違いない。


 ふと北条の頭に、あの扱いの面倒くさい後輩の顔が浮かんだ。


 あの男はもし藤江周が県警ではなく他の職業に就いていたら、聡介が定年で組織を去る際、一緒にいなくなるかもしれない。

 自分では彼を引き留めることができなかっただろうか……。


「なおこのマルBですが」

 聖の声で我に帰る。

「以前、とある事件に関して千葉県警からマークされたことがあります」

「千葉……? いったい何があったの」

「千葉県内で発生したとある殺人事件で、容疑者として浮上した人物とマルBの間に、密接な関係があった形跡が確認されたからです」


「どんな事件なの?」

「……半年前のことです。千葉県船橋市のとあるモーテルの一部屋で、男性の刺殺体が発見されました。被害者の氏名は……報道されましたから、実名でお話しします。小林という某大学の准教授です」


 こちらです、と彼はタブレットを操作する。

 そこには事件についての詳細が書かれた記事があった。


 小林なる准教授の死因は、鋭利な刃物で複数個所を刺されたことによる失血死。

 チェックアウトの時間を過ぎても一向に姿を見せないため、不審に思ったモーテルの従業員が部屋を確認したところ、遺体を発見した。

 千葉県警は同じ部屋に宿泊した相手を容疑者と見て捜査を開始。


「……この准教授は表向き、清廉潔白で非の打ちどころのない人として知られていました。学生からの人気も高く、家庭では良き夫であったとの評判でした」


 北条は被害者の顔写真を見た。まだ若く、確かに整った顔立ちをしている。

 でも本当に、そんな完璧超人が存在するのだろうか?

 そんなこちらの疑問に答えるかのように、

「ただしそれは、表向きの話です。その准教授には裏の顔があったようです。実は千葉県警に友人がいるのですが、ちょうどその事件を担当していたので詳しいことを聞けました」


 裏の顔か。

 正義と法を守ることを前提とし、標榜する警察官にだって素行不良な者はいる。

 だからこそ今、目の前にいる聖のような監察官が存在する訳だが。


「裏の顔ってどんな?」

「夫人とは仮面夫婦で、他に何人かの女性と交際していたという噂があったそうです」

「……だからでしょ、モーテルなんかで殺されたのは。家庭では良き夫だったっていう評判はどこから来たわけ?」

 よほど外面の良い人間だったのだろうか。

 評判なんて、口先一つでどうにでも操作できるものだ。


「警視の仰る通りです。なお、事件の際に被害者が連れていた女性ですが……フロント係が目撃していました。そこで被害者と交際していたと見られる、何人かの容疑者候補に面通しさせてみたのですが、該当者はいないとのことでした」


 犯人にしてみれば、絶対に捕まらないという自信があったのだろう。

 自分の姿を人目に晒すとは。


 ふと、北条は思いつきを口にした。

「ねぇ。その被害者が連れてたのって、本当に女だったの? 男だった可能性は?」

 すると聖は、

「……その可能性については、考えも及びませんでした」

「華奢な男が女装していたかもしれないわよ」

「友人に話してみます」 


 そうした方がいいわね、と北条は水割りを一口だけ喉に流し込む。

 それにしてもなぜだろう、先ほど感じた嫌な予感が次第に強くなるのは。


「愛人たちが全員クロと断定できなかった千葉県警(むこう)はその後、どうしたの?」

「痴情のもつれの他に、動機はないかと探りました。その結果、判明したのがアカデミックハラスメントがあったという事実です」


 アカハラ。大学などにおいて研究教育に関わる優位な力関係のもとで行われる、理不尽な行為というやつか。


 それにしても。広島から800キロ以上離れた場所で起きた殺人事件と、いま自分が知りたいことと、どう関係してくるのかが見えてこない。

「……そこへマルBがどう関わってくるの?」

「恐れ入りますが、もう少し御辛抱ください」

 北条としては黙って頷くしかなかった。


 聖はタブレットを操作し、ご覧くださいと画面を見せた。

 青白い顔の、顎の細い神経質そうな若い男性が映っている。

「こちらは実は、捜査線上に上がった容疑者の内、一番クロの心証が強かった人物です」

 マルCとしましょう、と彼は言う。

「マルCは自分の研究論文を、被害者であるその教授に盗用されたと訴えたことがあります。また他にも、マルCの論文に加筆修正しただけのものを、教授から第一著者および共著とするよう強要されたこともあったと」


 最低、と北条は胸の内で呟く。

 こういう話をする時、聖は自分の感想を口にしない。ただありのままに事実だけを淡々と語る。

 だから自分も黙っておこうと決めた。


「千葉県警はマルCを、最も強い動機を持つ者としてマークしました。しかし……」

「証拠不十分?」

「マルCには事件当時、完全なアリバイがありました。その上、これと言った物証を挙げることもかなわず、捜査本部は縮小。専属捜査員は友人を含め、2名のみとなりました」


 ほぼ迷宮入りだ。

 一瞬だけ、2人の間に沈黙が降りる。

 カラン、とグラスの中の氷が溶けて音を立てた。


「その後すぐ、別の事件が発生したため……片手間となりましたが、友人はマルCの追跡を秘かに続けていたそうです」

 崩しようのないアリバイ。

 千葉の刑事はしかし、どうしてもそのマルCである青年が気になって仕方なかったのだろう。

「友人はある時、マルCの通信記録を調べてみたそうなのです。するとネット上で頻繁にやり取りしている相手を見つけました。それがマルBです」

 どくん、と心臓が高鳴る。

「どういう関係だったの?」


「猫つながりだったというのです」

「猫……?」

「実際、マルCとマルBが直に接触している場面も目撃されています。マルCいわく、マルBが保護猫の里親を募集していたので、名乗りを上げたとのことでした」


 なんだか話が妙な方向へ飛んだ気がする。その部分だけを聞いたら、単なるほのぼのとした良い話ではないか。

 だがそんな訳はない。


「ただ、猫のことは表向きの理由だったのではないか……友人はそう考えたそうです」

「また裏面が出てくるのね」

 拍子抜けしてつい、余計なことを言った。

「何ごとにも裏と表はあるものです」

 聖は真面目に答えて続ける。「マルCは自宅にパソコンを所持していながら、時折ネットカフェに出かけて行くことがあったそうなのです。そこで捜査員は、そこでマルCがアクセスしていたサイトを確認しました」

 わざわざ外でアクセスするということは、万が一警察に自宅に踏み込まれ、履歴を調べられては困るからだろうか。


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