19:女子会は楽し
「ええ~、それじゃホントに……皆でボイコットしたの?!」
ビアンカ・ハイゼンベルクは驚きのあまり、手にしていたグラスを落としそうになってしまった。
「そう。ほんっと、いい気味よね?」
「あれからどうしたのかしらね?」
「一応、結婚休暇ってことで休んでるけど、出す顔がないんじゃない?」
「お婿さんは……?」
「さぁ? 噂ですけど、元々乗り気じゃなかったみたいです」
「あいつ、子供ができたって嘘をついたらしいですよぉ~? 責任とって結婚しろって迫ったらしいですぅ」
広島市中区の本通り商店街には、女子会を開催するのにうってつけな店が多数存在するが、ビアンカはドイツ語で熱中、熱狂を意味する【Eifer】を店名に冠したこの居酒屋がお気に入りである。
オーナーがドイツへの留学経験があり、通常の居酒屋メニューに加えてドイツ料理も提供してくれる店だ。
去年の春から働き始めた、大手通信企業の子会社が運営するお客さまセンターに新たな就職口を見つけたビアンカは、契約社員としてフルタイムで働いている。
かつては友人が若女将を務める旅館での仲居のアルバイトをしていたが、何しろ不定期なので収入に困る。
そこで今の職に就いた。
旅館の方は繁忙期に時々、休みの日に手伝いに行くけれど。
最近のビアンカは新しい職場で知り合い、いつも一緒に働く仲間達と月に一度、女子会を開くのが最近の習慣になっている。
人数はだいたい5人から6人。
独身者もいれば既婚者もいる。
仕事の愚痴やら、家庭の事情やら、女性ばかりが集まって話題になることはたいてい噂話であり、経済や政治のネタはまず出ない。
正直、時々面倒くさいな、と思うのだが、1人暮らしで家に帰っても誰もいないので、ついビアンカはこの会に参加してしまうのである。
最近、彼女達の話題にもっぱら上るのは、この春からチームリーダーとして赴任してきた女性社員、御堂久美のことである。
ビアンカが働くお客様センターは、某大手企業からの業務委託で運営しており、御堂はクライアントからの出向社員であった。
どこの会社でも、ある程度は正規雇用の社員が非正規雇用の社員や派遣社員を見下す傾向は見られるが、彼女はそれが顕著だった。噂で聞いたところではいいところのお嬢様育ちらしく、元々他人へ敬意を払うことを知らずに生きてきたようだ。
あとで聞いた話では、県内でも有名なとあるグループ会社のご令嬢らしい。
そんな背景も加わって彼女の評判は最悪であった。
誰かが少しでもミスをすれば、大げさに朝礼の場で名指し批判する。容姿や肉体的特徴をからかいのネタにする。
そのくせ自分のミスは絶対に認めず、挙げ句には他人のせいにする始末。
それでも。こちらは業務委託されている身である。
クライアントの社員に大きな声で文句は言えない。
そんな中で最近、御堂が結婚するという話が持ち上がった。
式に招待されたのはなぜか委託先子会社の社員達であった。
一応、入社3年以上経過してる人という条件だったので、ビアンカは招待されないで済んだ。
『ビアンカさんを招待すると、自分が霞むってわかってるからじゃないですか?』などと言う人もいたが、正直呼ばれなくてホっとしている。
今、この場に集まっている女性達は全員が御堂から結婚式の招待状を受け取ったはずだ。
しかし。驚いたことに彼女達は全員、その日に式場へ出向かなかったというのである。
裏で秘かに示し合い、一斉にドタキャンと言う運びになったのだとか。
「それで、彼女はどうなったの……?」
「さぁ? 何も言われてないからわかりませんね」
「ああでも、いったいどんな顔してたんだろう? 見てみたかった気もするなぁ」
クスクス。悪意の笑いが満ちる。
どっちもどっちじゃないの、とビアンカはワイングラスに口をつけた。
「しかもあいつの父親、警察に捕まったんだって~!!」
「えー、何それ?!」
「ほら~、前からちょっと疑惑になってたじゃない。新しい高速道路の建設を巡って入札に絡んだ黒い噂とか」
「それも式が開始する直前だったんだって、警察が踏み込んできたの!!」
「何それ、ドラマみたい!!」
きゃいきゃい。
彼女たちにとってみれば『ドラマ』や『マンガ』の世界が現実になったような気分なのだろう。よく言われる【ざまぁ】が実現したということだ。
それを喜んでいる場合なのだろうかとも思うのだが。
「あの……もしかして……」
女性の1人がスマホを見ながらおずおずと言い出す。
「これって、御堂のことなんじゃ……?」
「え、なになに?」
女性達は一斉に彼女のスマホに顔を近付ける。
「えーと、神龍湖で女性の遺体が発見? ウエディングドレス姿という格好で……うそぉおおっ?!」
ビアンカは思わず他人のスマホを奪い取り、画面を注視した。
神石町と庄原市の境に位置する帝釈峡、その一画にある神龍湖。そこで女性の遺体が浮かんでいるのが発見された。現場付近は急斜面の多い場所で、女性は足を踏み外し転落したものと思われる。発見時、女性はウエディングドレスを着ていた。
遺体が発見された日は結婚式の翌日だ。
警察は事故と見て、詳しいことを調べているらしい。
「やだ……まさか、自殺……?」
「そんなわけないじゃない!! あのメス豚がそんな、自殺なんてするもんですか!!」
「でも、事故だって……」
「式場は広島市内だったでしょ? なんで帝釈峡なんかに」
一気に空気が淀んだ。
女性達は各々、まさかとか、ひょっとして……とか、好き勝手に言いたい放題である。
「今日はもう、お開きにしましょう?」
ビアンカの提案に反対する者はいなかった。
精算を済ませ、店の外に出ると、ビアンカはさっそく電話を取り出し、日頃は滅多にかけない大切な番号を押した。
その人の名前は高岡聡介。
ビアンカの見たところによるとせいぜい、まだ40代後半である。
初めて会った時からなんとなく、いい人だなと思っていた。
優しい笑顔に柔らかい口調。
立場的には相手が刑事で、こちらは容疑者の1人という、それほど望ましいシチュエーションではなかったけれど。
なんやかんやで疑惑は晴れ、その上。
あまり上手く行っていなかった実の父と、普通の親子のようなやりとりができるきっかけを作ってくれた人。
一目惚れ、というのではない。
何度か会って、彼のその人柄に触れる度、気がつけば恋心を抱いていた。
しかし。
既婚者だったらあきらめよう。
そんなマイナス思考を打ち砕いてくれたのは、彼がバツイチで独身だったという事実を知った時だ。
ならば、何の遠慮もいらない!!
アタックあるのみだ。
生まれはドイツだが育ちは日本。
しかし、生まれ持った狩猟民族の遺伝子が……って、そうじゃなくて。
昔からこうと決めたら一直線というタイプである。
いつか彼のお嫁さんになる!!
ビアンカは自分にそう言い聞かせていた。
だが……肝心の彼にはなかなか電話がつながらない。
何度かけても留守番電話サービスになってしまう。
先ほどの女子会で話題になった件、それはきっと彼の役に立つと確信している。
それなのに。
仕方ない。
息子の方にかけるか。
ビアンカは電話帳で『和泉彰彦』の名前を検索した。