141:狭い世間ですみません
誰も何も言わずに古川の話に耳を傾けている。
「そもそも、なんでそんな話を? そう思って訊いてみたんです。俺も、彼女のお嬢さん……円香さんの事件のことは当然知っていましたけど……」
「待ってくれ、お嬢さんの事件って言うのは?」
聡介には話が見えない。
「ああ、すみません。今から何年前だっけな……その似顔絵の女性の娘さんが、ストーカーに殺害される事件があったんですよ」
「そんなことが……」
知らなかった。
初めて会った時、過去に何か悲しい事情がありそうだ、とは少し思った。
でもまさか、そんなことがあったなんて。
「所轄署がホシを挙げたからって、もうふっ切るんだって言っていたのに……全然、そうじゃなかったんです」
「所轄の捜査に納得がいかなかったということか?」
「というか……もっと他に、裏で誰か糸を引いてたんじゃないかって」
その場にいた刑事達は全員、顔を見合わせる。
「それが、例のエンスタ女子3人組だったと睨んだ訳ですか……?」
と、守警部。
「恐らくそうでしょうね。確か、佐藤ミズキさんも仰っていましたよね。円香さんの事件に関して『あいつが勝手に暴走しただけ』とか『ある程度は、そういうことになるかもしれんって予想しとったじゃろ』と、あの3人が話していたと」
「誰なんだ? その、佐藤ミズキさんっていうのは」
「似顔絵の女性……雨宮冴子さんのお嬢さん、円香さんが働いていたカフェのオーナーです」
どうして報告しなかったんだ、と一瞬だけ和泉を責める気持ちが湧いたが、よく考えたらお互いにそんな余裕がなかったのも確かだ。
黙って続きを待つ。
「実は俺もその時初めて知ったんですけど、お嬢さんが学生時代にイジメにあって、ほぼ追い出されるような形で学校をやめたって……その時の首謀者がまた、娘さんに何かしたんじゃないかって。働いている店でそいつらに再会した、みたいな話を聞いたって言っていました……」
古川はそう、辛そうな表情で語る。
「彼女の推測は正しかったんですよ」
和泉が言い、全員の注目が彼に集まる。
「五日市埠頭で転落死した女性3人組は、石塚円香さんのお母さん……雨宮冴子さんにとって、間違いなく仇でした。イジメの被害に遭ったこともそうですし、他にもいろいろと彼女の心を傷つけるような行動を繰り返していた……」
「例えば?」
「聡さんは、エンスタ女子ってわかります?」
わからない。
「ネット上に可愛いお菓子と自分の写真をアップして、全世界に配信する一種の自己主張ですよ。承認欲求の発露と言ってもいい。石塚円香さんはパティシエ……菓子職人を目指していた人でした。彼女は美味しいお菓子をお客さんに【食べて】欲しかったんです。写真を撮って欲しかった訳じゃない」
そう言えば、次女の梨恵が言っていたことを思い出す。
食べ物の撮影を禁止にした理由。
写真を撮るばっかりで食べないくせに、冷めてから美味しくないって文句をつける。
「食べずに、写真ばっかり撮ってたっていうことか……?」
そういうことです、と和泉。
「それは、確かに……不愉快だっただろうな」
「言ってみればマナーというか道徳の問題ですからね。法律で裁くことのできない分野です」
聡介は溜め息をついた。
「挙げ句、彼女はストーカーにつきまとわれて殺された。結論だけ申し上げますが、その原因を作ったのは間違いなく、五日市埠頭で転落死した3人組です」
「その理由は……?」
「学生時代、石塚円香さんがイジメの被害に遭ったのは美少女だったからですよ」
「……なに?」
理解できない。
「あの3人組は、自分よりも優れた容姿の女性に異様なまでの嫉妬心を感じ、排除したがる傾向があります。具体的な裏付けもありますが、今は横に置いておきましょう」
どうしてそんなことで……?
聡介はそっちの方が気になってしまった。
「実は事件の起きるきっかけになった出来事があります。その当時、カフェで円香さんと一緒に働いていた若い男性がいたのですが、彼女達はその男性のことが気に入っていたようです。それなのに彼の関心は円香さんにしかなかった。そこで。3人組の1人が一応【交際】していた病気の男をけしかけたのです。彼女、あなたに気があるみたいよ……とね」
「それで、その言葉を鵜呑みにした男が、ストーカーと化した訳か?」
ストーカーにもいろいろなタイプがあるようだが、典型的な【誇大自信過剰型】に当てはまるのだろか。
相手がどんなに強く拒絶しても自分は好かれている、と妄想するタイプ。
「おそらくは」
そして、と和泉は宙を見つめて続ける。
「彼女達の殺害依頼は、黒い子猫に受理された……」
にゃん、とさばの声で全員が我に帰った。
「きっと彼女は、独自で事件の裏にある背景をいろいろと調べあげたんだと思います。何しろ現職の警察官ですからね。少しも難しいことじゃなかったと思います」
古川は辛そうな表情をして語る。
「俺も話に聞いただけですが、お嬢さんはとにかく……全部、自分の中にしまいこんでしまって、あまり本当のことを話してくれないと言っていました。お母さんは忙しいんだからジャマしちゃいけないって、そう言う妙な遠慮をする子だったって……」
『公務員は忙しいんだから』
あの夜、彼女がそう言っていたことを聡介は思い出した。
そう言う問題ではない。
きっと彼女自身も、そのことは嫌というほど理解していたに違いない。だからこそ余計に許せなかった。
娘を死に追いやった犯人は言うまでもなく、そう仕向けた3人組、そして自分自身。
「高岡警部から鑑定を頼まれたあのチラシとスケジュール手帳……そこから雨宮主任の指紋が出てきた時、なんか嫌な予感がしていたんです」
古川は辛そうな、かつ申し訳なさそうな顔で言う。
「そうして例のサイトのことを……俺も知りました。スケジュール手帳には、サイトの入り方が記載されていました。その手帳の持ち主が【おおみや】の娘さんだったって知った時、まさか主任が……サイトを運営してるんじゃないかって思いました。あの店には何度も通っていて、お嬢さんの桃子さんとも親しくしていたし……それこそ彼女も【いろいろ】あって、大変だったことを知っていたから」
世間は狭いというか。
なんと言ったらいいのか……。
「桃ちゃんはそんなもん、利用したりせん」
いつからそこにいたのか、長野課長が入り口のところに立っていた。
「あの子はそんな子じゃないんじゃ」
いつにない真面目な表情。
「それはもう聞き飽きた。だったら誰が御堂久美を殺してくれって依頼を出したのか、ズバリ言ってみろよ」
ガツンっ!! と、聡介はバカ息子の頭を思い切り拳骨で殴っておいた。
想像に難くない。というか、大宮桃子の父親以外に誰がいるというのだろうか。
課長もきっと同じように疑っている。
でも……彼はきっと【おおみや】の主人を庇いたいという気持ちが働いているに違いない。
不甲斐なくもあの時、彼が妻を失う結果になった事件を解決できなかった負い目。
そして何よりも。
自分に心を許してくれた娘がそのことを知ったら……。
もう亡くなっているとはいえ、想像するだけで胸が痛むことだろう。
「……全員、今日のところは解散じゃ。それこそ二次災害じゃないが、誰かが倒れても困るけぇな……もう休んでくれ。特にゆっきー」
北条が意外そうな顔をする。
「いつ何が起きてもおかしゅうない状態じゃ。一番頼りになるゆっきーがそんな顔色じゃ、他の皆も不安になるじゃろうが。ちゃんと眠って休んでくれ」
「……そうするわ」
確かに。
いつ何が起きてもおかしくない。
いざという時のために、今日のところは休もう。
明日のためにも。