176:犯人はやつ
すると周は不思議そうな顔をして、
「よくわからないけどさ、高岡さんって優しいから、咎められるようなことはないんじゃない?」
「そ、そうね!!」
それからふとビアンカは、親友の弟を見ていて感じた。
「ねぇ、そう言えば周……ちょっと顔つきが変わったわよね?」
「え、ほんと?!」
「うん。なんていうのか男らしく、大人っぽくなったわ」
周はとても嬉しそうだ。
すると、
「にゃー」
なぜか足元に猫が。
「ねこー!! にゃんこー!!」
言った傍から周は子供のような声で、グレーの毛色をした猫を抱き上げ頬擦りしている。
「あ、どうも。ビアンカさん、でしたよね?」
鑑識の制服を着た男性がすぐそこに立っていた。
「昨日はどうも、すみません……ありがとうございました」
ビアンカは深く頭を下げた。
「いえいえ、俺なんて何も。礼なら高岡警部に言ってくださいよ」
そうしたいのは山々なのだが……。
こちらの胸の内など知る由もないであろう鑑識員は、面白そうに周へ話しかけている。
「君も一緒に倉庫へ入る?」
「え、この猫って証拠品なんですか?!」
「そ。鍵をかけておいても上手に脱走する、困った……ね」
にゃ~ん、と猫は楽しそうに鳴く。
「ま、でも。そのうちに元の飼い主……高岡警部のところに戻るけど」
その時、
「ビアンカさん、こっちですよ~」
昨日、聡介と一緒にいたパンクロッカーのような金髪頭の、若い男性が声をかけてくる。
それからビアンカは、また別のスーツの男性と2人に囲まれ、帝釈峡であった事件の詳細を訊かれた。
終わって解放されたのは、到着してから約2時間後だった。
「ご自宅までお送りしますよ」
パンク青年が言ってくれたが、
「いえ、あの……」
「ああ、高岡警部ですか? ちょっと……いや、かなり凹んでいるから、癒してあげてくださいよ。彼女でしょ?」
「た、高岡さんは今どこっ?!」
ビアンカは思わず、パンク青年の胸ぐらをつかんだ。
「今はたぶん……世羅総合病院にいるんじゃないかな」
「病院?! ま、まさかあの後、怪我でも……?!」
「いや、そうじゃなくて……痛っ!!」
どうやら教えてはマズい情報だったようだ。彼は先輩らしい男性に頭を叩かれていた。
「あ、あの、自宅はすぐそこなので!! 自力で帰ります!!」
ビアンカはさっそく自宅に戻り、愛車の鍵を取ってきた。
早い内に彼に謝罪しておかなければ。
車を飛ばすこと1時間ほど。
病院に到着し、駐車場に車を止めた時点でビアンカは彼に電話をかけた。
『……ビアンカさん? どうかしましたか?』
「あの、どうしても高岡さんに会って謝りたくて……」
しばらくの沈黙の後、ため息が聞こえた。
ああ、もうダメだ……。
「本当に、心臓がいくつあっても足りませんよ」
後ろから聞こえた聡介の声は、電話を通したものではなかった。
振り返ると彼が笑いながら立っていた。
「イノシシがそっちに向かってるって連絡があって……誰かと思ったら、ビアンカさんでしたか」
おのれ和泉!!
怒りを覚えたが、先ほど彼には会わなかった気がする。
となると誰だ?
しかし、犯人探しは後回しにしようとビアンカは思い直した。
入院病棟の一画にある休憩スペース。
自動販売機のコーヒーを購入し、ビアンカは聡介と向かい合って座った。
「あの、ごめんなさい」
ビアンカは一度立ち上がって深く頭を下げた。
「……どうしました?」
「勝手なことをしました。その上、迷惑をかけてしまって……本当にごめんなさい」
少しの沈黙。
ビアンカは頭を垂れたままにしておいた。
「頭を上げてください。あなたのおかげで、救われた命があるのも確かです」
「……そう、かしら?」
「そうですよ」
そう語る聡介の表情はどこか魂の抜けたような、ボンヤリした状態に見える。
凹んでいるから、とあの青年が言っていたのは本当だったようだ。
加えて、疲れているのだろう。大きな立ち回りをさせてしまったせいか。ビアンカは泣きたい気分になってしまった。
「私のせいね。ごめんなさい……」
彼は不思議そうな顔をする。それからなぜか急に、
「俺はきっと警察官に、刑事に向いてないんでしょうね」
「……え?」
紙コップを両手で握る彼の手は微かに震えている。
「……いや、何でもありません」
「ビアンカさんは、あの日……リョウに会った時から、何か違和感を覚えていたんですか?」
「リョウって?」
「尾道の料理屋で、一緒に食事をした時……」
「ああ! あの猫みたいな目の」
思い出した。
ずいぶん親しげに聡介と話していたが、あの時。
得体の知れない気味悪さを感じたのを覚えている。
だが、
「……どうだったかしら? もう忘れちゃったわ」
そう答えた方が良いような気がした。
※※※
時計の針は午後4時を指している。
「ねぇ、外に出ない?」
ビアンカは立ち上がって聡介の袖を引っ張った。
「屋上に行きましょうよ。この時間ならきっと、夕焼けが綺麗だわ」
躊躇している彼を半ば無理矢理立ち上がらせ、エレベーターのボタンを押した。
ドアをくぐると少し冷たい風が頬を撫でる。
柵に近づくと、濃い緑色の木々囲まれたフラワーパークが見えた。その中でもひときわ目を引くのは観覧車である。
「ここは良いところね……」
「……そうですね」
「こないだ久しぶりに出会った時、高岡さん、ひどく元気がなかったでしょ? 何があったのか詳しいことは訊かないわ。今も、何を落ち込んでいるのかわからないけれど……」
聡介は目を逸らしてしまう。
さっき【刑事に向いていない】とかなんとか、そんなことを言っていたが……。
確かに彼は優しすぎる。
でも。
本当の強さとは何か。
その定義はビアンカの中で、聡介のような人、とインプットされている。
「私、高岡さんは素敵なお巡りさんだと思うわ」
ビアンカは彼の手を両手で包んだ。
「ちっとも偉ぶらないし、優しくて思いやりがあって、でも決して甘くはないのよね」
「……そうですか?」
「そうよ。本当の意味で強い人だと思うの。昨日、高岡さんと一緒に私を助けに来てくれた若い男性がいたでしょ、あの人みたいに、腕力のある人だけが強いって訳じゃないわ」
夕陽が沈む。
オレンジの光が聡介の銀の髪を染めて行く。
彼はなぜか、驚きの表情をしている。
さっきの話だけど、とビアンカは柵を握り、空に視線を向ける。
「……刑事に向いてる向いてないじゃなくて、長く続けられる才能があるかないか、ってところじゃないの?」
「……長く続けられる才能……?」
「上手く言えないけれど、周と同じ。どっちかっていうと優しすぎて、悪い人に舐められそうだなって思うけど……でも。本当に大切な強さは心の方だと思うの。それがない人はきっと、いつまでも続けられない。強い誘惑や心が折れるようなことがあると、すぐ挫けてしまう。でも高岡さんは違う」
ビアンカは微笑む。
「私はあなたの強さを、心から尊敬しているわ」
彼は頭の中でいろいろと考えている様子だった。
それからふと、
「……もし、俺があなたとコンビを組んだら……」
「え?」
「い、いや、何でもないです!!」