166:彼女の告白
「どうして、ですって? あなたは男だからわからないでしょう!? 母親にとって娘っていうのはね、ううん……お腹を痛めて、死にそうな思いで産んだ我が子はね、何にも代えがたい宝物なのよ!! その宝物を失う原因を作った、奴ら……あいつらを法で裁くことができないなんて、おかしいじゃない!!」
彼女の娘にまつわる【事情】は把握している。
学生時代には容姿が優れている、という理由で迫害された。
その上、社会に出て働きだした時にもやはり、同じ人間達により数え切れない不愉快な思いをさせられた。
挙げ句、彼女が殺されるよう、とある男を唆した。
彼女にとって娘の仇に違いない3人組の女性達。
「あの子には誰よりも生きる価値が、幸せになる権利があったのよ?!」
だけど、と冴子は悲しげに首を横に振る。
「……失われた命は戻ってこない。だから私は、あの子の代わりじゃないけど後輩を、学生達を……息子や娘みたいに思って接してきたわ」
「ええ、そうね……あんたは立派な母親であり、皆の姉だった」
いつも近くで見ていたからわかる。
口の悪い人間は、あの女性教官は学生に【媚びている】なんて噂をするけれど、彼女は常に学生達に親身になって接していただけだ。
「だからこそ許せなかったのね? 藤江周と倉橋護……それから亘理玲子。真面目に一生懸命やっているあの子達を苦しめる富士原のことを……」
それだけじゃないけどね、と冴子は微笑む。
そうよね、と北条は前髪をかき上げた。
「あんたのことを慕う後輩は多い、って言うのは知ってる。捜査2課の……小川だったかしら? そいつも確かあんたの後輩なのよね?」
宅配業者を装い、富士原の自宅に忍びこんだ警察官。
彼が【荷物】を届けたすぐ後に爆発は起きた。
「彼はね、本当に熱心な刑事だったの。あれは何年前かしらね。彼はずっと代議士の田代を追っていた……」
「それって、確か……」
「そう。富士原のバックについてる古狸よ」
以前、学校内で備品の盗難騒ぎが起きた。
未だに真相はハッキリとはしていないが、北条自身は富士原が仕組んだ【ヤラセ】だと睨んでいる。そのことを本人にぶつけた時、あの男は答えた。
『こっちには代議士の田代先生がついてるんだからな!!』
つまり、お前なんか『先生』に頼めば、どうとでもなるんだからな、というつまらない脅しだ。
ハッタリだろうと思っていた。
「彼は田代を糾弾しようと、寝る間も惜しんで頑張っていたの。逮捕状が降りるまで後一歩、って言うところで突然、ダメになった……知ってる?」
確かその話は守警部から聞いた記憶がある。
「ええ、最後の詰めでミスったって……」
「ミスじゃないわ。故意よ」
「故意……?」
「重要な証拠を、廃棄されたの。隠蔽されたのよ!!」
なんていうことだろう。
「でも、どうやって……? そんなにセキュリティが甘かったなんて思えないけど」
「買収よ」
「……買収?」
「あのクズどういう訳か、お金に困ってるとか、何か弱みを抱えている人間を取り込むのが上手なの。ちょうど当時2課に、そういう刑事がいた……」
「……証拠は?」
「見つからなかった。富士原の手先が証拠を廃棄したことも、奴が裏で糸を引いていたのも!!」
冴子は悔しそうに歯噛みする。
「その後、富士原はその【事件】を手土産に田代を味方につけた……そういうこと」
彼女にはおそらくいろいろな【情報網】があるのだろう。
物証はなくても状況証拠としては充分過ぎる。
そしてずっと、その件を恨みに思っていた。
「小川君はあのあと、交番勤務に戻されて……それでも良かったの、もう一度頑張るって笑ってた。でも、あいつはそんな彼の気持ちを踏みにじったのよ!!」
「確か、富士原と同じ署の地域課だったって……」
そこで何があったのかは想像に難くない。
そうして北条は結論を出した。
「あんたは前々から富士原に因縁があったのね。そして、このタイミングで奴を始末するよう頼んだのは……学生達への虐待事件がきっかけというか、それが引き金になったということ……」
「そう。これ以上あのクズを放置して、被害を拡大させる訳にはいかないって思ったから」
その点に関し、北条は反論する術を持ち合わせていなかった。
「もっとも、藤江君はひどく不満っていうか、そんなこと望んでいないって綺麗ごとを言っていたけどね。口先だけならなんとでも言えるわ」
あの子はそういう人間だ。そして綺麗ごとなどではなく、本気でそう考えている。
すると。
「それはあくまでもあなたの主観です。彼はそんなこと、本当に少しも望んでいなかった」
和泉が再び口を開いた。
「子供は親の心なんて知らないものよ……」
「いいえ、そういうことではありません。彼はただ己の良心に従っただけです」
「良心……?」
「たとえどんなに許せない相手がいたとしても殺人を犯す、まして誰かに依頼するなんて……そんなことは間違いだと」
冴子は押し黙った。
「ちなみに雨宮さん。まさかとは思いますがこの期に及んで、お嬢さんの仇であるあの3人組を死に至らしめてくれた相馬氏を、裏切るようなことを言いませんよね? 自分は少しもそんなことを望んでいなかったのに、彼が勝手にやったことだ……などと」
冴子は虚をつかれたような表情をする。そうして小さな声で、そんな訳はないと呟く。
「要君は……私が一番苦しかった時、助けてくれた人なのよ……」
もしかしてそれが夫との離婚の理由になったのではないだろうか。
北条はそう思ったが、口には出さなかった。
そんなこちらの疑問に答えるように、彼女は続ける。
「主人は、あの人は出世にしか興味がない人だったわ。私のことは単なるお飾り。娘のことだって、ほったらかしても平気な人だった。だからよ。スキャンダルを嫌がってさっさと家を出て行ってしまったのは……」
確かに一度大きな事件が起きると加害者だけでなく、被害者の方にもマスコミが土足で踏み込んでくる。あることないことを書かれ、プライバシーの侵害など当たり前。
もしそれを嫌がったのだとしたら。
それが真実ならロクでもない男だと思ったが黙っておいた。
「もしかして、お嬢さんの事件に関する資料を隠したのは……?」
「きっとあいつよ、元旦那。私、言ってやったもの。娘の仇を討ってもらった。いずれ公になったら、あなたの名前も表に出すって」
すると和泉は、無神経なこの男にはめずらしく、言いにくそうに訊ねる。
「……こんなことを訊くのは失礼ですが、どうして相馬氏とその……」
「結婚しなかったのかってこと? 私はそれを望んでいた。でも彼は……どうせ知っているでしょう? 父親のこと。警察官は身内に犯罪者のいる人間と結婚はできないって」
ああ、そういうことか。
やはり相馬は冴子を愛していたのか。
彼女もまた彼を……。
「だから私、別に誰でも良かったの。向こうが結婚を申し込んできたから、私は素直に頷いただけ。それでも生まれた娘は可愛かった……」
わからない。
彼女の気持ちが理解できない。
恐らく一生。
「それに彼、今はもう……半身と呼んでもいいほどの相棒を見つけたらしいわ」
冴子は苦笑する。
「半田遼太郎、ですね?」
「あの子は不思議な子よ。何て言うのかしら……人間として根本的な何か、が欠けているみたいね」
北条もそれには同意する。
そうでなければ無関係な人間を、まして子供を殺したりなどできるはずがない。
「それでいて妙に人懐っこくて、相手に警戒心を抱かせにくい。諜報部員に向いているかもしれないわね」
あの青年がもし、警察官になっていたら。
きっと自分の良い部下になっていただろうと思う。
考えても仕方のないことだけれど。