169:事件の真相
子供の頃の家庭環境によって形成された人格や、ものの考え方。長い時間をかけて培ってきた道徳観、倫理観はそう簡単に方向転換することなどできないだろう。
しかし。
「いいか? 昼間も言ったが、お前達のしたことは犯罪だ、わかるな?」
返答がないことに聡介は不安を覚えた。
「わからないなら、わかるまで何度も教えてやる。それでも、俺がどうしてもお前を憎み切れない理由は……ただ1つ」
「……別れた奥さんの親族に、ざまぁ見ろって言えたこと?」
聡介は首を横に振る。
「そうじゃない。あくまでも身勝手な、理不尽な理由なんかじゃなくて。苦しんでいる人を救いたいっていう動機だけだ。だがもちろん、許されるはずもない。復讐心で人を殺したりして良い理由なんて何一つないんだ」
「……どうして?」
聡介はリョウの両肩に手を置いた。
「お前は今、幸せか? リョウ」
「……幸せってなに……?」
「満足しているか? お前達に依頼をしてきた人達は、猫を受け取った人達はみんな、心から笑っていたか?」
答えはない。
その時、守警部が到着した。
※※※※※※
黒い猫がにゃあ、と鳴く。ゴロゴロ喉を鳴らして頭を擦り寄せてくれる。
まったく取りつく島もない飼い主とは対照的に、訪ねるといつも歓迎してくれるこの黒猫はもしかしたら、大宮桃子の生まれ変わりなのではないか。
店の入り口には手書きの文字で書かれた紙が貼ってあった。
【都合により、しばらく休業します。皆さまのご愛顧を心より感謝いたします』
見てみて、と言いたいのだろうか。
黒猫はしきりに扉の前でジャンプを繰り返す。
「……大宮さん……」
「……あんたか」
「桃ちゃんの仇を取ってもらって、満足できたかのぅ?」
「……」
「のぅ。あんたは今、幸せか? 生きていることを心から喜べるか?」
黒猫は仰向けに寝転がり、コンクリートの上で背中を擦る。
「ワシはほんま言うと、桃ちゃんのことも引っ叩いてやりたいところじゃ。なんで、なんで自殺なんか……」
何か気になる獲物でも見つけたのだろうか。黒猫はひょいっ、と起き上がる。
「生きていることに疲れた……そう言うとった……」
「疲れた……か。ほうじゃろうな」
「もう、何も考えたくない、とも」
尻尾を振りながら、猛スピードで駆け出す黒猫。
「あの子は怒っとるじゃろうか。ワシがバカな真似をしたことを」
「怒っとりゃせんじゃろう。ただ、悲しんではおるじゃろうな。父親をそこまで思い詰めさせてしまったちゅうことに……」
黒猫は高く跳躍する。
しかし狩りは空振りに終わってしまったようだ。
一羽のスズメが慌てて空へ飛び立っていく。
「ワシはもう、二度とここには来んけぇ。ほんなら」
「長野さん……」
黒猫が足元にまとわりついてくる。
もう帰っちゃうの?
そう問いかけるかのように。
「のぅ。この子の引き取り手を探してもらえんじゃろうか? このとおり、えらい人に懐いとるけぇな……このまま野良に返すのは忍びのぅて」
「約束する。この子だけは必ず、幸せにするけぇな……」
金色の双眸が微笑んだような気がした。
※※※※※※
「ただいま!!」
周が寮に戻ると、ロビーに教場仲間が集まっていた。
事情聴取はまた明日、県警本部の方に行って受けなければならないそうだが、今日のところは解放された。
というか、もう自分で書類作成できそうな気がする。
「周!!」
倉橋が駆け寄ってくる。
「無事で良かった、周……!!」
他の仲間達も口々に無事を喜んでくれた。
そして上村は、
「亘理巡査は、彼女は無事なのか?!」
「大丈夫。今夜は入院らしいけど、別に怪我もしてないしすぐに復帰できるって」
「……そうか」
「そうだ、あの女の子は?!」
「もちろん、無事に帰宅できたよ」
安心したようで、倉橋が目尻をぬぐいながらほっと溜息をつく。
今は担当教官も副担任もいない。そのせいか学生達はかなり緩んだ空気で、めいめいが雑談に花を咲かせている。
もうそろそろ消灯時間だというのに。
ただ。
点呼は誰が取るのだろう?
周はふとそんなことを考えた。北条はあの後、県警本部に真っ直ぐ向かって、今日は学校に戻らないと言っていたが。
周、と倉橋に呼びかけられて我に帰る。
「実はさっき栗原が、ここに来たんだ……」
「え、あいつ、無事だったのか?!」
「うん、詳しいことは知らないけど。もう辞めるって」
「辞める? ここを?」
そうみたいだ、と倉橋は答える。
「それで、ついでに全部の真相を吐いて行ったよ……」
「真相って……」
「例の、備品の盗難騒ぎだよ」
その件に関してもう何の感情も持っていないのか、友人は淡々と語る。「あれは富士原の命令で、栗原が盗みを実行した。そうして盗んだものを俺の部屋に隠したんだ」
驚いた。
まさか倉橋の仕業だなんてここから先も疑ったりしていなかったが、罠にハメられたなんて、考えもしなかった。
「なんでそんなことを……?」
「俺をハメれば間違いなく周が動く。そう思ったらしい。実際、そうだっただろ……富士原のご機嫌を損ねて、酷い目にあった……」
「……ってことは、本当の狙いは俺の方だったってことか……」
何となく栗原から良く思われていないのは薄々感じていた。
「ごめんな、護。巻き込んでしまって……」
「なんで周が謝るんだよ?! 悪いのは全部、あいつらじゃないか」
きっと雨宮教官は全部を見ていたのだろう。
だから彼女も許せないと思った。
そうして……。
「もう、このことは一切考えないようにしよう? 忘れるのは難しいけど」
「……周、もしかして……」
「なに?」
「いや、何でもない」
彼は彼なりにもしかして、と思うところがあるのだろう。だが口に出さない方がいいと思ったに違いない。
周も一生、黒い子猫のことは倉橋に伝えないつもりだ。
ということで、盗難事件の真相はこんな感じでした。