152:一筋の光
倉橋が助けを求めて縋った相手。その人物が【黒い子猫】に依頼を出し、それが受理されたのだろう。
いや、正確には。
彼が頼り、縋った相手が闇サイトを運営するメンバーの1人だったのだ。
「護があの日……土曜日の昼、猫を引き取りに行くって言ったのは……つまり?」
察しの良い彼は多くを語らなくても、自分の中で結論を出したらしい。
「彼は、周君があのままでは富士原という教官に殺されてしまうと考えたらしい。そこで助けを求めて教官室へ飛び込んだ。そこにいたのは雨宮という教官……」
周は悲しそうな顔をする。
「雨宮教官が、そんな……」
しかしすぐに他のことに思い至ったようだ。
「ねぇ、まさか……昨日、栗原と谷村が帰って来なかったのって……?」
両名とも現時点では生死不明だ。恐らくどこかで遺体になっている。でも今は、黙っておいた方がいいだろう。
「その2人は富士原って言う教官と手を組んでいた可能性がある」
「可能性じゃないわ、事実よ」
担当教官が言うのだからそうなのだろう。
「学生2人については今のところ、まだどうなっているのかわからない」
周は青い顔でこちらを見上げてくる。
「じゃあ、富士原……教官は?」
和泉が答える前に北条が口を開く。
「死んだわ」
びくっ、と周は震える。
「昨日の夜、家に爆発物が届けられたんですって。一瞬よ」
「どうしてそんな……!!」
この基地局には他のHRT隊員も乗っている。だが、彼らはそれぞれ自分の仕事に忙しい。
周の叫ぶような問いかけに振り向く者は誰もいなかった。
「どうして? そんなの、皆がそう思っているわ。どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのか、どうしてあの子が自殺するまで追い込まれなくてはいけなかったのか、どうして警察は何もしてくれなかったのか、ってね」
周は黙り込んだ。
「アタシ、あの時に例の猫カフェで言ったわよね? あんたにあんなひどい怪我をさせた奴に、復讐して欲しいって。自らの手を下すには失うものが多すぎる。だから、代わりをしてくれる人を探してるって……それが遺族感情よ」
「……俺は、一度だってそんなこと……誰にも頼んでないっ!!」
「そうよ。亡くなった人間は誰1人、そんなこと言っていない。遺された家族がそう考えたの」
そうだろう。
和泉は拳を握りしめた。
もし、自分の大切な家族が犠牲者だったとしたら……?
万が一にも周が、自殺に追い込まれていたとしたら。
父が何か理不尽な理由で殺されたとしたら?
自分には力がある。
だから闇サイトになど依頼しない。
この手で必ず復讐を遂げることだろう。
警察組織に身を置く者だけに、捜査方法、やり方はよく知っている。
だからこそ上手く逃げおおせる自信もある。
周が、聡介がそれを望んでいるとか、そんなことではなく。ただ自分を納得させるため。
向こう側に堕ちてしまうのはいとも簡単なことだ。
そしてもう二度と、這い上がることはできないだろう。
ただ。
その時、果たして自分は『正気』を保っていられるのだろうか。
「ちなみに」と、北条の声で和泉は我に帰る。「富士原が殺されたのは、別にあんたのことだけが原因じゃないわよ。今までにあちこちで恨みを買うような真似をしていた……そういうことだから」
周は俯いてしまった。
「周君……」
和泉が彼の肩に触れようとしたその時、北条のスマホが着信を知らせた。
「栗原が見つかった?! 生きていたのね!!」
暗闇の中で一筋の光を見つけた気分だった。
周も顔を上げる。
「全員、無事なんですか?!」
和泉は思わず叫んだ。
「……そう、良かった。怪我人は誰もいないのね?」
良かった。
ほっとして和泉と周は顔を見合わせる。
「もうすぐ、世羅に到着する。聡ちゃん達は今どこ?」
他の隊員達も少なからずホッとした様子を見せたのがわかった。
「……それじゃ、そのまま急いで世羅フラワーパークに向かって!!」
「聡さんからはなんて?!」
「栗原は監禁されていたみたいだわ」
「監禁?」
「何のつもりか知らないけどね」
「そうだ、ビアンカさんは?! 無事なんですか?!」
和泉はそのことも気がかりだった。
「えっ、何? ビアンカさんがどうしたの?!」
周が強く反応する。そうだ。彼女は彼の大好きな姉の親友だった。
「大丈夫。ここぞって言うタイミングで、救出に成功したらしいわ」
ほっとした。
彼女に万が一のことがあったらと、実は気が気でなかったから。
「良かった……」
「ねぇ、和泉さん、ビアンカさんに何があったの?!」
安心したら余計なことを言う元気が出てきた。
「住宅街にあらわれたイノシシは無事、警察の手によって捕獲されたってとこかな……」
周が頭の上にたくさんの「?」を飛ばしているのを横目に、和泉は北条の方を向いた。
「しかし……北条警視。帝釈峡の方は、2人だけで同時に行うには少し、無理がある作戦ですよね?」
そうね、と答えて彼は前髪をかきあげる。
「たぶん……あの2人には他にも仲間がいる、そういうことなのよ」
あの都築と言う自衛官が言っていた。
相馬のことを慕う人間は多かった、と。
彼が一声かければ、無条件で動いてくれる人間が複数いたに違いない。
「ねぇ、栗原が見つかったって……そしたら、谷村は?」
「一緒にはいなかったらしいわ」
周は心配そうな顔になる。
どうしてこの子は、と和泉は思わず笑いそうになってしまった。自分を苦しめる原因を作った人間のことを心配するなんて。
彼の思考回路を犯人達は理解することはできないだろう、永遠に。それでいい。
それでも周の存在が、奴らの心を少しでも動かしてくれることを祈るばかりだ。
基地局は県道56号線を北上する。
「もうすぐ目的地よ」
北条の声に、和泉はいったんは緩んだ気持ちが再び張り詰め出すのを感じた。
「いい? 無理だけはしないで。必ず指示に従うこと」
「……はい」
「緊張してる? 周君」
周は頷き、そして。
「俺は、生きている」
何を言い出すのだろう?
和泉は怪訝に思ったが、静かに続きを待つ。
「傷つけられたからやり返す。そんなのじゃいつまで経っても悪循環は、憎しみの連鎖は断ち切れない。どこかで誰かが止めないと」
「周君……」
「そりゃ、俺だってあの教官にもあいつらにも、ものすごく腹は立った。でも。俺は負けなかったし、決して逃げなかった。そのことは俺にとって、生涯誇れる『事実』なんだと思う」
こんな時だというのに、和泉は思わず微笑んでしまう。
やっぱりこの子はすごい。
惚れ直してしまった。
「奴らの前で言ってやりなさい、その台詞」
北条の顔も少なからず和らぐ。
「あんたを一緒に連れてきたのは、アタシ達にとっては大成功。でも奴らにとっては間違いなく、痛恨のミスね……」