171:取調室その1
ここは携帯電話の電波が弱い。それに。
『よいしょ、っと』
リョウが放った矢はスマホを持っていた女の手の甲をかすめた。
地面に落ちた通信機器を、今度はポケットから取り出した小銃で撃ち抜く。
『あ、ちなみに。その辺が大宮桃子さんの自殺した場所』
女の顔が引きつった。
『な、何よ、何だっていうのよ……?!』
『覚えても無駄だと思うけど、一応教えてあげるよ。僕達は【黒い子猫】お姉さんみたいな厚かましい、悪い奴を裁く黒い猫……なんちゃってね』
次の矢をつがえる。
『あのさ、他人の物を盗んじゃダメって親に教わらなかった? あ~、でもムリかぁ。親もまったく同じことしてるもんね』
あしたかグループ。
世羅高原の住民達から土地を奪い、自分達の利益のために搾取した奴ら。
『それじゃバイバイ』
立て続けに2本、3本と矢を放つと、すっかり恐怖に陥った御堂久美は靴を脱いで走り出し、逃げ場を求めてガードレールの向こうに足を踏み入れた。
そうして。
悲鳴と共に、彼女が滑落する音が聞こえたのはすぐ後のことだった。
水が跳ねる音。
『完璧っ!! これで間違いなく事故死だね……』
※※※
守警部は顔こそ冷静そのものだが、微かに手を震わせていた。
聡介は驚きと戸惑いを隠せずにいた。リョウは無表情だ。
「それでは尾道の事件……山西亜斗夢君殺害事件について詳しく教えてください。あの日、何があったのかを。そして依頼主についても」
「依頼してきたのは……熊谷さんっていう人。子供がイジメに遭っている、けど加害者は親族が警察の偉い人だからとか何とかって、学校は何もしてくれない。そんなふうに言ってた」
彼らが詳しく【調査】した結果、判定は有罪。
「それで、依頼を決行することにした?」
「そう。せらやんの着ぐるみを使ってターゲットを外におびき出して、祇園橋に連れて行った。依頼主の子供がされたのと同じようにしろって言われたから、同じようにした。そうしたらあの子供、ビットに後頭部をぶつけて動かなくなった。それで海に遺体を投げ捨てたんだ」
「……それから翌朝、高岡警部に連絡を入れた……そうですね?」
「……うん」
リョウは欠伸をして、
「ねぇ、刑事さん。すごく眠いから、もう寝てもいい……?」
※※※
リョウが眠ったのを見届けてから聡介は、守警部と一緒に廊下へ出た。
「……何もかも、信じられません……」
守警部は眼鏡を外して眉間を揉み、深く溜め息をつく。
「こんな商売をしていてなんですが、時々本気で、何が正しくて、何が間違っているのかが……よくわからなくなることがあります」
「実は、私もですよ」
彼のことを、リョウのことを憎み切れない自分を、他の刑事はどう考えるのだろう?
そして何よりも。
心のどこかでホっとしている自分。
聡介は首を横に振った。
「長野課長もきっと、いろいろ……辛いでしょうね」
守警部の声に我に帰る。
「そうですね……」
「仮に依頼したのが娘さんの、桃子さんの方であったとしても。いずれにしても……」
長野課長という人は、日頃はあんなふうに、どこまでが本気なのかわからないふざけた人間だが。胸の奥にはいろいろと抱えている。
「願わくは第二、第三の【黒い子猫】があらわれないこと、それだけですね」
本当にそうだ。
聡介は彼の言葉に深く頷いた。
※※※※※※※※※
もうすっかり体調は元通りだ。
広島に戻った和泉は取調室で相馬要と向き合っていた。
昨日、一時的に様子がおかしくなった彼も、今は落ち着いた様子だ。そして相変わらず無表情である。
挨拶を終えた後、
「まず初めに。あなたのご友人達は無事ですよ。といっても、1人は足を骨折していますので無傷とは言えませんが。そしてもう1人の、女性教官……元ですが、彼女も怪我は負いましたが、命に別条はないそうです」
ホっとするとか喜ぶとか、そういった反応はない。
相馬は短くそうか、と答えただけだ。
「ちなみにご友人達はいたって素直に取調べに応じているそうですよ」
大抵の場合、共犯者が自白を始めたと聞くと、連鎖的に他の被疑者は怒りをあらわにしたり、焦ったりするものだ。
しかし相馬はいたって冷静に、それなら良かったと答えただけだった。
訓練によるものか、あるいは持って生まれたものか。
それとも育った環境によるものか。
相馬要という人物はどこまでも自分を押し殺すことができるタイプだ、と和泉は思った。
こういう相手は手強い。
本音を訊き出すには、尋問の仕方を深く考えなければなるまい。
和泉は昨日とはまた違った【闘志】を感じている自分に気づいた。
※※※
「さて。昨日世羅高原で、僕があなた方にお訊ねしたことに、何か異議というか反論はありますか?」
「いや」
「そうですか」
「……たいしたものだ。名探偵という噂は本当らしいな」
だから探偵呼ばわりはやめろ、と言いたかったが黙っておいた。
取調べの際、いきなり核心に触れることはしない。
まずは雑談がセオリーである。
どんな話題を振ろうか考えた時、和泉の頭に浮かんだのは、
「そういえば、ご出身は東京なんだそうですね?」
そうだ、との短い返答。
「僕も一度だけ東京へ行ったことがありますが、どこもかしこも人が多くて、高いビルだらけで……さすがに首都ですね。すっかり開発された、近未来的な都市だと思いましたよ」
「表だけだ……」
「表だけとは?」
「一歩奥に踏み込めば、そこは未開の土地だ。人は皆、表面に見える物でしか判断しない。そして肩書き、社会的地位……」
「仰る通りですよ。それが人間と言ってしまえばそうなんでしょうが、表ばかり見ていては真相はつかめない……ですから、僕は常に裏を読むことにしています。人の笑顔の裏にある邪悪な企み、もしくは涙をね……」
「面白い人だ」
「よく言われます」
「……雪村に気に入られているだろう?」
「気に入ってくれているのなら、もっと優しくして欲しいんですけどね。顎で使われるのなんて日常だし、機嫌を損ねると本気で痛い目に遭わせられるし……周君にはとことん優しいのに」
「周君? ああ、昨日の……」
「可愛い子でしょう?」
「確かに、雪村の好みだな」
和泉は黙った。
「……冴子はあの子の言うことを綺麗ごとだと言っていたが、俺にはそうは思えなかった」
「周君はいつだって、本音でしかしゃべりませんよ。実際、富士原という男のことを『あんな奴いなくなればいいと思った』って、はっきり言ってしまいましたもんね」
もしあの場で周が、決して恨んでなんかいないなどと言ったなら。
さすがに和泉も嘘だろう、と思う。
どこまでも素直で正直な彼。
だから信じられるのだ。
「……富士原という人物については、だいぶ前から何度もサイトに書き込みがあった。それも複数の人物から。現役もしくは、退職を余儀なくされた警察官……様子を見て、今月中にでも実行しようと考えてはいたが」
まるで旅行の計画でも立てたかのように、相馬は淡々と述べた。
あの日の夜、警備に当たっていた人物の中に裏切り者がいた。
彼もまた富士原の被害者だった。
「まさかとは思いますが、雨宮冴子さんがそのサイトを、仲間達に広めた訳じゃありませんよね?」
「それは……本人に聞いてくれ。ただ」
「ただ?」
「あの日、即日決行して欲しいと冴子が言ってきた」
「あの日というのは?」
「先週の土曜日だ。2人、いや3人の学生が虐待されている。自分の目と耳で既に見聞きしているから事実に違いないのだ、と。依頼主は猫を引き取ることを了承した……と」
倉橋が助けを求めて彼女の所へ駆け込んだ時の話か。
「あなた方は、依頼を請け負う代わりに報酬として、行き場のない猫に家を提供してもらうことにしていた、そうなんですね?」
そうだ、との力強い返事。
「金に興味はない。それに……」
「生かすにしろ奪うにしろ、命に値段はつけられない、そういうことですね?」
「……本当に、あなたは面白い人だ」
それはどうも、と和泉は軽く会釈した。
取調室でカツ丼は出ないのよ(笑)