2:こんなはずじゃなかったのに
花嫁はただ呆然と、目の前で起きた出来事を無言で見つめていた。
何か言おうとしたが声が出ない。
ただ頭の中がグルグルと回っている。
こんなはずじゃなかった。
これはいったいどうなっているの?
どうして?
どうなっているの?
私にミスなんてある訳がないのよ。
人生、一度だって間違えたことなんてなかったわ。
完璧、完全。
何もかもが順調で、躓く要素なんて何一つなかったはずよ。
完璧な社会的地位。
完璧な容姿。
完璧な頭脳。
でも。
どうしてこんなことになっているの?
※※※※※※※※※
「……結衣!!」
「えっ?」
パシャ!!
「ちょっと、真尋さん!! 写真を撮るなら撮るって、予め言ってよ……」
「いいんだよ、下手に構えてポーズをとるより不意打ちの方が、いい表情が撮れるんだから。今の顔、すごく可愛かった」
「やだ、もう……」
ぐしゃっ!!
「……アタシ、スチール缶を握り潰す女の子って初めて見たわ」
広島県警刑事部鑑識課所属、平林郁美巡査は握りつぶした空き缶を、綺麗に専用のゴミ箱にシュートしてみせた。
それから郁美は、ペンキの剥げかかったベンチに並んで腰を下ろしている人物の横顔を見上げ、呼びかける。
「北条警視……」
「外でその呼び方はやめろって、言ったわよね?」
「……ゆっきー……」
「なぁに?」
「どうして……なんで私が、友人のデートの付き添いに……わざわざこんなところにまでやって来なければいけなかったんですか……?」
ここは広島県世羅郡にあるとある花のテーマパーク。
その名も【世羅高原フラワーパーク】
世羅郡と言えば、尾道から国道184号線を40キロ弱北上した山の中。
10月中旬の現在、外気温は少し肌寒いぐらいだろうか。
もっとも郁美にとって寒いのは、外的な要因だけでなく、自分の目の前でイチャついている、あのバカップルのせいでもある。
やるせない気持ちをどうにも抑えることができず、郁美はとりあえず目の前にいる人物に喰ってかかった。
つい昨日のこと。
明日は非番だけど、何も予定はない。
とりあえず寝よう……と考えていた時、いきなり特殊捜査班HRT隊長であり、今は警察学校で教官を兼任している北条雪村警視から連絡があった。
『明日、ヒマ?』
否定するだけの予定もなかった郁美は、素直にはい、と返事をした。
『世羅高原にあるフラワーパークのタダ券をもらったんだけど、4枚あって。あんたもし良かったら、彰ちゃんのこと誘ってあるから一緒に行かない?』
【彰ちゃん】
それは郁美が長い間片想いしてやまない、県警捜査1課強行犯係、和泉彰彦警部補のことである。
イケメン、刑事、独身。
たとえバツイチだったとしてもスペックとしては申し分ない。
初めて会った時から郁美は彼に恋をしていた。
一度だけ、ダメなのかな、とあきらめかけたこともあった。でも。
まさかのデートチャンス!!
1も2もなく飛び付いた自分が愚かだった。
蓋を空けてみれば、大本命の彼は不在。
指定された集合場所にいくと、なぜか同期で友人の稲葉結衣とその彼氏が待っていた。途端に嫌な予感を覚える。
友人には割と最近、彼氏ができた。
なんでも向こうからのアプローチで付き合うことになったなんていう、羨ましいことこの上ない話である。相手は同業者で特殊捜査班HRTの隊員。
体つきはマッチョだが、顔つきは穏やかで優しい。
金の髪をツンツンに立てていて、外見だけ見ればパンクロッカーのような人。名前は黄島真尋。
捨て台詞を残して去ろうか。
郁美がそう考えた時、目の前にあらわれたのが思いがけず、北条雪村警視なのであった。
彼を知らない警察官はモグリだと言われるほど有名な人物である。警察官のクセに長くて明るい色の髪に、綺麗に整った顔立ち。
それでいて、その特徴は何と言っても、独特のしゃべり方にある。
初対面の人ならたいてい、彼が【オカマ】だと信じて疑わない。
しかし。彼に対し悪意を持って【オカマ】呼ばわりしてはならない。
本人はいたって普通の成人男子だと信じているので、オカマ呼ばわりされることを何よりも嫌うのである。
郁美としては正直なところあまり近寄りたくない人だな、と思っていたのだが。その彼がまさかの待ち合わせ場所にやってきた時、ついあれこれ考えてしまった。
あんなことを言っていたくせに、もしや彼は……自分に興味が?!
しかし、やってきた彼の最初の一言は、
『ごめんなさい、彰ちゃん……急用が入って今日は無理だって。チケットもったいないから、代わりにアタシが行くことになった訳』
その【彰ちゃん】の『急用』とやらが何なのかはわからないが。
腹立たしいことこの上ない。
しかし、今さら帰るとは言いだせない雰囲気になっていたのであった。
そして仕方なく、広島から世羅くんだりまで車を飛ばしてやってきたのだが。
確かに良いところではある。
このテーマパークでは季節ごとに、いろいろな花の祭典を行っているらしい。春はチューリップ、夏はひまわり、秋はダリア。今はダリアが花壇を彩り、観光客達の被写体となっている。
さらにここでは花だけではなく、子供向けアスレチック施設や、やや小規模ながら観覧車やジェットコースター、メリーゴーランドなどの遊園地も併設されていて、県内でも屈指のレジャースポットである。
つまりデートスポットでもある訳だ。
先ほどから目の前を通るのはカップルや家族連ればかり。
鏡を見なくても、自分の眉間に皺が寄っているのがわかる。
「……帰りたい……」
まぁまぁ、と隣に腰かけている北条は大きな手で郁美の頭にポンポンと触れてくる。
「あんただって日頃は仕事に追われてるから、たまには癒しが必要でしょ。見てごらんなさい、無駄に広い敷地で咲き誇る花達に……心和むじゃないの」
「確かに花はとても綺麗です。でも、私が聞いていたのは……和泉さんが、和泉さんがいらっしゃるって……!!」
「だーかーら、急用が入ったって言ったでしょ?!」
「急用って何ですか?!」
北条はぽつ、っと答える。
「……結婚式……」
「えっ、だ、誰の?!」
「【あしたかグループ】の専務で御堂、っていう狸の娘よ」
それは県内で絶大な勢力を誇る、鉄道会社及びデパートなどを経営する会社だ。かくいうこのテーマパークも【あしたかグループ】の系列である。
北条は長い前髪をかきあげながら、やれやれと溜め息をつく。
「本当は謙ちゃん……長野1課長が招待されていたんだけどね」
「けど……?」
「急用ができたとか言って、彰ちゃんに代理を頼んだらしいわ」
と、いうことは恨むべきは捜査1課長か。
郁美にとって直属の上司ではないので噂に聞いているだけだが、長野という警視はとにかく曲者らしい。そう言えば一度、キャスター付きの椅子に正座して、廊下を滑走しているのを見たことがあるような気がする。
「まぁ、1課長の命令じゃ……仕方ないですよね」
そういうことよ、と北条は足を組み直す。
会話が途切れたので、郁美はスマホを取り出した。最近新しくしたスマホの機能は写真を撮るだけで、何とか先生が起動し、詳しいことを教えてくれるらしい。
ダリアの花を撮影してみると。
「……ねぇ、警視……じゃなくて、ゆっきー……」
「なに?」
「知ってました? ダリアの花言葉って【移り気】とか【裏切り】なんですって!! あのバカップルに、ダリアの花束をプレゼントしようかしら?!」
「あんたね……そうい……」
「……?」
北条の視線が少し遠くを見つめている。郁美は彼の視線を追った。
ダリアの花が咲き誇る花壇の前、ゆるキャラの着ぐるみが2体闊歩している。
1体は、紅葉をイメージしたという宮島のご当地ゆるキャラ【モミじー】だ。もう1体はチケットと、入場口でもらったパンフレットに写真があった。この園のイメージキャラクター、確か【せらやん】とかいう。
2体のぬいぐるみを囲むように、パパラッチのごとくカメラを向けている人物がいた。
その後ろ姿を見た郁美は、なんとなく嫌な予感を覚えた。
「……あの、あれ……まさか……」
「アタシもそんな気がするわ……」
一緒に写真を撮ろうと待っている親子連れがドン引きするほど、アイドルを熱心に撮影するファンのごとく、しきりにシャッターを押しているその人物は……。