145:迷探偵は道に迷う?
県警本部は一気にあわただしくなった。
和泉はまさか再び、このスーツに袖を通すことになろうとは思ってもみなかった。
犯人グループは元自衛隊員である。
火器や銃器の扱いを熟知していることだろう。ということは、こちらも相応の備えをしてかからなければならない。
腰に提げた拳銃と警棒、身を守るための重い装備一式。
いよいよ本当の意味で【闘わなければ】いけない時が来たのだ。
今、北条は上の階で幹部達と違う意味で【闘っている】ところだろう。であれば自分としては、今は指示を待つことしかできない。
アサルトスーツに身を包んだ和泉は、急遽設置された捜査本部の隅で、パイプ椅子に腰かけていた。
やけに時間が長く感じられる。
犯人がなぜ周の身柄を要求してきたのかわからない。
そして上の反応もだいたい想像できる。
要求を飲むことはできない。
そんなことをすれば警察の面子丸潰れだ。
まして現時点で【実習生】である学生を現場に出すことなど、何かあったら誰が責任を取るのか。
とりあえず様子を見ろ。
次の指示を待って、こちらに有利になるよう交渉しろ。
交渉人の腕の見せ所だろう。
そんなところだろうか。
「和泉さん」
ぽん、と肩に手を置かれて和泉は顔を上げた。守警部だ。
「私は誘拐された少女の、被害者家族の元に向かいます」
緊張しているのか、額に汗を浮かべている。
「そうですか……適任ですよ」
「どうか、くれぐれも無理をなさいませんように」
そう語りかけてくれた彼の目には心配の色が浮かんでいた。
ここ何日かずっと一緒に行動してきた彼との間に、しっかりと築かれた絆を感じつつ、和泉は微笑みかけた。
「ありがとうございます。守警部こそ、お気をつけて」
自分の部下を伴い走って行く守警部の後ろ姿。
その背中を見ていて和泉は考えていた。
刑事にしては柔らかな物腰、そして丁寧な口調。
それでいて人脈の広さによる様々な情報収集力。
決断力の速さは聡介にも決して負けていない。
そう長い間ではなかったが、彼と行動を共にした時間は貴重だった。
こういう人がいるのであれば、この組織もまだ捨てたものではないと。
※※※※※※※※※
帝釈峡はまさに秘境と呼んでよいのではないだろうか。
高速道路を降りて一般道を走り始めると、視界に入るのは緑一色。
見渡す限りの田畑と森、そして竹林。
カーブの続く山道を、慎重にハンドルを切りながらビアンカは目的地を目指した。行き交う車はほとんどいない。紅葉にはまだ早いせいだろうか。
昼間だというのに、生い茂るスギの木が太陽光を遮っている。車一台がようやく通れるかという狭い道を通り抜けると、やっと少し広い道路に出た。
ふと考えた。
あの日、御堂久美はいったいどういう交通手段でここに向かったのだろうか。
タクシーを利用したのなら、警察がとっくにタクシー会社を当たっていることだろう。
よく読む探偵小説には、そうやって刑事達が足を棒にして収集した情報を、1人の刑事がさらっと私立探偵に流した挙げ句、真相を言い当てるというストーリーが多い。
安楽椅子探偵と言うやつだ。
ビアンカは探偵小説が好きだが、本職の刑事がこう言った話を好まないと聞いたことがあるが、その理由が少しだけわかった気がした。
情報を得るのには大変な苦労が伴っているから。
おっと、そんなことより。
御堂久美の結婚式の日。
招待された同僚たちだけがドタキャンしたのなら、多少の気まずさはあったかもしれないが、式は進行したことだろう。
ところが。和泉の話では新郎さえ姿を見せず、他の招待客も全員あらわれなかったという、まさに異常事態だったらしい。
そんな時、もし自分だったら……と、考えてみる。
もし式の当日になって新郎が現れないとしたら、つながるまであきらめずに電話をかけるだろう。自宅にも行ってみる。
それでもダメだった、そうしたら?
私立探偵に依頼……するだろうか。あるいは。ネット上に情報を拡散して、この人を探しています、と呼びかけるだろうか。
ありえない。
御堂久美は非常にプライドの高い女だ。
自分の恥を公の場所に晒すはずがない。
他に考えられる可能性はないか。ビアンカは必死に頭を働かせた。
そして不意に思いついたことがあった。そうだ、誰かが花婿を名乗って彼女をここに呼び出したというのはどうだろう?
かく言う今の自分が【せらやん】を名乗る謎の人物からの電話で、こうして帝釈峡まで出向いているのだ。
それにしてもどういうことだろう?
相手は聡介のことを知っていた。
そして自分が彼とつながりがあることも。
共通の知人なんて、他に誰かいただろうか?
曲がりくねった道路をひたすら走り、ようやく開けた場所に出た。
そこは観光客用の駐車場や土産物屋が軒を連ねるちょっとした商店街のようだ。平日の昼間だけに、閑散としている。
ビアンカが車を駐車場に停めた時、朝の電話番号から再び着信が。
『せらやんだけど、今どこ~?』
「……帝釈峡に到着したけど?」
電話の向こうで聞いたことのないポップな音楽が聞こえてくる。
どこかの遊園地だろうか?
『速かったね~、あのね。23号線をずーっと神石高原町方面に歩いて南下してみて。そうしたらすごいもの、見つかるかもしれないよ』
「すごいものって何?」
そう言えばかなり昔、帝釈峡のある庄原から神石高原町の間に【ヒバゴン】とかいう未確認生物があらわれる、という都市伝説を聞いたことがあるが。まさかそんな……。
『そんなの、教えちゃったらつまらないでしょ。ところで警察に連絡した?』
「し、してないわよ!!」
咄嗟に嘘をついてしまった。
どうしよう?
確かに、聡介に連絡はした。
帝釈峡に向かう途中で電話をしたのは、まずかったかもしれない。
そこを動くな、じっとしていろ、と言われたけど……。
平気へいき、なんて調子に乗ってここまで来てしまった。
『ふーん、じゃ、また連絡するね』
電話は切れた。
まさか。
すごいもの、って誰か、知っている人が誘拐されたとか?!
突然、不安に駆られたビアンカは、急いで友人の番号にかけ直した。
『ビアンカ? どうしたの』
電話の向こうの音に耳を澄ませる。
猫の鳴き声が聞こえるぐらいで、他に変わった音はしない。
「……なんでもないの。ねぇ、宮島の紅葉もすっごく綺麗だけど、帝釈峡もきっとステキよ。産まれた子供が少し大きくなったら、一緒に行きましょう?」
『ふふっ、ビアンカったら気が早いわねぇ』
良かった。美咲は無事だ。
となると、いったい何がどうなっているのだろう?
怖い気持ちと、知りたい!! という強い好奇心がない交ぜで、嫌な汗をかいている。
それからビアンカが言われた通りに歩いていると、後ろから邪悪な気配を感じた。
あからさまに振り返るときっと不審に思われる。幸い、ふと顔を上げた先にカーブミラーが設置されていた。
男性の3人組。
普通のカジュアルな格好をしているが、醸し出す空気が明らかにカタギではない。
1人は革ジャンにTシャツとジーパンで、明るい茶髪。耳に7つのピアス。
すべての指に銀細工の指輪がはまっている。
見るからにヤンキーである。
もう1人は一見サラリーマンふうだが、ノーネクタイ。
何日も散髪に行っていないのであろう長い髪がだらしない。
最後の1人はわかりやすかった。
今時、モヒカン刈りなんているのね……とビアンカは思った。あれは絶対に『ヒャッハー!!』と笑い出すに違いない。
季節感を無視したノースリーブのベストに、膝や腿のあちこちが破れているジーンズをはいている。
ビアンカはスマホをしっかりと握りしめた。
大丈夫。何かあればきっと、聡介が助けてくれる。
そう自分に言い聞かせて歩き進める。
ヒャッハー!!(笑)
守警部こと、守一さん、ありがとうございました……って、まだ登場しますけどね。