36:私立探偵はつらいよ
孫の顔をしっかりと見届けてから1階の店舗に降りると、だいぶ混み合ってきたのがわかった。
既に食事を終えたビアンカは1人で所在なげにスマホをいじっている。
次女に会いにきただけのはずが思いがけない展開になり、そろそろ退出しようかと聡介は考えた。
「ビアンカさん、そろそろ……」
するとその時。
「あれ、おじさん?!」
後ろから若い男性の声がした。
「昼間、電車の中で会ったおじさんだよね?」
振り返ると、確かに電車の中で会話したあの青年がニコニコ笑いながら立っている。
確か名前は『リョウ』と言ったか。
仕事はもう終わったのか、昼間見た時と同じ格好をしていた。
彼は聡介とビアンカを見くらべると、
「へぇ~、こんなものすごい美女とデートなんて、隅に置けないなぁ」
と、ニヤニヤ笑う。
別にデートだのなんだの、そういう事情ではないのだが。
「……もう、仕事は終わったのか?」
「うん、昼間の部はね。これからまだもう一仕事あるんだ」
ここに座っていい? と、こちらの了解を待たずに聡介の隣に腰かける。
どうしたものか。ビアンカの様子を伺う。
すると、どういう訳か彼女の表情が一変した。
それまでずっと笑顔だったのに、何か見てはいけないものを見てしまった、そんな驚愕の表情を浮かべたように思えた。
何があったというのだろう?
「あ、私……明日も仕事だからそろそろ失礼しますね」
ビアンカは財布から幾らか千円札を取り出し、テーブルの上に置いた。聡介が何か言う前に、彼女はなぜか、急いで外に出てしまった。
「……ありゃ……ごめんね。ひょっとして僕のせい?」
「いや……」
驚いたが、彼を責めるつもりはない。
「けっこうお店が混んでるから、相席の方が良いかなって思ったんだけど」
リョウは申し訳なさそうな顔をしている。
「気にするな」
女性にはきっと、男には理解できない【何か】があるのだろう。
聡介の認識としてはその程度だ。
「次の仕事の前に、どっかで晩ご飯食べようと思ってこの店を見つけたんだけど。まさかおじさんに再会するとは思ってなかったな~」
おしぼりで手を拭きながらリョウは笑う。
そして次女に向かって、
「宝剣を1合ください。おちょこは……」
視線を感じた聡介は首を横に振る。「1つでお願いします」
宝剣とは広島の西条で造られている地酒だが、
「これからまだ、仕事なんだろう?」
聡介は思わず訊ねた。
「いいんだよ、そういう仕事だから」
リョウはこともなげに答える。
どんな仕事なんだ、と思ったのは一瞬で。
ホストか。
確かにこのノリの軽さといい、人懐っこさといい、彼に向いていると思う。
「……昼間は何の仕事をしていたんだ?」
聡介が問いかけたとき、梨恵がやや不満そうな顔でテーブルに徳利とおちょこを置いて行った。
ある時期からどういう理由か、やたらに再婚を勧めてくる彼女は、ビアンカを見て勝手に勘違いしたに違いない。
それでいて、それをこの若者がデートのジャマをした……と考えているのだろう。
そういうのではないし、そもそも客商売のくせに、顔に出すんじゃない。
「んー、今日はとあるビルのお掃除。あと、庭の手入れと言う名の草むしり」
リョウが手酌で飲もうとしたので、聡介は徳利を取ってついでやった。
「ありがと」
吊り目気味な彼が目を細めると、本当に猫みたいな顔になる。
「そうなのか……肉体労働で大変だったな。それなのにこれからまだ、他の仕事があるんだろう?」
「大丈夫だよ。夜の仕事はそんなに体力要らないし」
もし本当にホストなら、口さえ動けば特に問題ないだろう。
それからしばらく雑談をして、リョウは立ち上がった。
彼は何も食べずにアルコールだけを口にした。
「それじゃね、僕そろそろ行かないと」
「気をつけてな?」
「またどこかで会えるといいね、おじさん」
「そうだな」
「お仕事、いってきまーす」
笑いながらリョウは店を出て行った。
※※※※※※※※※
その頃、捜査1課の部屋。
いつもなら聡介が座っている席に、今は長野が腰かけている。
和泉は書類仕事をあらかた片付けておいた後、守警部との約束の時間が近づいていることに気づき、席を立った。
昼間、ロクに話もきけなかったあの【おおみや】に再度向かう段取りになっている。
夜は店が営業しているだろうから、常連客から何か聞きだせるかもしれない。
「僕、出かけてくるから」
「あー、いっちゃんと例の飲み屋さんか~。ええのぅ、ワシもホンマは一緒に行きたかったんじゃけどな……これから会議じゃって~」
「来なくていい」
「ふーんだ、彰のバカー!!」
子供か。
それから和泉は駐車場に向かった。
守警部は先に来ていた。
「すみません、お待たせして」
「私の車で行きましょう。どうぞ、こちらへ」
シルバーのセダンに案内され、和泉は助手席に座り、シートベルトを締めた。
車は走り出す。
「……和泉さんは長野課長と随分、仲が良いんですね?」
「……腐れ縁です……」
「まぁでも、長野課長もお元気そうで何よりでした」
「あいつは地球が滅びても、しぶとく生き延びますよ」
あの小柄な体が宇宙空間に浮かんでいる姿が頭に浮かんだ。
「それより、あの……守警部」
「はい?」
和泉は人差し指同士をつんつん突き合わせつつ、もじもじしながら、
「車なんですけど警察学校に停めていいですよね? 我々、関係者なんですし」
「はぁ……」
これから向かう店は、坂町……警察学校のすぐ近くにある。ただ、店の近辺には車を止める場所がなかった。
「ほら、買い物をしないのにスーパーに停めるのはやっぱり……」
「要するに、学校の中に入りたいんですね? 和泉さんは」
「正解!!」
今の時間ならもう授業は終わっているはずだ。昼間は周を、その姿しか見ることができずに歯がゆい思いをした。
前のように教官のフリをして内部に潜り込めば、部屋にだって入り放題なのだが……たぶん。
「そうですね、駐車違反で切符を切られても困りますし。学校の敷地内なら文句は言われないでしょう」
この人は理解あるいい人だ、と和泉はしみじみ思った。
「ところで、あの店【おおみや】のご主人ですが。あの男性が、お嬢さんの復讐のために御堂久美さんを殺害したと考えるのは、どうでしょうか?」
守警部が先に事件について口を開き、和泉も応える。
「……動機の面では充分です。でも、それではいろいろと疑問が残ります」
「そうですね、まず……なぜ御堂久美さんはあの日、帝釈峡まで出向いて行ったのか」
何か所縁の土地だったのだろうか。
話し出したら、次々と疑問点が浮かんできた。
「おおみやのご主人は、娘のフィアンセを奪った女をどうやって知り得たのか。仮に元々顔見知りだったとして、確実に自分を恨んでいるであろう相手からの呼び出しに応じて、わざわざあんな山奥にまで出向くだろうか……」
「そしてご主人のアリバイ、ですね?」
「死亡推定時刻は結婚式が執り行われたはずの、土曜日の夜でした。恐らく午後7時から9時の間」
「まだハッキリとはわかりませんが、土曜の夜なんて、居酒屋さんにしてみれば稼ぎ時でしょうね」
「そうですね。それに……あんな田舎町です。見慣れない人物や車が通りかかったら必ず、誰かが覚えているはずですよ。それが何一つ、目撃証言が出ていないということからしても……」
夕方までの間、隙を見て和泉は【おおみや】の主人について調べておいた。
生まれも育ちも坂町。父親の代から経営している店の2代目だった。帝釈峡とは縁もゆかりもなさそうだ。
「そもそもどうして、帝釈峡だったのか……」
「そこですよねぇ」
まだ濃い霧の中を懐中電灯一つで歩いているような状態だ。公式に殺人事件として捜査するなら人海戦術も期待できるが、非公式ではそうもいかない。
真相を探りだすには少なからず時間がかかるだろう。
私立探偵って大変だなぁ、と和泉はしみじみ思った。
※※※
警察学校の駐車場に到着する。
「実はつい先月まで、ここで【なんちゃって教官】をしてたんですけどね。その時に忘れ物をしてしまいまして……取りに行ってきます。先に店へ行っていてください!!」
生暖かい眼差しで頷く守警部を尻目に、和泉は走りだした。




