146:攻防戦
まるで査問委員会のようだ。円卓状に並んだ会議室で居並ぶ幹部達を前に、北条はただ一人で立っていた。
苦々しい顔で座っている上官達の顔と名前は広報誌などで知っている。
尾道の事件の被害者、その祖父である山西警務部長兼広島市警察部長も列席している。
北条はまず一連の事件の裏にある真相、つまり【黒い子猫】という闇サイトが執行した私刑である可能性が高いことを告げ、それから誘拐事件の対処について判断を求めた。
その回答は予想通りだった。
「犯人の要求を飲むことはできない」
「……なぜです?」
「なぜ、だと? 君のような末端の刑事にはわからんだろうけどね」
そう答えたのは山西警視ではなく、その腰巾着と名高い他の幹部である。「そもそも犯人の要求が間違っているからだ。亜斗夢君は通りすがりの卑劣漢に殺害されたという悲劇に見舞われた、それが真実だ」
「あなた方にとって都合のいい……ですよね」
「ほ、北条君っ!!」
青い顔で口を挟んだのは刑事部長だ。
「も、申し訳ありません!! 君、口を慎みたまえ」
「小さな子供にさえ容赦のない犯人達です。要求を飲まずに放置していたら、新たな犠牲者が出るだけです」
「そこを何とかするのが君の役目だろう?! 何のために毎年高い予算を組んで、ああ、本当に……使えんのぅ!!」
バンっ!!
北条は思わず机を叩いた。
「あなた方にとって真実とは、正義とはなんですか?!」
嫌な空気がその場を支配する。
「警察の面子ですか? そんなもの、犬のエサにでもすればいい!! 本当に大切なのは人の命です!! 真実から目を背けて、自分達に都合のいい事実だけを切り取って公表するから、こんな事件が起きるんです。犯人達の要求が金銭ならどうにかすることもできたでしょう。でも、彼らが求めているのは……」
やがて。
「……なんと言ったかね? 学生を1人連れて来いと……」
そう静かな口調で語りだしたのは警務部長だ。白くなった瓶を小指でかきながら、どこか他人事のような表情をしている。
「一度に全部の要求を飲むことは難しいから、できることから一つずつ……ってことでどうだろうね?」
その言い方はまるで、学生1人ぐらいなら万が一にも犠牲になってもかまわないだろう、そういうふうにも受け取れた。
ふざけるな、と北条が再び大声を出しそうになった時。
背後のドアが開く音。
「では、そうしましょう」
気がつけばすぐ右隣に小さな身体が立っていた。長野だ。
「要求の一つである、学生……藤江周巡査を特殊部隊に同行させ、犯人グループに接触させましょう」
北条は驚き、長野を見下ろした。
「ただし」
小柄な捜査一課長はよく通る声で言い放った。
「彼に万が一のことがあった場合は、あなた方全員が辞職する覚悟だということでよろしいでしょうな?」
「万が一って……そこは北条君の腕次第ではないのかね」
警務部長はやはり呑気に語る。
「そうですな。北条君であれば間違いなく人質を無事に救出し、大切な学生も守ってくれることでしょう。であれば。作戦が成功裏に終わった暁には、誤認逮捕と事件の裏にあった真相を公表すること……いかがでしょうか」
長野は幹部達を見回す。
「約束しかねるな」
そう答えたのは山西警視だった。
「残念ですが、山西部長。ネット上では既に、お孫さんの死は通り魔による悲劇などではなく、天罰を喰らったのだと話題になっております。さらに……このままでは下手をすれば、ひた隠しにしてきた妹さんの【事件】も公になる可能性がある。私としてもそれだけは避けたい。優秀な刑事の人生を、このまま最後まで穏やかに過ごさせたいのです」
県警ナンバー2の男は、身内の事件を掘り起こされたことで顔をしかめる。
「山西部長。どうだろう、ここは一つ……長野課長の言う通りにしては」
それまでずっと黙っていた県警本部長が告げた。
山西部長は顔色を変える。
「な、何を……?!」
「骨を切らせて肉を断つ……ではないがね。いっそ真相を公開した方が、県民感情としても納得がいくのではないか。批判やバッシングは覚悟の上だ。その潔さが却って好感を生むのではないかね」
「あ、あんたは腰かけのキャリアじゃけん!! 任期が来ればさっさと次の土地に異動して、もうここであったことなんて忘れることができるだろうよ!! でも、ワシはもうここが最後なんじゃ!! 再就職先にも影響が出る!!」
それが本音か。
北条は強く拳を握りしめた。
許されるのならば、殴りつけてやりたい。
「本部長、それでは……」
「ああ、長野課長。君の言う通りにしよう」
「確かに承りました」
そう言って彼は小型のレコーダーを掲げた。
「警察官である前に、男たるもの……二言はないってことでよろしいですな?」
ザワザワ。
幹部達は顔を見合わせる。
北条は踵を返し、それからやはり振り返った。
「藤江周巡査については、私が全力で保護します。そして」
敬礼。
「人質も必ず救出してみせます」
※※※※※※※※※
急に県警本部に呼び出された。
というよりも、突然学校に迎えが来て、連れて行かれたという方が正しいだろう。
周は戸惑い、緊張しながら初めて足を踏み入れるビルの中を歩いた。
「……これに着替えてきて」
担当教官が警備実施訓練の際に使う装備一式を渡してくる。
その表情はいつになく強張っていた。
案内してあげて、と声をかけられたのは以前、一度だけ会ったことのある北条直属の部下の筋肉マンである。
「あの、一体何がどうなってるんですか?」
亘理玲子と、小学生の少女がいなくなってしまった件に関係があるのは間違いないだろうが。詳細がわからない。
「まだわからない」
「わからないって……」
「俺達も指示を待っているところだ」
学校の訓練のおかげですっかり着替えが早くなった。
そうして気がつけば、以前見たことのある基地局と呼ばれる、大型車両に乗せられていた。
普通の車には搭載されていない、いくつものモニターや通信機が揃った複雑な設備環境。
学生時代に巻き込まれた、人質立てこもり事件の際に見たのと同じ光景だ。
「向かう場所は世羅高原、急いで」
「そこに、亘理巡査とあの女の子がいるんですか?!」
周の問いかけに返答はなかった。代わりにぽん、と後ろから誰かに肩を叩かれる。
「……和泉さん」
やはり前にも見たことがある、それは非常事態に着るはずの黒いスーツ。
腰には拳銃と警棒。
「君のことは必ず、僕が守るから」
ぐっと肩を掴まれる。
「何がどうなってるのか、全然わからないよ……」
「本番よ」
「……え?」
「訓練でも何でもない、実戦よ」
どういうこと? と、周は和泉の顔を見上げる。
しかし彼もまた厳しい表情で押し黙っている。
指定された世羅高原と言う場所がどこにあるのか、周はそれすら知らずにいた。
高速道路をひた走り、そうして見覚えのある尾道の標識を確認した後は一般道に降り、ひたすら北上する。
向かう途中で周は現在進行中の【事件】について詳細を聞いた。
これは訓練でもなければ授業の一環でもない。
本当の誘拐事件だ。
ドキドキと、心臓が強く高鳴り出す。
何度も身につけたはずの防具がやけに重く感じられる。
「どうして……」
周は思わず疑問を口に出した。
「なんで、俺なんですか?」
答えは期待せずに、ただ不思議に思っただけだ。
「周君、こないだ……どうしてあの猫カフェに行ったの?」
急に和泉から問いかけられ、周は微かに混乱した。
そのことが何の関係があるのか。
「え? どうしてって、割引券をもらったのと、護が……実家で飼う子猫を引き取りに行くっていうから」
「【黒い子猫】ってサイト、聞いたことある?」
「何それ?」
和泉はなぜかほっとした表情を見せた。
妹の事件って何?
詳しいことは過去作を読んで確認してエビ?(雑……)