33:父の判断
一日の任務を終え、ホッとする夕方の時間。
明日は法医学の授業がある。
予習のため教本に目を通したが、もう少し詳しい資料が欲しくなって周は図書室に向かった。
途中の中庭では、女子学生達が輪になってしゃべっていた。
そろそろ日暮れが早くなるこの季節ではあるが、外気温はまだそれほど低くない。秋らしい快適さだと言える。
いずれも見たことのない顔ぶれだから他教場の学生だろう。中心にいるのはやはり、女子学生の間のリーダーなのだろうか。
それにしても、なんで女の子ってああして、固まって行動したがるんだろう?
もちろん中にはなんでも1人でこなす、という女性もいるだろう。
姉はどうだったのだろう? 学生時代。
そういえば今週はまだ姉に電話していない。
姉の声はものすごく聞きたい。
めちゃくちゃ話はしたい。
ただ、2つほど懸念事項が。
1つは行楽シーズンの今、忙しいのではないだろうかという遠慮。
そしてもう1つは。携帯電話は業務用に使うから、なるべく自宅の固定電話にかけるよう言われているのだが、初めに義兄が応答した際のことを考えると……。
何か挨拶しなければいけないのだろうか?
『姉さんに代わって』だけでいいだろうか?
そんなことを考えている間に、図書室へ到着した。
目的の本を探す。すると。
同じタイミングで同じ本に、同時に手を伸ばした相手がいた。
「……あ、ごめん」
「こちらこそ……」
亘理玲子だった。
周は手を引っ込める。
「明日の授業の予習だろ? いいよ、先に使いなよ。俺は他の探すから」
「でも……」
「いいって、気を遣うなよ」
そうしてふと、周は思い出した。
先日の逮捕術の授業で、彼女が大変な目に遭ったことを。
「なぁ、大丈夫か?」
「……何が?」
「こないだ、逮捕術の授業の時……」
ああ、と玲子は苦笑いする。
「ありがとう、大丈夫よ」
本当だろうか?
「そう言う藤江君こそ、どうしたの?」
「え、何が……?」
「最近、倉橋君と何かあったの?」
周は言葉に詰まった。
「いつも一緒にいるのに、この頃はそうじゃないから」
そうだ。結局、何が原因なのかわからないままだ。
「よくわからないんだ……俺にも」
すると玲子は真っ直ぐにこちらの目を見つめ、
「最近、良くない空気が渦巻いてるの、わかる?」
「良くない空気……?」
「疑心暗鬼っていうのかしら。皆がまるで、お互いをライバルっていうよりも、敵同士みたいに思っているように感じるの。仲間なのに」
そうかもしれない。
でもまさか、倉橋までもが自分をそんなふうに見ているのだろうか?
信じられない。
というよりも、信じたくない。
玲子は続けて語る。
「誰かが……教場の中を引っ掻き回しているようにも思えるのよ」
「どういうことだ?」
「考え過ぎかもしれないけど、気に入らない、ジャマな人間を追い出そうとしているような、そんな空気っていうのかしら」
「まさか……」
とは言ってみたものの、彼女の見解を否定するだけの材料がないことに周も気付いた。
「でも、私は辞めないから。絶対に」
玲子はそう言い残し、自習室の方に姿を消した。
それから周は他に参考書がないかを探して【すぐにわかる法医学】【よくわかる法医学】【法医学教室の事件日誌】など、いささか胡散臭いタイトルの本を手に、貸出カウンターに向かった。
そしてふと、一度ぐらいは亘理玲子とゆっくり話してみたい……そう思った。
※※※※※※※※※
尾道まで来ておいて、次女に黙っている訳にもいくまい。
それにもう1人の孫の顔も見たい。
聡介は長女の自宅を出て尾道駅南口方面に向かった。
尾道駅前から福山方面に続く国道2号線沿いに連なる商店街。その入り口に聡介の次女である梨恵が嫁いだ、割烹料理店がある。
人気店で常連客も多く、夜になると混雑する。なので店が空いて間もない、空いている時間を狙って行った。
踏切を渡り、林芙美子像のちょうど前に到着した時。
学校帰りだろうか、小学校低学年ぐらいと思われる少年達のグループが商店街の方向からやってきた。全部で4人。
先頭を歩く男の子は他の2人の子としゃべりながら、手ぶらで歩いている。
そして一番後ろには。ランドセルを4人分背負った男の子が、フラフラしながら歩いていた。両手にもいっぱい荷物を抱えている。
心配になって、聡介はしばらくその様子を見守っていた。
いつの時代にもどこにでもイジメは存在するものだ。
かくいう長女にだって学生時代には、自分の知らない所できっと【何か】あったに違いない。
父親に心配をかけまいと、いつだって無理して微笑んでいた彼女は、そういった事実を何一つ口にしたりはしなかったけれど。
ただ。だいぶ後になって、ある日ぽろりと義理の息子が漏らしたことがある。
高校に入学して間もない頃だ。
クラスの中で、娘に対する一部の人間からの嫌がらせがあった、と。
詳しいことは結局、彼も教えてくれなかったが。
今でも思い出すと胸が締め付けられるような気分がする。
どうしてもっと早く気付いてあげられなかったのだろうか、と。
あの頃は自分のことで精いっぱいだった、なんていうのは言い訳だろうか。
そんな感傷に浸っている間に、気がつけば子供達が目の前を通り過ぎていく。
少年達は甲高い声で嘲笑しながら、最後尾を歩いている子供に野次を飛ばす。
聡介は思わず、彼らの後を追いかけた。しかし。
今ここで自分が事態に介入したなら?
一時的な解決にはなるかもしれない。でも、その後どうなる?
立ちすくんだまま時間だけが経過した。
そのすぐ後のことだ。
「ちょうスーパー円心蹴り!!」
謎の叫びを上げながら、先頭集団の少年の1人が、最後尾の少年を蹴飛ばした。
バランスを崩した少年は荷物をぶちまけ、前のめりに、舗装された道路の上で転んでしまう。
聡介は咄嗟に少年に駆け寄った。
「……大丈夫か?!」
少年は怯えた顔でこちらを見つめる。返事はなかった。
どこか外国人の血が入っているのだろうか、彫の深い顔立ちの子供だ。
急に割って入った大人の存在にビックリしたらしい少年達は、戸惑った表情で互いに顔を見合わせている。
聡介は膝をついて散らばった荷物を拾い集める。
キャラクターの絵が書かれた筆入れ、ノートなどの文房具。そうして。
筆入れに記載されていた名前を見て、ぎょっとしてしまった。
【山西あとむ】
山西?
まさか……。
「返せよ、じじぃ!!」
思わず手にとってじっと見つめていた筆入れを、少年の1人がひったくるようにして、聡介の手から奪い取る。
相手の顔を確認した。
似ている。かつて妻と呼んでいた女性の家系に見られる顔立ちだ。
山西家の一族がどこに住んでいるのか、詳しいことは何一つ知らない。だがあの家は全員が地方公務員だ。尾道市内に赴任していても不思議はない。
するとその時。
「ちょっと、あなた達!!」
聞き覚えのある女性の声が背後から聞こえてきた。
気の強そうな物の言い方。
まさか次女か……?
「さっきから見てたけど、全部の荷物を持たせた上に乱暴するなんて、最低よ!! おまけに、年長者に対する敬意がまるでなってないわ!!」
ゆっくりと後ろを振り返る。そこに立っていたのは……。
「うわぁ~、外人だぁーっ!! キモっ!!」
1人が叫び、他の子供も追随する。彼らはそれぞれ慌てて自分の荷物を回収すると、てんでバラバラに走り去って行く。
「ビアンカさん……?」
なんで?
聡介はただただ驚き、彼女の顔を穴が空くほど見つめてしまった。
そして。どうしたというのだろう? 急に視界がまわりだした。
目に入るものすべて、あの有名な絵画のようにグニャリと歪んで見える。
地震が来たのかと思うほど身体が揺れる。
「……さん、高岡さん……?」
思わず伸ばした手を、誰かの冷たい手が掴んでくれた。
「大丈夫、少し休めば……」
大丈夫。
自分はまだ、頑張れる。
後書きテロ、紹介して欲しい人は……成宮に連絡くれ!!
……効果のほどは保証しないが( ´-ω-)