25:追放されたなんとかが
気分が悪い。
新しくやってきたあの富士原と言う教官が、ものすごく気にくわない。
粗暴で頭が悪い。
武術専任のクセに礼儀も知らない。
前任者が自分の後輩で、可愛がっていた人物だったから余計なのかもしれないが。彼は強面で厳しい人間だったが、指導熱心で心優しい人間だった。
教官室に戻った北条は腹立ちまぎれに教本を机の上に叩きつけた。
「やだちょっと、お茶が零れるじゃないの!! 雪村君ったら怪力なんだから気をつけてよね」
隣に座っている冴子が文句を言う。
「悪かったわね」
「あら。眉間にシワが寄ってるわよ? せっかくのイケメンがもったいない」
そう言って今度は楽しそうに話しかけてくる。
こちらが不機嫌なのをわかっていて、ワザとそういう発言をする。昔から彼女はそういうタイプだった。
それでも嫌いにならないのは、彼女のさっぱりした性格ゆえか。
「……あいつ、なんで来たの?」
「あいつって誰のこと?」
「富士原よ、あのクズ!!」
ああ、と冴子は頷く。
「人事が最適だって判断したからでしょ? でも、ああいうパワハラの見本みたいなのってどこにもいるわ。今から慣れさせておいた方が学生達の為ね」
「アタシ、一緒に働きたくない」
「ま、そうでしょうね。雪村君とは正反対のタイプだもん」
冴子は飲む? と、コーヒーの入ったカップを手渡してくる。
北条は黙ってそれを受け取り、口元に運んだ。
「そう言えば知ってた? 富士原教官ってHRT入隊希望だったんですって」
思わずコーヒーを吹き出しそうになる。
「……本当に?」
「本当だって」
「冗談じゃないわ。うちに入るには優秀な頭脳も必要なのよ。あいつこそ、脳まで筋肉でできてるんじゃなの?」
北条は熱いコーヒーを一気に飲み干した。
富士原の場合、脳まで筋肉というよりも、中身は空っぽといった方が相応しいのではないだろうか。
さらに言うなら、ただひたすら己の力を過信し、無意味な暴力を愛する野獣みたいな男。
自分よりも立場の低い相手である学生達をいたぶって楽しんでいる、弱い者イジメしか能のないクズの見本。
警察官でなければきっと、暴力団に所属していたに違いないと思う。
それにしても。
「……何だか最近、いろいろおかしいわ」
北条は椅子に腰かけ、長い前髪をかきあげながら呟いた。
独り言のつもりだったのだが、冴子が反応してくれる。
「いろいろ……ね」
「何て言うのかしらね、前はそんなことなかったと思うんだけど。教場内の空気がものすごく悪いのよ」
「ああ、あのことね」
「あのこと……?」
北条は冴子の横顔を見つめた。
「何よ、あのことって」
「雪村君、気づいてないのかそれとも気づいてないフリ?」
「……何の話……?」
「女子達の間にイジメがあるってこと。ターゲットは亘理玲子。こないだの逮捕術の授業の時、見てたでしょ」
確かに昨日の逮捕授受の授業の折り、亘理玲子がひどいダメージを負ったことは知っている。
「まさか、こないだのあれ……故意だったっていうの?」
「やだ、ホントに知らなかったの?!」
確かに以前、そう言うことがあったのは聞いている。まだ自分がここに赴任する前の話だ。でもそれは、一度解決したと聞いた。
まさか再発していたなんて。
不覚にも、その点に関しては把握しきれていなかった。
「他にもあるわよ、今朝の点呼の時」
「……もういい、止めておいて」
あらそう、と冴子は肩を竦める。
「……どうしてあの子が?」
「決まってるじゃない。あの子、綺麗な顔してるもの」
確かに古風ではあるが整った顔立ちをしている。
長い黒髪も艶があり、スタイルだって悪くない。
「おまけに彼女、いつも助けてくれる騎士様がいるでしょ」
「それって……藤江周?」
「違う、上村柚季の方よ」
言われてみれば。授業の折り、彼女が困っているのを上村が何度か助けた場面を見たことがある。
でもねぇ、と冴子は続ける。
「たぶん、恋愛感情とか損得じゃなくて、あれは何も考えてないわね。違う意味で放っておけないっていうか、そんなところじゃない?」
「……そうね」
「もっともそれが、女子達の嫉妬の炎を煽る訳だけど」
そうだろう。
およそ腕力と言う面では頼りにならない上村だが、頭の良さという点では誰にも負けていない。理不尽な言いがかりに対しても上手く対応し、反論を許さない論理を展開するあたりは、一目置かれる存在であろう。
その彼にいつも助けられる相手が、うらやましいと思われない訳がない。
「困ったものね」
北条は溜め息をついた。しかし冴子は、
「そうかしら?」
「……どういうことよ?」
「いい訓練になると思うけど?」
などどしゃあしゃあと言ってのける。
「ちょっと、冴子……」
彼女はしかし、真剣にそう考えているようだった。
「富士原みたいなクズ教官にしろ、性根の腐った教場仲間にしろ、なみいる敵を上手く打ち倒すかかわすかして……そうして現場で使えるオマワリになっていくのよ」
「仲間って、家族みたいなものじゃないの?」
北条にとってそれは譲れない信条である。
教え子たちも、HRTの部下達も。
さらに言えば、同じ刑事課に所属する警官達はみな、彼にとって大切な仲間であり【家族】だ。
「……雪村君って、意外に青いわよねぇ。知ってる? 最近若い子の間では、仲間外れにされて追放された主人公が、実は一番強くて頼りになる存在だったってことが証明されるような話がウケるの」
何それ。
冴子の言うことは時々、訳がわからない。
いずれにしろ。
「何か気がついたことがあったら、すぐに教えて」
はいはい、と彼女は本気なのかどうかわからないような返事を寄越した。
※※※※※※※※※
「……なんでついてくるんだよ?」
「ええじゃろ、ワシだって現場に出たいもん。生の声を聞きたいもん!!」
「課長は課長らしく、執務室でイスにふんぞり返ってろよ!!」
「嫌じゃもんね~」あっかんべー。
「……あの……」
「ああ、すみません。行きましょう」
帝釈峡で発見された遺体の女性が、まさかビアンカの同僚だったとは思わなかった。
話が聞きやすくていい。和泉は素直にそう思った。
それにしても。
長野がくっついてくるとは思わなかった。
和泉としては、守警部と2人で事情聴取に向かうつもりだったのだが。
ちなみに今日、聡介は朝から姿が見えない。
一応、体調不良により欠勤との連絡が入ったらしいが。
そういう話を聞くと少し不安になってしまう。
やはり、1人にするべきではなかったか……。
一緒に住んでいれば体調の面でも気を配ることは可能だ。
せめて父が定年を迎えるまでは、傍を去るべきではなかったか、と。
今はしかし、事件のことを考えよう。
和泉は首を左右に振った。
市の中心部、オフィスビルが立ち並ぶビジネス街には、何件かカフェやレストラン、コンビニが並んでいる。
ビアンカが事情聴取のために指定してきたのは、彼女の職場近く、全面ガラス張りのお洒落なカフェであった。
スマホの地図を頼りに店を探し当てる。
「えっと、確かこの店です……」
扉を開いて刑事達が足を踏み入れると、
「和泉さん、こっちよ」
ビアンカが立ち上がって手を振ってくれた。
彼女のまわりにはだいたい2、30代ぐらいだろうか、女性ばかりが5人ほどテーブル席に座っていた。
「彼女達は、私と同じチームで御堂さんの管理下にあった……」
女性達は一斉に会釈する。
「わぁ~、美人さん揃い!!」
本気でそう思っているのかどうか怪しいが、長野が嬉しそうに言うと、女性達の表情が和む。
当たり前だが、警察の人間に話を聞きたいと言われたら普通は緊張するものだ。
一瞬でその空気を和らげた点ではまぁ、お手柄と言わざるを得まい。
和泉は横目で長野を睨みつつ、まずは女性達に自己紹介を頼んだ。