27:異世界でもどこへでも
「いや~、さすがはいっちゃんじゃのぅ。彰、お前も少しは彼を見習えちゅうんじゃ」
「うるさい……」
支払いを済ませて店の外に出る。駐車場まで少し歩かなければならない。
「ところで守警部。先ほど出た、葉書どうこうの話はご存知でしたか?」
「ええ。実を言うと、御堂さんの……被害者の叔母である女性から、ご相談を受けていたんです。こちらです」
守警部はスマホを取り出し、写真を見せてくれた。
真っ黒な葉書サイズの用紙に白抜き文字が印刷されている。そして左下隅っこに、猫と思われるイラスト。
拡大してみると微かに【ブラックキティ】とサインが。
「ブラックキティ……?」
「黒い子猫じゃ」
「そのまんまだろ」
「厨2病くさいわね」
と、いきなり後ろから女性の声が。
「……ビアンカさん?!」
振り返ると、金髪碧眼の美女はジト眼でこちらを睨んでいる。
「ねぇ、どうして?」
「な、何がです……?」
「高岡さんは? どうして今日は一緒じゃないの?!」
彼女が聡介を慕っていることは百も承知だ。恐らく彼女は今日、父に会えると期待していたに違いない。
「さぁ?」
「聡ちゃん? 聡ちゃんなら今朝、しばらく休むって連絡が……」
のんびり言う長野の台詞に驚いたのは、和泉も同じだった。今日だけの話ではないのか。
「なんで?!」
「そ、それは……ワシも詳しいことは……わからんのよ。ただなんかちょっと、思いつめたような感じがしなくもなかったかのぅ……」
「ど、ど、どこにいるの?! 今、どこ?!」
ビアンカは長野の身体を揺らして自白を強要している。彼女は背丈も体つきも、ちょっと小柄な捜査1課長より勝っている。
「高岡さんに何かあったらどうしてくれるのよっ?!」
「はわわ~、た、助けてーっ!!」
「ビアンカさん、落ち着いて!!」
和泉はビアンカの肩をつかんで、どうにか宥めた。
怖いよ~、と解放された長野は守警部の背後に隠れる。
「……聡さんに何があったのかは、わかりません……僕もぜひ知りたいところですが」
本当かしら? と猜疑心でいっぱいの目に睨まれる。
どうも彼女はこちらを信用していないようだ。
「ただ。聡さんが落ち込んだ時、とる行動はただ一つ……」
「それは何?!」
ビアンカは碧い瞳に炎をたぎらせ、答えなければタダじゃおかないわよ、という気迫である。
「可愛いお嬢さんと、お孫さん達に会いに行くことです」
「ま、孫……?」
「あれ、ご存知なかったんですか? もうお祖父さん、って呼ばれる立場……」
知らなかったらしい。
「だ、だってまだ、全然……若いじゃないの!!」
「あ~、確かに聡さんは若く見えますよね。結婚も早かったらしいですし」
ビアンカは頭の中であれこれ考えているらしく、無言のまま腕を組んでいる。
やがて、
「……で、どこなの?」
「何がです?」
「高岡さんのご家族がいるところ!!」
教えていいのだろうか? と、一瞬だけ躊躇した。
そこで和泉は適当過ぎる回答をすることに決めた。
「……異世界です……」
「はいぃ?!」
「家族で異世界に転移していたとしても……追いかけますか?」
「当たり前でしょ!!」
即答である。
やれやれ、どうやって追いかけるつもりなのか。
「幸いなことに県内ですよ。尾道、ってわかります?」
「わかる!! 一度行ってみたかったのよ!!」
タクシー呼ばなきゃ、とビアンカはスマホを操作しかける。
「ああ、でも。やめた方がいいですよ?」
「どうしてよ?」
「たぶん今は、そっとしておいて欲しいんだと思います」
それはビアンカにと言うよりも、自分自身に言い聞かせているのかもしれない。
本当なら自分だって今すぐ、父の元に行って事の次第を問い質したい。
「……わかったわ……」
溜め息交じりに彼女は呟く。
「本日はご協力、ありがとうございました」
「彰……今の人……何じゃったん?」
「彼女? 聡さんのストーカーだよ」
※※※※※※※※※
平日の昼間の車内は空いている。
こんな時間に電車に乗って出かけるなんて、いったいどんな用事があるのだろう?
自分もまた、その1人であることを忘れて、聡介はガラガラの車内をぐるりと見て回った。
先日の、かつての義母の訪問以来、何も手に着かなくなった。
このままでは仕事に支障をきたす。
幸い、緊急事態は今のところ発生していない。
溜まっていて消化しきれない有給休暇を使おう。当日の朝になって申し出るのは少し気が引けたが、課長は何も言わずに了承してくれた。
もしかして娘のところにも、元義母は訪ねていったのではないか。そう考えたらいても立ってもいられなくなり、尾道まで出かけることにした。
猫をどうしようか。
悩んだ末に、一緒に連れて行くことにした。
病院へ連れて行く時のために買ったキャリーバッグに詰めて。
今にして思えば捨て猫を拾うなんて、やや軽率なことをしたものだ。
聡介に話しかけてきたあの少女が、長女の幼かった頃を思い出させたからだろうか?
考えてみたがわからなかった。
猫を電車に乗せることに少し不安を感じていたが、案に相違して大人しかった。
ローカル電車ならではの4人掛けボックスシートには現在、聡介以外の乗客は誰もいない。行儀が悪いが、靴を脱いで足を延ばし、向かいの席にかかとを引っかける。
広島から尾道まで、普通列車でだいたい2時間弱。
急ぐ旅ではない。のんびりしよう。
娘には連絡を入れないでおいた。
もし留守だったとしても、時間を潰すことのできる手段はある。
もしも、例の妙な葉書のことで元義母が訪ねて行くとしたら、おそらく長女の方だけだろう。
奈津子に、かつて聡介が妻と呼んでいた女性に恨みを抱くとしたら、さくらだけだからだ。彼女もそこは承知しているに違いない。
連鎖的に苦い過去が甦ってきてしまった。
車窓から広がる田園風景を見つめながら、聡介は考えるのをやめた。
電車が西条の駅に到着する。
ドアが開き、若い男性が乗り込んでくるのが見えた。聡介には理解できないファッションを着こなし、身体を左右に揺らしながら中の方に入ってくる。耳にイヤホンがささっていることからして、何か音楽を聞いているのだろう、と思う。
車内は空いているが、さすがに悪いと思い、聡介は向かいの座席から足を下ろした。
すると、
「いいじゃない、おじさん。エコノミー症候群になっても困るでしょ?」
と、笑いながらその青年が声をかけてきた。
彼は空いていたすぐ隣のボックスシートに腰かける。
確かに。
他に乗客はいないし、彼の言葉に甘えよう。
と思ったら。急に籠の中の猫が鳴きだした。
聡介は慌てたが、
「へぇ、猫ちゃん連れてるんだ? 見てもいい?」
青年はニコニコ、人懐っこい笑顔を浮かべてこちらに身を乗り出してくる。
「ど、どうぞ」
キャリーバッグのカバーを外すと、さばはゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
「可愛い!! 今、いくつ?」
「さぁ……?」
実を言うと、生後何ヶ月かすら知らない。
「え、おじさんの猫でしょ?」
「それはそうなんだが……」
青年が籠に顔を近付けると、子猫はにゃ~んと鳴いた。
「これからどこ行くの?」
猫に話しかけているのか、こちらに話しかけているのか少し悩んだ。が、
「尾道へ……」
「へぇ!! 僕もちょうど尾道で降りるところだったんだ。ねぇ、おじさんって地元の人? 美味しいラーメン屋さん知ってる?」
初対面の相手に、こうも気軽に話しかけられるのは、今頃の若者の特徴なのか。
それとも彼だけか。
何にしても悪い気はしない。旅は道連れ、世は情け、袖振り合うも多生の縁。一期一会。いろいろなことわざや慣用句が頭に浮かんだ。
特にこんな、気持ちが塞ぐ時は余計に。
各駅停車はとにかく時間がかかる。
通りすがりの相手と雑談に花を咲かせるのも悪くはない。
青年は名前を『リョウ』とだけ名乗った。本名かどうか、この際は気にしないことにする。
呉に住んでいたが、事情があって以前勤めていた会社を辞め、今は自営業者として仕事で県内を巡っているのだそうだ。
聡介が若かった頃には【終身雇用制】といって、一度就職したら基本的には定年まで勤め上げることのできる制度があったものだ。もっとも、無能な人間がいつまでも居座り続けるという弊害もあったが。
それに比べて今の若者は、大抵3年未満で最初の職場を去ると聞く。
それぞれに理由や事情はあることだろう。批判するつもりは毛頭ない。
ただ、社会のあり方、働くことの様子が戦後間もない頃とだいぶ変わってしまったということだけだろう。
彼の話を訊きながら聡介はボンヤリとそう思った。