17:どいつもこいつもいろいろおかしい
「それじゃ、2人一組になって今の一連の動作をやってみて!!」
女性教官の声に、すぐ親しい者同士が組みを作る。
こういう時、いつもなら倉橋が迷うことなく周の向かいに立つはずだった。しかし彼はすぐ近くにいた学生と向き合ってしまった。
仕方ないので周は、目だけで相手を探した。
すると、
「頼もう」と、まるで道場破りのような台詞で声をかけてきたのは、ついさっき会話した栗原であった。
彼はポキポキと指を鳴らしながら向かいに立ちはだかる。
こうして向き合ってみると、ものすごく相手が大きく感じられる。
身長は自分とそれほど変わらないだろう。だが、彼には横幅がある。
加えて細い目からのぞく三白眼が、気のせいだろうか、自分に対して妙に敵がい心のようなものを帯びているように見えた。
考え過ぎか。
別に栗原に恨みを買うような真似をした覚えはない。
「じゃあ、俺が先に警官役でいい?」
「かまわん」
よろしく、と答えて周は先ほどの模範演技の通りに両腕をホールドアップしてみせる。
即座に、背中に模擬拳銃が突きつけられる感触。
それから教えられた通りに動いて、相手を制圧することに成功する。
栗原は畳の上に蹲った状態でじっとしている。
後は奪った銃の取っ手部分で後頭部を打撃する……だけど。
周は少なからず躊躇していた。
相手が倉橋なら、これは訓練だからと納得して、お互いに後腐れなく言われた通りにすることができたのに。
いや、そんなことを言っている場合ではない。
周が模擬拳銃を振り上げた瞬間だった。
急に身体が浮き上がるような感覚を覚え、気がつけば畳の上に背中をつけていた。
栗原が態勢を立て直し、起き上がり、振り返るついでに周の身体を突き飛ばしていたのだ。
そして左肩に強い衝撃を感じた。
栗原に踏まれたのだと分かったのは、彼の顔が直線上にあるのを確認した時だ。
「そんなザマじゃ、現場じゃ通用しねぇな」
防具をつけているとはいえ、痛みは嫌と言うほど強く感じる。
周は肩をさすりながら立ち上がった。
規定通りに行動していないこの学生を咎めるはずの教官はしかし、違う方向に視線を向けていた。
どういうつもりだろう。
腹が立ったが、今はそんなことを言っている場合ではない。
今度は立場を交代する。周が犯人役だ。
栗原の背中に模擬拳銃を押しつけ、ホールドアップしている彼の様子を見守る。
指示通りであればここで組んでいた指をほどき、振り向きざま銃を振り払うはずだった。
それなのに。
いきなり視界から栗原が消えた。
なんだ?!
驚いて呆気に取られている内に、周の全身は後方へと傾いて行く。
しゃがみこんだ相手が足払いをかけてきたのだとわかったのは、倒れ込んで、後頭部を畳の上に打ちつけてしまった時だ。
「……っ!!」
周は急いで起き上がり、思わず栗原のことを睨んだ。
「何があっても不思議じゃない、それが現場だろう?」
それはそうかもしれないが。
こいつ、俺に何か恨みでもあるのか?
その時だ。
「そこ!! 勝手な真似をしないっ!!」
笛を鳴らしながら、教官がズンズンと近づいてくる。
すると栗原は、
「申し訳ありません、しかし……藤江巡査が規定通りの動作をしていなかったもので、こちらも反射的に……」
などと、訳のわからないことを言い出した。
「なっ……!?」
ぱんぱんっ、と2回破裂音が響く。
周と栗原は2人等しく、頬を平手で叩かれていた。
「2度目はないわよっ?!」
なんで俺まで?!
納得いかない気分で、周は教官の後ろ姿を見つめた。
「次、組み方開始っ!!」
組み方始めと言われて周が常に気にするのは、上村のことである。
彼は日頃から自分にも他人にも厳しい。ちょっとした規律違反であっても、即座に教官へ報告する。それに加え、体力を要する授業では仲間達の足を引っ張ることも多い。
だからこんな時、教場仲間達は調子に乗って彼を攻撃するのだ。
【訓練】という大義名分のもとに、日頃の鬱憤を晴らそうとする学生だって少なくない。
「どこ見とるんじゃ!!」
誰かの声がして、はっと我に帰る。
自分だってやられる訳にはいかない。周は咄嗟に態勢を整え、応戦する。
どこから攻撃が飛んでくるのか見極めるコツは、相手の視線を追うことだよ、と以前、和泉から聞いたことがある。
周に攻撃をしかけてきた相手は水越だった。
彼と何度か組み合っている内に、視線が上半身に向けられていれば突き、下半身を見ていたら蹴りが来ると気付いてからは、かわすことにそれほど苦労しなくなったものの、現時点では防御だけで精いっぱいだ。
授業が終わるまであと何分だ?
気がつけば周は、そんなことを考えていた。
終業の合図が鳴る。今日の授業は終了、だ。
皆が更衣室へ向かう中、周は道場の隅に置いた自分の荷物を取りに行った。
体力を使う授業ではなるべく、筋肉痛を防ぐためのスプレーを使った方がいいよ、と言われて以来、習慣にしている。ところが。
姉が作ってくれた巾着袋の中に入っているはずのスプレーは見当たらなかった。
ロッカーに忘れたのだろうか?
不思議に思いながら周が廊下を歩いていると、前方を上村がよろよろ歩いているのが見えた。壁に手をついて、まるで病人のようだ。
先ほどの授業で散々やられたに違いない。
「上村!!」
周は彼に声をかけた。「大丈夫か?」
ゆっくりと振り返った彼は、苦々しい顔をしていた。
顔の何箇所かが紫色に腫れている。
「……他人の心配をしている場合か?」
「俺は何も問題ない」
ほら、と周は手を差し出すが、上村はプイとそっぽを向く。
本当はあちこち、防具でカバーしきれなかった箇所が痛むのだが。気にしなければどうということもない。
それからふと、彼は思い出したように言った。
「倉橋巡査はどうした……?」
言われてみれば。
今までいつも一緒に行動していた彼は、さっさと先に道場を出てしまっていた。
ロッカーでも顔を合わせたが、挨拶もそこそこ、急いで着替えて先に行ってしまう。
何か怒らせるようなことをしただろうか?
つい昨日までは普通だった。
様子がおかしくなったのは、朝食の時からだ。
どうしたというのだろう?
不安が胸いっぱいに広がって行く。
「何かあったのか?」
「わからない……」
そうだ。今日はクラブ活動の日だ。彼とは同じ将棋部だから、その時に話をすればいい。
周はそう考えていた。
※※※
「なぁ、護……俺、何か悪いことしたか?」
幸いなことに部活の時間、倉橋とはすぐ会話するチャンスがあった。
周が話しかけると、彼は弾かれたようにびくっとする。こちらを振り向いた頬はまだ赤みが残っており痛々しい。
「え? あ、いや……別に……」
「なら良かった。こないだの猫カフェ、また一緒に行こうな?」
返答はなかった。
なんとなく気まずい、重苦しい雰囲気の中、部活の時間が終わった。
これから夕食の時間だ。食堂に向かって周が廊下を歩いていると、前方を亘理玲子が歩いているのが見えた。
脇腹をさすりながら辛そうに歩いている。
「大丈夫か?」
思わず駆け寄って声をかける。
こちらを振り向いた彼女の顔色は青い。
「……大丈夫よ、ありがとう……」
「肩、貸そうか? 夕飯食べに行くか、それとも部屋に戻る?」
すると彼女はなぜか泣き出しそうな顔をし、
「放っておいて……」と呟いた。
「放っておけるかよ、そんな状態で!!」
「いいから、余計なことしないでよ!!」
そう叫んで玲子ははっ、と口をつぐんだ。
「……なんで……」
「……ご、ごめんなさい!!」
それからこちらに背を向け、玲子は急ぎ足で去って行く。
周はただ呆然と、その様子を見守っていた。