22:酔っ払いにからまれる
自分よりもよほどペースの速い冴子の飲みっぷりを眺めていると、負けていられないという気分になってきた。
そこで北条はビールのお代りを頼んだ。
「ところで、雪村君」
酔いが回ってきたのだろうか、冴子はほんのりと頬を染めている。
そして悪戯を思いついた子供のような表情で、
「要君のこと覚えてる?」
「……覚えてるわよ」
急にその名前が出てきて、柄にもなく狼狽えてしまう。
相馬要。
彼もやはり、北条の大学時代の同期生である。同じ学部、同じサークルに所属していて、あの頃は彼と冴子の3人でいつもつるんでいた。
相馬は成績優秀、運動神経も抜群な上に長身で、かなり女性にモテた。
が、どういう訳か彼は特定の彼女を作ることなく、いつも自分達と一緒に行動していた。
北条はひょっとして、冴子に気があるのではと思っていたが、そう言う訳でもないようだった。
冴子に好きな男ができても平気な顔をしていたし、時々、彼女の恋愛相談に乗ったりもしていたほどだ。
そんな彼の特徴と言うか、異なっていた点は勤労学生だったということだろうか。
彼はアルバイトをしながら学業に励んでいた。ハッキリと聞いた訳ではないが、奨学金をもらっていたらしい。
相馬は家族のこと、プライベートな情報は一切明かしてくれなかった。
立ち入ったことを聞くのも悪いし、それらを知らなくたって、彼と一緒にいるのはいつだって心地が良かった。
それほど口数が多い訳ではなく、いつもよくしゃべる冴子の聞き役に徹していた彼。
常に静かに微笑んで、時折は意見の衝突があって、ケンカをしてしまう北条と冴子の間を仲裁してくれることだってあった。
その存在感の大きさは半端ではない。
北条は彼のことが好きだった。
1人の人間として。
懐の広さ、静かな湖面のように澄んだ瞳。
同年代の男子に比べ、彼はとても落ち着いていた。
友人でありながら時には兄のように、父親のように感じて頼りにしていた。
そんな相馬も初めは警察官への道を志望していた。それもあって、3人で仲良くてしていたということもある。
ところが。ある日突然、彼は『自衛官になる』と言いだしたのである。
就職活動が始まって間もない頃の話だ。
そうして彼は県警の採用試験を受験することなく、そのまま本当に海上自衛隊に入隊してしまった。
驚いたのと、裏切られた気分と、当時は複雑だった。
その理由は未だにわからない。
卒業後はまったく連絡をとっていないので、その消息については不明だ。
亡くなったとは聞かないから生きているのであろう。
何年かぶりにその名前を聞いた途端、懐かしい思い出が次々と脳裏に甦った。
「……あいつがどうしたのよ?」
北条はお代りしたビールを一気に飲み干し、今度は日本酒を注文した。
「うーん、どうしてるのかなって……雪村君を見てたら必然的に思い出すじゃない?」
そう言って冴子は微笑む。
「……あいつ、今どこでどうしてるの? 連絡取ってるの?」
「とりたいんだけど……つながらないのよ。どこで何してるのか。ただ……」
冴子は梅酒のお代りを頼んでから、
「噂だと、辞めたみたい」
「辞めたって、自衛隊を?」
そうみたい、と新しいグラスと空のグラスを交換しながら、
「入り直すのなら、警察がいいわよね」と彼女は笑う。
「年齢的にもう無理よ」
手酌で飲もうとした北条を冴子が遮り、わざわざついでくれる。
「そうねぇ。それだけ、私たちも年をとったって言うことよね……」
しばらく2人の間に沈黙が降りた。
「要君って、雪村君と違って、昔からちょっと何を考えてるのかわからないところあったわよね」
「……何それ、アタシはわかりやすい単細胞ってこと?」
追加の注文ある? と訊ねるかのように、あるいは。
まぁまぁ、と宥めるかのように。
黒猫がカウンターの上に乗ってきて、にゃあと短く鳴いた。
北条は猫の喉を撫でながら、ふと考えた。
そうだ。
相馬の、そのミステリアスな雰囲気も気に入っていて、いつか正体を暴いてやろうと若い頃には思っていたものだ。
「ああ、やっぱり良いわね~。昔話を語れる相手がいるって」
「オバさんくさいわよ、冴子」
「いいじゃなーい、もうオバさんだもの。雪村君はちっとも変わらないよねぇ? 若さの秘訣は何~? ちょっと、教えなさいよ~……」
だいぶ出来あがってきたようだ。冴子が腕に絡みついてくる。
こうなるともう、後はご帰還を願うしかない。家に帰ってから飲み直そう。
北条はスマホでタクシーを呼んだ。
※※※※※※※※※
なんとなく様子がおかしいと思ったのは起床時、点呼の時だ。
廊下に整列し、全員が名前を呼ばれて返事をするまでの間、上村は何とも表現しがたい違和感というか気味の悪さを覚えた。
それは隣に立つ藤江周のせいだ。
時折こちらに向けてくる視線が妙に生温かく、なぜかキラキラしている。
何のつもりだろう。
点呼が終わり、授業の支度をするために洗面所に向かう折、上村は彼に声をかけた。
「藤江巡査……何か、僕に言いたいことがあるのか?」
「え、なんで?」
相変わらず彼の瞳は輝いている。
なんでと問われると、そんな気がするとしか答えられない。気のせいだと言われてしまえばそれで終わりだ。
「聞きたいことなら、あるよ」
藤江周はにこっと笑う。
「聞きたいこと……?」
「上村ってどこの高校出身? 俺、安佐南高校で中学からずっと男子高だったから、ここに入ってきた時、久しぶりに同じ歳の女の子を見たよ」
なぜ、何をそんなにニコニコしているんだ?
不気味だが、質問に答えたくないほど彼を嫌っているわけでもない。むしろ好感を覚えているといってもいいだろう。
この男は本当に、今まで見たことがないタイプだ。常に他人の心配をし、まわりに気を遣い、それでいて心の芯がやたらに強い。
誰もかもが皆、自分のことだけで精いっぱいだというのに。
「……中区の舟入南高だ……」
「やっぱり!! 進学校で有名なとこだよな? さすが上村巡査!!」
上村がその学校を選んだのは中学生の頃、担任教師に勧められたからだ。実際、その学校は偏差値も高く、皆が進学に向けて必死だった。だからいわゆる素行の悪い生徒などはほとんどいなかった。
今さら何だっていうんだ?
その手の話題なら、入校して間もない頃に散々、談話室などで語り合ってきたことだろう。もっとも自分は一切参加しなかったが。
藤江周は洗った顔をタオルでふきながら、
「他にもあるんだ、訊きたいこと。いろいろ」
何を訊かれるのだろうかと上村は身構える。
顔を洗おうとしたのに、気がつけば掌の上に広がっていたのは歯磨き粉だった。
「先月の課題で【私が警察官を目指した理由】っていうのあったじゃん? なんだかんだで皆の作文は公表されなかったけど……俺、上村の詳しい動機を聞いてみたい」
思い出した。
それは、この教場内で起きた殺人事件を解決するため、当時助教としてやってきていた和泉という警部補が仕組んだ罠だった。
上村は建前だけを記入し、提出した。
「そう言えば、ずっと前に言ってたよな? 許せない奴がいるって……」
ああ、そうだ。
絶対に許してはならない相手が存在する。それはこの警察組織の中に。
だが今は、彼にそれを明らかにするつもりはない。
「わかるよ」
思いがけない返答があり、上村は戸惑った。
「法律だけが何もかも裁ける訳じゃない。何が正しくて、何が間違ってるかなんて……誰にも正解は説けないよな」
気負いなく、ごく自然にそう語る藤江周の顔を、上村は思わず凝視した。
「でも……まぁいいや、やめとこ」
何を言いかけたのだろう?
こちらの疑問に対する回答を回避するかのように、
「上村って、お姉さんがいるんだろ? いくつ離れてるの?」