エピローグ:ねこ
その後一週間は文字通り、目の回るような忙しさだった。
いよいよ卒業に向けて大詰めとなったこの期間。
卒業文集の取りまとめ役から早く作文を提出しろとせっつかれたり、謝恩会の会場探しを手伝えとか、バタバタと息をつく暇もない。
卒業試験が終わったら終わったで、今度は検定試験が待ち構えている。
そんなある日の夕方のこと。
自主トレのため、倉橋と一緒に更衣室へ向かっていた周が何気なく窓の外へ目をやると、教官室や教場が入っている棟の屋上に、北条が立っているのが見えた。
「どうかしたのか? 周」
「うん……ちょっと。護、先に行ってて」
いつもなら屋上へ出るための非常扉は施錠されている。しかし、今はドアノブを回すと簡単に開いた。
足音に、ドアの開く音にも北条は反応せず、こちらに背を向けたままだ。
その背中はいつもよりずっと小さく見えた。
声をかけようかどうしようか、悩んだ末に周は無言でその隣に立った。
「……どうしたの?」
彼はこちらを向いた。
夕陽のせいで、元々明るい色の髪が赤毛にさえ見える。
何と言ったらいいのだろう。
ひどく寂しそうに見えた、なんて言ったら叱られるだろうか。
「……アタシがここから飛び降りるかとでも思った?」
周は首を横に振る。
それからつい、じっと彼の目を見つめてしまった。
周としては、彼の気持ちをどれぐらい理解できているかなんて自信がない。
ただ。親しい友人に2人も、それも同時に裏切られた悲しみや怒りは、果たしてどれほどのものだろうか。
おまけに、それぞれ言い尽くし得ない苦しみの末に犯した罪であれば。
雨宮教官のことは周だってショックだった。
でも彼の心の傷は、もっとずっと深いに違いない。
北条はくすっと笑う。
「あんたって、ほんと猫みたいね……」
「なんでですか?」
「物を言わないでじっと見つめてくるところとか。猫ってね、意外に人間の気持ちをよくわかってるらしいわよ。飼い主が凹んでいる時には、寄り添ってくれたりするんですって」
そういえば。自分がひどく落ち込んだり、時には泣いてしまった時、猫達が慰めるかのように、傍にいてくれたことを思い出す。
しゃべることはできないけれど、ただひたすら頭を擦り寄せて。
泣かないで。
そう言ってくれているかのように。
ならば。
和泉よりもう少し背が高くて、身体も大きい彼。
周は彼の厚い胸板に額をくっつけた。これだけ鍛えるのに、どれほどの努力があったのだろう。
周は腕を伸ばして北条の背中に手を回す。
「……きっと、人前では絶対に泣いたりできない立場だと思うから……」
ぎゅっ。
不意に感じる圧迫感。
「今だけは……我慢しないで」
それから。
伝わってくる震え。
和泉とはまた少し違った匂い。
この人ほどに重責を担うことがこれからの自分にあるかないかわからないけれど。
でも、そんなことは考えなくていいと思った。
できることから少しずつ。
警察官の仕事は人を相手にすること。
その人の人生を預かること……。
悲しみに暮れている人のために手を差し伸べること。
それが今、自分にできる小さなこと。
夕陽が沈んで行く。
街の明かりに少しずつ火が灯る。
これから自分はこの人達と一緒に、そこに暮らす人たちの生活を守るんだ。
視界の端でその光景を捉えながら周はそう考えた。
こんな長い話に最後までお付き合いくださってありがとうございました!!
感想とかレビューとか、支えてくださった皆様に大感謝です!!