39:正体不明の聖くん登場
約束の時間まで後3分。
北条はとあるホテルの最上階にあるバーラウンジを目指して、エレベーターを待っていた。
上に行く合図の音がして、扉が開く。
他に乗り込む客はいないようだ。12階のボタンを押そうと指先を伸ばした時、既にランプがついていることに気づく。
「お久しぶりです、北条警視」
急に背後から声がした。
「久しぶりね、聖」
この男はいつもそうだ。背後から気配を消して近づいてくるから油断がならない。
背中をとられるのは北条にとってあまり愉快なことではないのだが、相手が彼だとまぁ仕方ないか、と思ってしまう。
警務部監察課。
それが彼、聖いつき警部の所属部署である。
監察課とは警察の中の警察と呼ばれ、素行不良な職員を取り締まる役割を担っている。ゆえに仲間内からは蛇蝎のごとく嫌われる部署の職員だ。
数いる北条の後輩の中でもかなり優秀な彼は、もう長い間、監察官を続けている。
北条はあまり公にしたくない、極秘裏に調べたいことが発生すると必ず彼に連絡を取る。
彼は監察官としても非常に優秀だが、それだけではない。
その真価は情報収集力にもあるといっていい。あらゆる技術を駆使し、かつ決して秘密を漏らしたりしない。
この男に任せておけば間違いない。それほどに信頼していた。
なお、隠密行動を得意とする彼のことを、実は秘かに【忍者】と呼んでいる。
北条はその忍者に、先日世羅高原で見た、着ぐるみの中に入っていた人物について詳しく調べて欲しいと頼んでおいたのであった。
12階に到着すると、聖はこちらをまったく振り向くこともなくスタスタと歩いていってしまう。
いつもお洒落な彼は、今日も上等なツイードのスーツを身にまとい、腕にオメガをはめている。靴は顔が映りこみそうなほどピカピカに磨かれている。
いつ見ても隙のない男だ。
彼と会う時はいつも必ず同じ場所だ。とあるホテルのバーラウンジ。
一番奥の、密談には持ってこいなテーブル席につく。
「ご照会のあった人物についてですが」
聖は一切無駄口を叩かない。挨拶を終えるとすぐに用件を切り出す。
「ここから先は【マルA】で話を進めます」
わかった、と北条は無言で頷く。
「マルAが海田基地所属の海上自衛隊員であったのが3年前。一身上の都合により退職し、現在は自営業者として働いています。内容は各種代行サービス及び、清掃業など」
北条は無言で頷く。そこは既に黄島から聞いている内容と重複する。
「ですが」
彼は人の気配を感じたのか、口を閉じた。
確かに足音がこちらに近づいていた。
「失礼いたします」
と、やってきたのは女性の店員だった。
注文を聞き取った彼女が去ったあと、聖は再び口を開く。
「このマルA、かなりキナ臭い人物です」
「……どういうこと? まさかハム絡みなの?」
「こちらを」
彼はタブレットを取り出してテーブルの上に置いた。
最初に映し出されたのはとある新聞記事である。日付は今から5年前。広島県内で発行される地方紙だ。
【リゾート開発及びバイパス拡張計画反対運動 住民説明会にて怒号が飛び交う】
5年前、県中央部に位置する世羅郡世羅町で一大リゾート開発計画が持ち上がった。企画運営はあしたかグループ。
降雪や台風被害の少ないこの地は、夏場涼しく、避暑地としても注目されている。そこでこの地に新しくゴルフ場や遊園地など、レジャーランド造成計画が持ち上がった。
もともと尾道から世羅方面には島根県方面に向けてバイパスが通っており、交通の便は良い。その道路をさらに拡張した上で、観光客を誘致しようという目論見である。
年々人口が減少傾向にあり、過疎化が進むこの田舎町への起爆剤となればという企画だったらしい。
ところが。今は人口2万にも満たない小さな町に住む人々は、ほとんどが古くからの地元民であり農家であるため、この計画のために他所へ移転することを望まなかった。
この地でとれるブドウを原料にワインを製造販売している家もあり、それがこの地の名物の一つでもあったが、再開発計画が施行されれば、そのうち何件かは土地と工場を手放さなければならなくなる。
あしたかグループはワイナリーをも自らの傘下に収める予定だと聞いた地元民は、さらに猛反発した。
しかし住民の反対を無視する形で着工が始まり、そうしてでき上がったのが世羅高原リゾート。
先日、自分達が行った場所だと北条は気付いた。
基本的にこの手の事業はいくら反対したところで、既に決定事項であり、事後承諾という形で近隣住民に説明するものだ。
「……で、もしかしてこの件で、反対派か賛成派のどっちかに死者でも出たの?」
「はい」
「誰が?」
「推進派の中核を担っていた人物です。公式には事故死となっています」
「それはつまり、事故と断定するにはいろいろと疑わしいことがあるっていう意味ね?」
「仰る通りです。なおその人物は地主であり、既にあしたかグループに土地を売っていたとのことでした」
いわゆる開発事業計画にはつきものの案件だが、こちらの知りたい人物とどう関わってくるのかが、まだ見えてこない。
「実はその事故のすぐ後、小規模ながら暴動が発生いたしました」
「暴動?」
「推進派が雇ったと見られる暴力団関係者が、反対派のとある民家に放火する事件があり、怪我人が出ています」
そんなことをすれば、反対派住民の感情を逆撫でするだけだ。
どうしてそんなことも理解できないのだろう?
「これがきっかけで着工が開始される直前、現場付近のフェンス前に反対派住民が徹夜で座り込みをするという事態が発生しました。追い払おうとした企業側の関係者の中には……間違いなくヤクザやテロリストと思われる人物達が混じっていました。衝突が発生し、暴動に発展しました」
北条は溜め息をついた。
「……成田空港ができた時の三里塚闘争みたいな話、現代にもまだあるのね」
三里塚闘争とは1960年代の遠い昔、成田空港建設反対を唱える地元住民らが革新政党指導の下で結成した「三里塚芝山連合空港反対同盟」による反対運動のことだ。
開港を急ぐ政府と反対派の抗争により暴力沙汰へと発展し、過激派グループまでもが参入した結果、死者を出す惨事となった。
規模の大小はともかく一大事業が展開される時には、必ずと言っていいほど反対運動が起きる。
そうして、どこから匂いを嗅ぎつけてくるのかヤクザやチンピラ、およびテロリストたちがこぞって集まってくる。
初めは口で罵倒し合い、すぐに手が出るようになる。
無用な血が流れ、傷つき悲しむ人が絶えないものだ。
「その時、警察からも機動隊が出動した?」
「……出動はいたしました。ですが」
彼は一旦そこで言葉を切る。
北条は黙って続きを待つ。
「機動隊が現場に到着した時には既に、事態は収拾していたそうなのです」
「……どういうこと?」
「推進派の手先および、企業側に雇われた暴力団関係者の全員が倒れ、瀕死の状態だったと」
「何それ。チートな村人でもいた訳?」
聖は冗談の通じない男だ。わかっていて北条はつい口にした。
案の定、彼はクスリともせず、真剣な顔で続ける。
「もちろん、事情聴取を行いました。ですがその場に居合わせた者たち全員が口裏を合わせていたようで、何が起きたのかハッキリとはわかりません。ただ、あくまでも噂話ですが。たった2人で反対派の住民グループを守って闘ったという人物がいたそうなのです」
「へぇ……」
「その内の1人と目されるのが、ご照会のあった人物マルAです」
「よく調べてくれたわね、さすがだわ」
しかし彼は礼にも称賛にも、眉ひとつ動かさない。
代わりにタブレットを操作し、報告を続ける。
「また。これはあくまで推測の域を出ませんが、先ほど申し上げた推進派の中核人物の事故死について、本当は殺人だったのではないかと言う意見も、所轄署では上がったことがあるそうです」
「その犯人が……はん……」
北条は思わず名前を口にしかけて留まった。誰が聞いているかわからない機密情報について話す時は、暗号及び符丁で話すのが決まりだ。
「マルAだったんじゃないかってこと?」
「はい。しかし、あくまでも噂であり、証拠不十分のため立件されていません」
なるほどね、と北条は1つ息をついた。