149:他部署の若手に励まされる
悲しみと怒りと焦り、それらすべてが揃った時、人はこんな表情になるのだな。
バックミラーに映る無表情な自分の顔を見つめながら聡介は思った。
ビアンカの暴走ぶりももちろんだが、何よりもリョウのことだ。
せらやんを名乗る人物からビアンカの元に帝釈峡へ向かえ、との連絡があってから間を置かずに、警察学校から見学に来ていた小学3年生の少女と、女性巡査1人が拉致され、やはり【せらやん】から北条のスマホに要求を告げる電話がかかってきたことを受けて、ただちに特別捜査本部が設置された。
捜査1課長、長野警視の采配はこうだ。
犯人の本拠地はおそらく世羅。帝釈峡の方は陽動作戦かもしれないが、何か大きな物証がある可能性もある。ビアンカの身に危険が及ぶことも考えて少数精鋭で向かえ。
北条警視率いる特殊部隊HRTは要求のあった藤江周を連れて世羅高原に直行。和泉は北条の指揮下に入り、人質救出に向かうよう命じられた。
息子以外の直属の部下も全員、世羅へ向かっている。
帝釈峡へ向かうグループのリーダーは聡介であり、同行してくれたのはHRT隊員の1人である黄島巡査部長と、鑑識員である古川巡査部長である。
もし現場に犯人の一味がいて、格闘になった場合の戦闘要員と、証拠品の収集のためという意味合いだ。
管轄署である庄原東署には既に応援の連絡が行っているらしい。
中国自動車道は今日も空いている。
「高岡警部……大丈夫ですか? 顔色が……」
運転席の黄島が話しかけてくる。
「大丈夫だ、気にするな」
たとえ熱があろうと、身体のどこかが痛むとしても。
今は一刻も早くビアンカの安否が知りたい。
「あの……」
今度は古川が少し言いにくそうに声をかけてきた。
「なんだ?」
「あのサバトラ猫ですけど、どういう経緯で飼うことになったんですか?」
妙なことを訊くな、と思ったが聡介は答える。
「買い物に行った店先で拾ったんだが」
「誰かに押し付けられた訳じゃなくて?」
その時のことを思い出してみる。
見ず知らずの少女に話しかけられたのは確かだが、別に無理強いされた訳ではない。
なんとなく乗せられた……そんなところだろうか。
「あの首のリボンは最初からついていましたか?」
「いや、あれは……」
そうだ。リョウがくれたものだ。
嫌な予感がする。
「何か、おかしなことがあったのか?」
「もう外してありますけど、盗聴器がついていたんですよ……それも、すっごくわかりにくいように細工がしてあったんです」
知らなかった。
「……そうだったのか」
聡介は愕然とした。
そのことに気付かなかった自分の迂闊さもそうだが、何よりも。初めから何もかも仕組まれていたことだったのか……と。
だけど。
頭に浮かぶリョウとのやりとりは、決して不愉快な記憶ではない。むしろ野良猫に懐かれたような気分だった。そんなふうに思えてしまう自分はおかしいのだろうか。
それでも。
見事なまでに騙されたのは隠すことのできない事実だ。
「俺はきっと、刑事失格だな……」
「なんでです?」
「そのリボンは、犯人からもらったものなんだ」
他部署の若い2人に気を遣わせるような発言をしてしまった。もし、この場に和泉がいたら彼は何と言っただろうか?
「あの【猫の手】って書いてあったライトバンの持ち主ってことですか?」
「……ああ」
自己嫌悪に陥る。
この事件が無事に終わったら、退職届を書かなければならないだろうか。
本当は周への引継ぎ期間が欲しかった。彼が刑事になれるようになるまで、どんなに頑張っても2年以上は必要だ。
あのバカ息子の扱い方なら、彼もよく知っているかもしれないが、自分しか知らないこともいろいろある。
「……詳しいことはよく知りませんけど」
黄島が呑気な声で言う。「高岡警部の考える、刑事である資格って何ですか?」
「……資格?」
「採用試験をパスして、刑事任用試験をパスして、警部にまでなった人が何を言ってるんですか」
「それは、あくまでも……」
「やたらめったら他人の動機や行動を疑うのが資格ですか? それだったら、人間不信な奴は誰だって刑事になれますよ」
そうそう、と古川も追従する。
「パンク……じゃなかった、黄島さんの言う通りですよ。完全な人間なんていないんですから、完璧に仕事のできる警察官もいません。体調が悪い時もあれば、上手く頭が働かないことだってあります。そんなの当たり前です。初めから何もかも全部見通すことができる奴なんて、この世に存在しません」
そうかもしれないが。
「それこそ高岡警部が、オレオレ詐欺に引っかかったとか言うんなら、さすがに引きますけど……」
黄島はやっぱり口の利き方をもう少し学ぶべきだ。
北条に伝えておこう。
そうかと思えば、
「捜査1課には高岡警部とウチの隊長が絶対必要ですよ。皆、言ってますもん。2人がいる限り、この県警の刑事部は大丈夫だって」
おどろいた。
それほど日頃から接触している訳ではない他部署の2人が、こんなふうに励ましてくれるなんて。
「ってことはですよ、警部は犯人と顔見知りってことですよね?」と、古川。
「ああ、そうだが……」
「だったら説得、できるかもしれないじゃないですか」
「あ……」
「え、だったら帝釈峡に向かうのはマズかったんじゃ?」
「いや、電話があるでしょ」
少しずつ気持ちが上向いてきたのを感じる。
そのことが顔に出ていたのだろうか、黄島が嬉しそうに、
「元気出してくださいよ。俺達、日頃はそんなに接触ないけど、さりげなく高岡警部のこと見てますよ?」
「そうそう。聞こえてくるのは基本、良い噂しかありませんでしたけど……全部真実だったし」
そうだった。
上官というのは、他部署の人員からも意外と見られているのだ。
「2人とも、ありがとう……」
※※※※※※※※※
あれからどれぐらいの距離を歩いただろうか。
観光客が足を運ぶであろう場所を既に通り過ぎ、森林と田畑しかなさそうな場所へと足を踏み入れてしまった。
近くにちらほらと民家はあるが、歩いている人はまったくいない。通りかかる車もゼロだ。
男達はまだ後ろをついてきている。
その時【せらやん】から着信が。
『今、どのへん?』
ビアンカは周りを見回した。目印になりそうなものは何もない。
「……何もないわ」
『あはは、そうだよね。電信柱に広告とかない?』
言われてみれば確かに。ちょうどすぐ目の前に電信柱があり、コンビニがここから1キロ先にあると書いてあった。
「コンビニが1キロ先に……」
『じゃあ、もうすぐだよ!! すごいものが見られるのは』
何なのかしら?
不思議に思いながらビアンカが歩き進めると、5メートルほど先にガードレールが破れている場所を発見した。
事故があったんだわ!!
急いで駆け寄ると崖下に車が一台、逆さまにひっくり返って引っかかっていた。そのすぐ下には川が流れている。
まさか中に、乗っていた人が……?
これが【すごいもの】なのかしら?
ビアンカは急いで119番にかけた。
「あの、今帝釈峡の……えっと、番地は……」
するとその時。
急に誰かに手をつかまれた。
さっきからずっと、後ろをついてきた男達だ。
ビアンカが振り返ると、髪を明るい茶色に染めた若い男が立っていた。
「てめぇ、サツの手先かっ?!」
「ち、違うわ!! 私は呼び出されて……!!」
「いいからこいつも連れて行け!!」
掴まれた手首を引っ張られた。
気持ち悪い。悪寒が全身を走る。
助けて、高岡さん!!
ビアンカの声はしかし音を発することなく、男の1人に口を塞がれ、消え失せた。
なんか妙な臭いを嗅がされた。
カバンが地面におちて、中身がばら撒かれる。
意識が遠のきそうになった瞬間、ビアンカは髪のリボンをほどいて地面に落としておいた。
サブタイトルそのまんまやん……(-_-)




