160:北を目指せ
とは言うものの。
周に怪我を負わせる訳にはいかない。
互いに一定の距離を保ちつつにらみ合う状態が続く中、和泉の眼に、こちらへ走ってくる北条の部下2名の姿が見えた。
彼らに周のサポートを頼んで一緒に人質捜索に加わらせ、自分は犯人達の注意を引き付けておく。
かなり手強い敵だが、それが最善だ。和泉はそう判断した。
南へ向かえ。
そうサインを送ろうとした時だ。
周の口から予想もしていない台詞が飛び出してきたのは。
「雨宮教官。俺、たぶん……亘理巡査のいる場所がわかりました」
ハッタリだろうか?
いや、彼はそういうタイプではない。恐らく何かしら根拠があるのだろう。
「ふーん……?」
女性教官も半信半疑のようだ。
周は楯で手元を隠し、和泉にサインを送ってくる。
人差し指を天に。それは北の方角を意味する。
和泉は視線だけで北を確認した。観覧車やメリーゴーランドなど、様々なアトラクションがあるエリアだ。
「……周君。あそこにHRT隊員が2人いるの、わかる?」
周にだけ聞こえるようにこそっと和泉は囁く。「犯人達は僕が足止めしておくから、合図を出したら彼らに合流してそっちへ向かって」
「ねぇ藤江君。どこにいると見当をつけたの? その根拠は」
3、2、1……。
和泉は周の背中をポンと押す。
新任巡査は北へと走り出す!!
「待ちなさい!!」
女性教官の顔色がはっきりと変化した。当たりだ。
「聞こえないの? 命令よ!!」
「誰が、誰に命じるんです? あなたはもう彼の教官ではない」
和泉は雨宮冴子に警棒の先端を向けた。「僕は、相手が女性だからとか……そういう遠慮はしません。あなたはただの犯罪者だ。それに」
相馬要が少しずつ間合いを詰めてくる。
「僕の可愛い周君の心を深く傷つけた。それは重大な罪ですよ」
和泉の元にも応援が駆けつけてくれたのは、そのすぐ後だった。
名前は忘れたが彼も北条の部下だ。確か赤だか黒だか。
女性教官は彼らに任せることにして、和泉は相馬が前触れなく繰り出してきた一撃をかわした。
大きな声を出すでもなく、相馬要はただ無表情に淡々と、ナイフと足技を交互に使ってくる。
背丈は北条と同じぐらいだろうか。長い手足を使って繰り出される攻撃にはスピードもパワーもある。
何か格闘技の経験があるのだろう。
刃先を避けたすぐ傍から、蹴りが襲ってくる。
避けたつもりが、ところどころ防具に傷がつけられていることに気づき、和泉は戦慄を覚えた。
その辺にいるヤクザやチンピラとは訳が違う。
しかし……と思う。
腰に拳銃を提げておきながら、なぜ使用しないのだろう?
一緒にいた女性教官も銃口を向けはしたが、引き金に指をかけてすらいなかった。
それならそれでいい。
こちらも銃撃戦は不本意だ。
まだ出世をあきらめたくはない。
現在、和泉達がいる場所は所轄署にある柔道場と同じぐらいの広さで、平坦な場所である。土の上に色とりどりのダリアが規則正しく並べられている。上空から見ると絵になっているらしい。
猫をこよなく愛するこの男性はもしや、花も愛でるのだろうか。
いや、と思い直す。先ほどは躊躇いもなく松や桜の枝を切り落としていた。
ふっ、と、ナイフの切っ先が右頬すれすれを掠める。
考えごとをしている余裕などない。和泉は警棒を握り直した。
その時、1つだけ気付いたことがあった。
相馬の瞳に微かな怒りのようなものが見えたのを。
※※※※※※※※※
ビアンカのことは地元の庄原東署地域課員に任せ、拘束した男達も一緒に引き渡しておいた。古川は鑑識作業のため、現地に残るという。
世羅高原に到着した聡介と黄島は、北条が指示した場所に向かった。
先ほど目的地まであと10キロほどの地点で、無線機から小学生の少女は無事に保護されたとの報せが入った。
ひとまずホっと胸を撫で下ろしたが、人質はもう1人いる。
急がなければ。
「確か、北西3キロ、東口ゲート付近って……」
聡介が呟いた時、
「……何か、うめき声のようなものが聞こえませんか……?」
と、黄島。
え? と、聡介が彼の方を見た時。何か小さな影が素早く走り去って茂みに身を隠した。
ここはまだ野生のイノシシやタヌキなどが現れるような場所だ。いずれもできることなら出くわしたくない。武器を持った人間も充分恐ろしいが。
茂みの向こうから光る目がこちらを見つめてくる。
「にゃあ!!」
そしてなぜか猫の鳴き声が。
「……猫?」
黄島が呆気に取られた声を出す。
それからするり、と姿を表したのはやはり猫。
「さば……?」
銀色の毛に黒い縞模様。首に巻いてあるリボンは……聡介はそれが自分の飼い猫ではないかと考えた。
すると、さばと思われる猫は、こちらに背を向けて走り出す。
「待て!!」
一歩踏み出そうとした聡介だったが、万が一の危険を考えて留まった。
すると黄島が、
「……自分が行って様子を見てきます。人の声も聞こえたようですし」
「なら俺も一緒に行く。今のはたぶん、うちの猫だ……」
彼は何も言わなかったが、目がやや『あきれた』と言っているように見えた。
さばの後を追いかけること100メートルほど、すぐ近くからうめき声が聞こえた。
「……うぅ……」
その声に聡介は聞き覚えがあった。
「リョウ?! リョウなのか!!」
「おじ……聡介さんっ?!」
やはりリョウだった。その傍らにはさばが。
猫は地面に仰向けで横たわっている青年の肩に頭を擦りつけ、にゃあにゃあ鳴いている。
彼の両腕は手錠で固定されており、顔いっぱいに汗を浮かべていた。
「どうしたんだ、しっかりしろ!!」
急いで近付こうとした聡介を、黄島が止めた。
なぜ? 目だけで問うと相手は、ゆっくりとリョウに近付き、身体検査を始める。
「……名前は?」
黄島の問いかけに対する答えはない。
「半田遼太郎、と言うのはお前か?」
その代わり、
「聡介さん、お願い!! 僕を要さんのところに……連れて行って!!」
「要さん……?」
「足の骨を折られて……歩けないんだ」
「確かに、骨が折れているようです」
リョウの足に触れた黄島がこそっ、と聡介に耳打ちする。
さばが足元にまとわりついてきた。
聡介は猫を抱き上げた。
「聡介さん……」
猫のような瞳は今にも泣き出しそうだ。
「怒ってるでしょ……? どうせもう、全部いろいろ見抜いてるんだよね」
さばは地面に降りて、心配そうにリョウの足元をウロウロする。
聡介は彼の身体を抱き起こした。
「ああ、怒っている。当たり前だろう」
リョウは気まずそうに目を逸らす。そうしてひくっ、と引きつったような声が聞こえた。
ぶたれると思ったのか、きつく両目を閉じる。
しかし。
予想していた衝撃がこなかったせいか、彼はうっすらと目を開けた。
聡介は彼の双眸に映る自分の姿を見つめた。
彼の目に自分はどう映っていたのだろう?
お人好しでバカな刑事だと、笑っていただろうか。
「なぁ、リョウ。俺には全部、本当のことを話してくれないか?」
「……そうしたら叱られるでしょ?」
子供みたいなことを言う。
というよりも、説教で済む話ではない。
この子は人間として大切な【何か】が欠落している……。
それでも。
「ああ、そうだ。でも……今はお前のことを責めたりはしない」
驚きにリョウの目が見開かれる。
「なんでだろうな? ものすごく腹が立つのに、どうしても嫌いにはなれないんだ。俺はきっとものすごく鈍いか、どうしようもなく頭が悪いんだろう」
自分でもあきれるほどだ。
「ただ……教えてくれないか。俺が知りたいのは、訊きたいのは……お前の本当の気持ち、本音だ。正直に話してくれ、何もかも」