168:猫からの別れの挨拶
時刻は午後9時。
リョウは現場である世羅高原から最寄りの総合病院へ搬送され、治療を受けた。
痛み止めが効いているようで、今は眠っている。
聡介は彼に付き添って病室にいる。事情聴取が主な目的ではあるが、そうしてやりたいという気持ちもあった。
それにしても。こうして寝顔だけ見ていると、どこにでもいるごく普通の青年なのに。
突然、リョウが眼を開いた。
「……要さんは?」
「悪いが、俺は詳しいことを知らないんだ。でも大きな怪我をしたとは聞いていないし、たぶん大丈夫だろう」
うん……と、彼は曖昧な返事をした。
それから真っ直ぐに聡介の眼を見つめてくる。
「……ありがとう、聡介さん」
「何がだ?」
「僕のワガママきいてくれて」
とても凶悪犯の台詞とは思えない。聡介は戸惑いを感じつつも、彼の頭をポンポンと撫でた。
彼は少し驚いたような表情をして、それから呟く。
「……僕、聡介さんの家の子供に生まれたかったな……」
「そうか? そうしたらきっと、とんでもなくひねくれた人間に育ったぞ」
「……なんで?」
「そういう家庭だったから。でも幸いなことに、娘達はいい子に育ってくれた」
「……お父さんに似たんだよ、きっと」
聡介はつい空想してしまった。
双子の娘達の下に、弟。
その子は今頃、警察官になって……そうしたら……。
「ねぇ……彰彦って人、聡介さんの大切な人?」
「え?」
唐突なリョウの質問に、聡介の思考は中断された。
「だって……銃声がした時、いの一番でその名前を呼んでたから」
「……俺の胃潰瘍の原因、ナンバー1だ」
それでも心配なんだね、とリョウは笑う。
「バカ息子には違いないが、可愛いのも確かだからな」
そう言えば。あのバカ息子は犯人との格闘の末、一時的に意識を失っていたようだが、あれからちゃんと病院へ行ったのだろうか。
周も病院へ行くよう言っていたから、多分、行っただろう。
そう自分を納得させ、それから聡介は見舞い客用の丸椅子に腰を降ろした。
「幸せな人だね、その人……」
「だといいな」
そろそろ本来の目的を果たしたいところだが、相方がなかなかやって来ない。基本的に事情聴取は2人1組で行い、どちらかが記録を取る。
ちなみに先ほど入った連絡によれば、守警部がこちらへ向かっているとのことだ。
一連の事件に初めから関わっていた彼が適任だろうと聡介も思う。
それまでは【雑談】でもしていよう。
「……なぁ、リョウ。初めから俺のことを調べておいた上で、あの時、電車の中で声をかけてきたんだろう?」
「……うん」
「よく調べ上げたな、いろいろと」
「今はほら、ネットで調べられないことなんてないから」
恐ろしい世の中だ。
「それに。要さんが家庭教師になりすましてあの山西っていう家に入って、いろいろ見聞きしたことを僕も聞いたんだ。言ってたよ、虚栄心の塊で、中身の薄っぺらい人間ばっかりだって。どいつもこいつも……」
「それ以上言わなくていい」
リョウが何か言いたげな顔でじっと見つめてくる。
聡介はつい眼を逸らした。
それから、
「さばの首に着けてくれたリボンだが、盗聴器がついていたそうだな?」
うん、と答える彼に悪びれた様子は少しも見られない。
「あの猫、元々は僕が拾った子なんだ。生まれたばかりの頃に捨てられていて……ずっと面倒見てたから、僕のことを母猫だと思ってるみたい」
「俺があの猫を拾うように、お前が仕向けたのか?」
「……うん。上手く行くかどうか、賭けだったけど」
もし自分があの時、拾わないで放っておいたらどうなっただろう?
自宅の玄関先に置かれていたかもしれない。
そうなっていたら、間違いなく家の中に入れただろう……。
聡介はため息をついた。
「その理由は警察の動きを……捜査情報を知るためか?」
「そのつもりだったけど、ダメだったね。聡介さん、家では全然、仕事の話しないんだもん……」
「当たり前だろう」
それは警察官全員の義務だ。
でもね、とリョウは続ける。
「……いろいろ聞いたよ。あの子供のばーさんが、聡介さんの娘さんに因縁つけに行った時のこととか。ああ、やっぱりなって……僕は間違っていなかったって思えた。あんな人間は死んで当然だったって納得したんだ。生かしておいたってきっと、まわりに害をまき散らすだけだって」
聡介にも思うところはいろいろあるが、結局、何も言わないでおいた。
「それなのに……」
「それなのに?」
「聡介さん、あんなこと言うんだもん。聞いていられなかったよ」
自分が何を言ったのだろう? 少しばかりの恥ずかしさと、戸惑いを感じる。
「死んだ人間を恨むよりも、生きている家族のことを大切にしよう……って」
リョウは苦笑している、
「信じられないぐらいのお人好しだと思って。だから僕、辛くなって猫を回収しちゃったんだよね」
「……だからなのか!! 突然、さばがいなくなったかと思ったら……今度は、北条警視が押収したバンの中から見つかったのは……」
「挨拶代りにダリアとシオンの花を置いてきたんだよ。移り気な猫からの、さよならの意味を込めて」
そう言えば。
ダリアの花言葉は【移り気】
シオンの花言葉は【別れ】
義理の息子が調べてくれたことを思い出す。
いろいろ腑に落ちた。
そういうことか。
それともう1つ思い出したことがあった。
「……あの日、祇園橋埠頭に行ってみろって俺に電話をかけてきたのは、お前なんだな? リョウ」
無言でいることが肯定の意味を示しているのだと感じた。
「まさか……褒めて欲しかったのか? よくやったって」
「だって、聡介さんも絶対、あの一族のことを恨んでいるだろうって、そう思ったから……」
聡介は立ち上がり、リョウのこめかみに握った拳を当てて、グリグリ回す。
「……痛い、痛いよ!! 何すんだよっ?!」
「この、バカっ!!」
猫のような目が驚きに見開かれる。
「やられたからやり返して……その連鎖はいつ、どうやったら止められるっていうんだ?! そういうことを、考えたことはないのか……?」
「だって、だって僕の父親は……やられたらやり返せって、徹底的に……そうしないと家に入れてもらえなかったんだよ!! 子供の頃、近所の子に虐められて泣いて帰ってくると……相手が泣いて許しを請うまでやり返せって、そう教えられた」
その頃の思い出がよみがえるのだろうか。リョウは泣き出しそうな顔をする。
「でも、上手く出来なくて、そうしたら僕が父親に殴られて……母親が必死で頼んでくれて、そうしてやっと……」
それにね、と彼は続ける。
「何をやっても、どんなに頑張っても、父親に認めてもらったことなんで一度もなかった。勉強も何でもできて当然、できなければ……怠けていたって叱られて、叩かれるんだ……子供の頃、嫌だったのに無理矢理……空手の教室に通わされて、試合で負けて帰ると……」
「もういい、それ以上は言わないでくれ!!」
思わず聡介はリョウの細い身体を抱きしめた。
生まれてくる家を、親を選べないのはなんて不幸なことだろう。
「母親がいなかったら……僕は死んでいたかもしれない」
猫の毛のような柔らかい髪を撫で、細い割にしっかりと筋肉のついた背中を擦る。
「母が亡くなった後、僕には1人も味方がいなくなってしまった。でもね……これも父親の命令で、強制的に入れられた自衛隊なんだけど、そこで要さんと出会ったんだ」
彼は初めて僕を認めてくれた人なんだ、とリョウは嬉しそうに語る。
昼間も同じことを言っていた。
それほど彼にとって驚きと同時にひどく新鮮で、とても嬉しかったに違いない。
「だから僕、要さんが自衛隊を辞めるって聞いた時、迷わなかった。ずっと一緒に働きたい、この人に認めてもらいたいと思ったから、だから……」
「一緒に【黒い子猫】を始めたんだな?」
今度はハッキリと肯定の返事。
その瞳に、表情にやはり『自分達は決して間違っていない』という確信のようなものを感じ取った聡介は、そっとリョウから離れた。
手を離されたことに彼は、傷ついたような顔をしたが。
さらば地球(?)
バカな子ほど可愛いって言いますね(笑)