32:隊長さん、無双する。
見慣れた県警本部のビルが近づいてくる。
ここは市の中心部、人通りも自然と多くなってくる。
北条雪村は混み合う道路をどうにかすり抜けて、本部の駐車場に車を停めた。
部下達は今頃きっと、訓練の最中だろう。
そう考えたら自分も身体を動かしたくなってきた。
と、いうか暴れたくてたまらない。
学生相手に全力を出す訳にはいかないし、怪我でもさせようものなら重大な責任問題だと承知している。その点、現役の部下たちならば何も遠慮はいらない。
彼らは全員、しっかりとした訓練を受けたプロなのだから。
北条はまず、上官である捜査1課長に挨拶をしに、課長の執務室へ向かった。
先ほど学校の近くに来ていなかったか訊ねたが、上手くはぐらかされた。
何やら独自で調査しているようだが、現時点では明かせないらしい。
まぁ彼は、元々手の内を簡単に明かすような人ではない。
その親類でもある和泉も然り。
今は深く追及しないでおこう。今のところ、は。
それから北条は捜査1課の部屋へと足を運んだ。
部下達の席は全て空席だ。
今は訓練の最中なのだろう。
対テロ組織及び、営利誘拐、人質立てこもり事件などの【特殊犯罪】を扱う、その名も【HOSTAGE Rescue Team】略称【HRT】隊員は、日々有事に備えて戦闘訓練を怠らない。
北条はその足で、訓練場に向かった。
案の定。部下達は全員、各自筋トレや組み手など、いざという時のための鍛練に励んでいる。
「隊長!!」
北条の姿を見かけると、隊員たちは口々に歓迎の意味を込めて出迎えてくれた。
ゴツい顔に浮かぶ微かな笑顔は心を和ませてくれる。
「悪いわね、皆。すっかりご無沙汰していたわ」
久しぶりに部下達に囲まれると、ますます暴れたい欲求が沸いてきた。
「ちょっと待ってて、アタシも着替えてくるから」
変なスイッチが入ってしまった。
と、いうことで。
「どっからでもかかって来なさい!!」
……そうして。
気がつけば道場の中は静まり返っていた。先ほどまで聞こえていた掛け声や、空気を切るような音は絶えている。
死屍累々……そんな表現が相応しい。
「あらやだ。ちょっとどうしたのよ、皆……」
久しぶりに手加減なしで暴れた結果、部下達は全員、床の上でのびていた。
北条はやや、やり過ぎたかと反省しつつも、後悔はしていない。
「……た、隊長……」
ほふく前進しつつ、震えながら手を伸ばしてきたのは部下の1人、黄島だった。
「何よ、黄島。どうしたの?」
「せ、先日……世羅高原で……見かけた例の、着ぐるみに入っていた人物の特定をしたんですが……げほっ……」
そう言えばさっき、彼の腹部に思い切り膝蹴りをかましてしまっていたことを思い出す。
「大丈夫? ほら」
背中をさすりつつ起き上がらせる。
「ごほっ、実は……」
「元自衛隊員……?」
「はい。あの日【せらやん】の中に入っていた人物ですが。海田の海上自衛隊に所属していた、2等海佐……だったそうです」
彼自身も相当、気になっていたらしい。
業務の合間を縫って調べたそうだ。
しかし、海上自衛隊の2等海佐だったとは。
「ふーん、そこそこ優良な階級じゃないの。それなのに辞めちゃった訳?」
「詳しいことはわかりません、一身上の都合、としか」
自衛隊員ならなるほど、彼の言う硝煙の匂いは理解できる。だが。血の匂いと言うのがどうも引っかかる。
「……そいつの名前と人着は?」
「俺のデスクのPCに保管、してあります……」
「そう。それにしてもあんた、あの着ぐるみの中の人を随分と気にしてるわね」
「……だって、ハム絡みだったらマズいでしょ?」
ハムとは食べ物の話ではなく【公安】を意味している。公安の役割は簡潔に言えば、国家体制を脅かす事案に対応することだ。
「……テロリストだっていうの?」
「それはまだ、わかりませんけど……何となく匂いました」
黄島の鼻のよさは物理的な匂いだけでなく、冴えわたる勘の良さという意味でも信頼が置ける。その彼が言うのなら注意しておくことに越したことはない。
わかったわ、ありがとうと彼の右肩を優しく撫でてから北条は道場を出て、自席に戻った。
※※※
特殊捜査班の隊員たちが使用する部屋は基本的に、捜査1課の刑事達が使用するデスクと同じフロアである。
もう何日もログインしていない自席のパソコンまわりはしかし、誰が掃除してくれているのか、埃が溜まっていることもなかった。
……が。
久しぶりすぎて、ログインパスワードを忘れてしまった。
実はあまりIT系に明るくない北条は、面倒だなと思って困っていた。
するとそこへ、
「あ、北条警視!! 先日はお世話になりました」
と、嬉しそうに声をかけてきたのは第1班、高岡聡介警部の率いる強行犯係紅一点である女性刑事である。
北条は軽く右手を挙げて挨拶を返しておいた。
皆が【うさこ】と呼んでいるので、本名は知らない。
小柄だが気が強くて、むしろ【山椒】の呼び名の方が相応しいのではないかと常々思っているが、さすがにそれはない。
自席で確認するのはあきらめよう。
北条は黄島のデスク前に移動した。
黄島が使用しているPCは既にスクリーンセーバが降りており、ロックを解除するにはパスワードがいる。が、どうせあの男のことだ。自分の誕生日か彼女の誕生日に、名前の頭文字をくっつけているに違いない。
「ねぇ、うさこちゃん。あんたの誕生日っていつ?」
「え? 私は11月10日ですが……」
「本名は?」
「……稲葉です、稲葉結衣……」
想定したパスワードですぐに画面は開いた。
リア充め。さっき、もっと深くえぐっておけば良かった。
『北条隊長へ報告要』と題するフォルダの中にファイルが入っていたので開けてみる。
モニタ―にぱっと映し出されたのは、どこか猫を思わせる顔立ちの人物写真。
氏名、半田遼太郎。年齢25歳。
黄島の言う人物は、年齢よりもずっと若く見えた。童顔のせいだろうか。
高校卒業後、海上自衛隊へ入隊。
呉地方隊配属後、若干21歳の若さで異例の出世を遂げたらしい。
前科なし。
その後もいろいろと経歴や資格をたどってみた。自衛官に必要な全てを揃えている。
おそらく器用な人間だったのだろう。
なお、アーチェリーの名手で、学生時代には全国大会で優勝するほどの腕を持っていたのだそうだ。
「どうせなら、ウチ(警察)に来てくれたらよかったのに……」
北条は画面に向かって呟いた。
それから画面をスクロールする。
半田遼太郎の現在は、自営業者。
各種代行サービスを行ういわば便利屋を営み、その営業範囲は広島県内に留まらず、山口、岡山まで広がっているようだ。
この男にいったい何があるというのだろうか?
それにしても、なぜ自衛隊を退職してしまったのだろう?
そのまま進めば、もっと高い地位を望めたかもしれない。それが今は、あんなレジャー施設で着ぐるみを着て回るような仕事など……。
しかしこれで、染みついていた硝煙の匂いと言う点は納得した。
しっかりと顔立ちと名前を記憶に留めて、北条はファイルを閉じた。
それから部屋を出て、ほとんど人がやって来ない資料室の隅へ移動する。それからスマホの画面をタップした。
『あの男』に連絡をする時には、必ず人気のない場所で内密に、と言われている。
すぐにつながった。
「あ、聖? 久しぶり。ちょっと頼みたいことがあるのよ……ええ、わかったわ、それじゃ今夜8時。いつものところでね?」
※※※
そろそろ学校に戻ろう。
北条が廊下を歩いていると、後ろから女性の声で呼ばれた。
「北条警視」
振り返ると、鑑識課の平林郁美が立っていた。
何やら手元にピンク色の箱を持参している。
「あ、あの……先日はその、ありがとうございました」
そう言えば、何かあったような気がする。
……思い出した。
長野課長からもらった、世羅高原のリゾート施設にまつわる割引入場券……etc。
「残念だったわね、彰ちゃんがいなくて」
正直言って彼女のことは、合コンで言うところの【頭数合わせ】だったのだが。
「そ、それは仕方ないです。それで、これ、お礼じゃないですけど……」
彼女が差し出してきたのは、どうやらケーキの箱のようだ。
「アタシに?」
「美味しいって評判のお店らしいので、良かったら」
「そう、ありがとう」
郁美はダッシュで走り去る。
惜しいわ。あの子が男だったら……考えないこともなかったけれど。