18:ナカーマ発見!!
食堂の片隅にある公衆電話の前で、周は受話器を上げたり下ろしたりを何度も繰り返していた。
姉か、それとも和泉か。
今日は一日を通していろいろありすぎて、気持ちがすっかり疲弊している。
幼いころから、謂われなく憎まれたり、悪意をぶつけられることには慣れていたはずだった。
ただ、今までは助けてくれる人が必ず、すぐ傍にいた。
だから乗り越えられて来たのだと思う。
でも今は。
倉橋の気持ちがわからない。何が気に入らなかったのか、どんなに考えてみてもわからないのだ。
部活の時間も結局、これと言って判明した原因は何一つない。
周にはそれが一番堪えた。
入校したばかりの時からずっと親しくしてくれた彼。
気を遣わないで、何でも話せる間柄。そう思っていたのに。
誰かに甘えたい。
久しぶりにそう思った。
だけど、姉に電話をすればきっと心配をかけるだろう。そうするとお腹にいる子供達にあまり良い影響を与えないのではないだろうか。
できるだけ今は、マイナス感情にさせるようなことをしたくはない。
一方、和泉はといえば。
たまに電話をしてもつながらない時がある。
捜査1課の刑事がどれぐらい忙しいかぐらい、わかっているつもりだ。
ジャマになりたくない。
そんな葛藤が周を躊躇させていた。
受話器を上げては下ろし、その度にピピーピピーと、テレホンカードの吐き出される音が耳障りなことこの上ない。
幸いなことに電話を待っている学生がいないので、そうこうして周は約5分近く悩んでいた。
そして決断する。
もし留守電に切り替わったら今日はあきらめる!!
周はすっかりそらで覚えてしまった、和泉の携帯番号をプッシュした。
するとワンコールでつながった。
『周君?!』
驚いて思わず固まってしまう。
「……あ」
あのね、と言おうとしたのだろうか、自分でもわからない。上手く言葉にならなかった。
『……何かあったの?』
「え?」
『元気のない声してたから。どうしたの?』
なんでわかったのだろう。
「……分かんないことがあって……」
『わからないこと?』
「……友達に、誤解されてるみたいで、なんか……」
口に出したら泣き出しそうになってしまった。
『それってもしかして、彼? 名前、なんだっけ』
「護……」
『ああ、あの糸みたいに目の細い、短髪の彼だね? 倉敷君だったっけ』
倉橋だっつーの。
あの男は本当に、人の名前をまともに覚えない。
「俺、何も悪いことした覚えないのに……なんか、避けられてる」
少しの沈黙。
「……和泉さん?」
『僕、今から警察学校に行くね』
「え? ちょ、冗談だよね?!」
『本気だよ』
「ダメ、絶対やめて!! だいたい、関係者以外立ち入り禁止……!!」
『問題ないよ。僕、関係者だし』
「そうじゃなくて、ただの不審者だろうがっ!!」
つい大きな声が出てしまい、周はまわりを見回した。
幸い、近くには誰もいなかった。
「と、とにかく……もういいんだ。和泉さんと話したら、少し落ち着いたから」
これは本音だ。
『……ホントに?』
「嘘ついてどうするんだよ」
『周君はあちこちに気を遣って、ホントのことを言ってくれないことがあるからなぁ』
何言ってやがる。
周は胸の内で呟いた。
どこまで本気なのか、心の奥底にあるものを上手く隠しているのはそっちだろうが。
『まぁいいや、そう言うことにしておくよ』
それにしても、と和泉は続ける。『ちょうど、周君の声が聞きたいなって思ってたところに電話してくれるなんて、やっぱり僕達は間違いなく強く魅かれ合ってるんだね!! 改めて確信したよ』
いつもならここで受話器をガチャン、なのだが。
今はその鬱陶しさが妙に恋しく思えて、周は黙っているに留まった。
「そんなことよりさ……」
『そんなことって何?! 一番重要なことじゃないか!! それとも周君の気持ちは、僕と同じじゃない訳?!』
ああ、やっぱりうぜぇ……。
「……そっちは変わりない? 高岡さんは元気?」
すると。
なぜだろうか?
電話越しにも、少し空気が変わったのがわかった。
「和泉さん?」
『……心配要らないよ。聡さんも、周君のこといつも気にかけてるからね?』
「うん、ありがとう。よろしく伝えておいてね」
少し元気が出た。
そろそろ切ろう、そう思った時。
『周君』
「……何?」
『余計なお世話かもしれないけど、誤解があると思うのなら……早めに自分から行動した方がいいよ? たとえ思い当たるような非が自分にないと思っても、そのままにしておくと修復が難しくなるからね』
「うん……」
『なんてね、僕も人のことは言えないんだけど』
「……え?」
『なんでもないよ。おやすみ、マイハニー』
胸のつかえが下りた気がした。
とはいうものの、今度は別の心配が頭をもたげてくる。
どうも和泉の方も少し様子がおかしかった。かくいう彼の方も、親子喧嘩でもしたのだろうか?
その時だった。
校内アナウンスが周に、手紙が届いていることを知らせてくれた。
外部からの学生宛ての通信物は通称【通信】と呼ばれる部屋に届く。アナウンスを聞いた学生はそこへ受領しに行くことになっている。
たぶん姉からだろう。
月2回ぐらいのペースで彼女は励ましの手紙と、撮った猫の写真を送ってくれる。
周は浮足立って『通信』室へと向かった。
思った通りだ。
姉から届いた手紙は何が入っているのか知らないが、妙に分厚い。
良いことも重なる、ってあるんだな。
夕方までの重い気分がだいぶ軽くなっているのを感じながら、周は自分の部屋へと向かった。
※※※
明日の予習をしておかなければ。
姉からの手紙は、寝る直前までの楽しみにとっておこう。
部屋に戻った周は、カリキュラムを確認してから教本とノートを開き、しばらくは勉強に没頭した。
そして集中力が途切れた頃、今日一日のことをふと思い返す。
その時にはもう冷静さを取り戻していた。
何かわからないが、確実に教場内で『何か』異変が起きている。
特に様子がおかしいのは亘理玲子のことだ。彼女は少し前、入校してから1カ月ほど後のことだっただろうか、イジメに遭っていたらしい。当時クラス委員長として健在だったとある女子学生が、ホームルームの機会に、犯人をあぶり出したことがある。
でも今、その女子学生はいない。親しくしていた友人も。
誰も彼女の味方をしてくれる人間はいなくなった。
また蒸し返してきたのだろうか?
そう言えば、水越が妙なことを言っていた。
ここは言ってみれば閉鎖された監獄のような場所だ。狭い空間でストレスも溜まる。
はけ口を求めて、他人を傷つけることを選択したのだとしたら……。
やめよう。
周は大きく伸びをした。
あともう少し予習しなければいけない部分が残っている。再び教本に目を落とすが、意味のわからない単語が出てきた。
電子辞書は持ち込み可能だが、気分転換も兼ねて周は部屋を出、図書室に向かった。
図書室に隣接して自習室がある。
ここは静かでいい。
辞書を借りて自習室に向かうと、一つだけ席が埋まっていた。
後ろ姿で上村だとわかる。しかし彼は、机の上に突っ伏して眠っているようだった。
起こしてやろう。
風邪を引くだろうし、自習室で寝ていたりしたら何を言われるかわからない。
「かみ……」
周が手を伸ばした時だ。
「……ね、さん……」
上村の唇が動き、そう呟いたように周には聞こえた。
もしかして今、姉さんって言った?
手を引っ込めて、もう少し様子を見守る。
「姉さん……」
今度ははっきりとそう聞こえた。そしてうっすらと、眦に涙のようなものが。
貴重な仲間を発見した!!
周は辞書を借りて、スキップで自分の部屋に戻った。