14:空気を読む
神石庄原署を後にした和泉達は広島への帰途についた。
この件については聡介に報告した上で、引き続き調査を進めたいと考えている。詳しい話を聞けば彼もきっと、乗り気になるに違いない。
父はああ見えて何かと謎の残る事件に当たると、好奇心を刺激されて興味深々、身を乗り出してくるのである。
根っからの探偵気質と言うかなんというか。
一度『どうして?』と気になりだすと、とことんまで追求したくなる。
それは職業柄、とても重要なファクターだと思う。
そうは言っても。
何となくこの頃、父の様子が少しおかしい気がする。
突然、捨て猫を拾ってみたりして。
そんなに1人暮らしに戻ったのが寂しいのだろうか?
和泉としては世間体を憚ってというか、さすがにいつまでも居候の立場ではマズいと思って独立したのだが。
何だか急に、悪いことをした気分になってしまった。
そんな和泉の感傷をジャマするかのように、
「のぅ、彰。そんなに木についてた傷が気になるんか?」
と、長野が話しかけてきた。
「……まぁね」
聡介のいないところではつい、相手が課長だろうがなんだろうが、ぞんざいな話し方になってしまう。
「明らかに先端のとがった形状の……刃物か何かでつけられた傷でしたね?」
運転席の守警部が言う。
「あれじゃないんか、ジェイソン。13日の……」
「黙れ、ゆるキャラじじぃ」
「……聡ちゃんにチクってやるけぇの……」
好きにしろよ、と和泉は手元のスマホに目を落とす。
確かに、何か凶器を持っている人間に追われて足を滑らせ、転落した可能性だって否定はできない。
でもそうだとすれば、悲鳴なり助けを求める声が聞こえてもおかしくないはずだ。
一切の目撃証言も、怪しい音を聞いたという話も出ないとは。
まさか町全体で何か隠しごとでもしているのか?
「ところで、守警部。被害者の評判と言うか……交友関係はいかがでしたか?」
「まだ、そこまで詳しくは。ただ……いわゆるセレブと呼ばれる家柄のお嬢さんなので、いろいろな意味で人間関係は複雑でしょうね」
和泉は思わず鼻で笑ってしまった。
「はっきり言えばいいじゃないですか、金と地位を鼻にかけた、人間性と言う面では実に低レベルだったと……いたっ!!」
長野に頭を叩かれ、黙らざるを得なかった。
バックミラーに映る運転手の表情を見上げると、苦笑していた。
和泉は頭をさすりながら、
「だって、考えても見てくださいよ。招待客が全員、花婿さえボイコットするなんて。あちこちで恨みを買っていたことが原因だったと考えても無理はないでしょう? その婿さんだって、本当のところは……」
ちょうど車が中国自動車道に入った。
しばらくは真っ直ぐな道が続く。
眠気覚ましの為か、守警部は話を続ける。
「被害者は市内にある、某通信系会社に勤めていました。その子会社が運営するカスタマーセンターに出向していて、いわゆる管理業務を行う立場だったそうです。予定していたお相手も同僚の男性だったとか?」
「……ってことは、招待客のほとんどは自分の部下だったということでしょうか?」
「そこまではさすがに……でも、恐らくそうではないでしょうか」
となると、と和泉は調子に乗る。
「被害者に恨みを持っていた部下達が、結婚式をボイコットすることで、日頃の鬱憤をこの機会に晴らした……といったところでしょうか?」
2人とも同じことを考えていたのだろうか。
可能性としてはありうるが、まさかな……と。
しん、と車内は静まりかえった。
「だとしたら、恐ろしいですね……私も気をつけないと」
「いっちゃんは大丈夫じゃ!! 部下や後輩に慕われとるのをワシはよう知っとるけぇ」
「僕達だって、もし聡さんが再婚するってなったら、班の皆でお祝いするけどね」
その可能性は極めて低い気もするが。
「それで、今後どう動くつもりなんじゃ?」
気を取り直すように長野が言う。
「……ひとまず事故と他殺の両面から調べてみることにします。目撃情報と、交友関係のセンから洗い出しを初めて……」
「ワシらも手伝うどー!! 聡ちゃんに話して、1班全員で協力するけぇ。のぅ? 彰」
和泉はちらりと横に座る上司を見て、それから答えた。
「別に、こいつに言われたからではありません。個人的に興味をそそる事件だということと、守警部の人柄に魅かれたので、僕もお手伝いします……」
「ありがとうございます」
そうして広島市内に、県警本部に辿り着いた。
通用口の扉を開けるなり、
「公式の捜査ではありませんので……くれぐれも無理はなさいませんように、どうぞよろしくお願いいたします」
どこまでも丁寧な守警部はそう言い残し、自分の席に戻った。
※※※
「ただ今、戻りました~」
和泉が部屋に入ると、なぜかひどく重苦しい空気が全体を支配していた。
聡介はいつになくボンヤリしている。
というよりも、何か苦悩に耐えている、そんな表情にも見えた。
「……? 葵ちゃん。聡さん、どうかしたの?」
隣に座る若い刑事に声をかけると、
「それがよくわからないのです。班長が突然、部長に呼ばれて、戻ってきてからずっとあの調子で……」
何か文句を言われたのだろうか?
原因が自分だとするならば、今のところ目に余るような素行はしていないはずだが。
そうでないのなら、まったく見当もつかない。
少しそっとしておこう。
そこで和泉はとりあえず、鑑識課の部屋へ向かった。
※※※
笑顔を作るなんて簡単なことだ。
「じゃあ、なるはやでお願い」
「はい、かしこまりました!!」
郁美ちゃんって、いい子だな~。
きっと他にもいろいろ作業は山積みだろうに、ちょっと困った顔をしてみせて、作り笑顔でお願いしたら即これだもの。
チョロイもんだなぁ。
こんなことを口に出したら、間違いなく全国の女性を敵に回すことになるだろう。別にいいけど。
ところで彼女、あれから他に誰かいい人、見つかったのかな?
和泉は帝釈峡の事故現場から持ち帰った遺留品を鑑識課に持ち込み、鑑定してもらうよう頼んだ。なるべく早めに、と。
お礼は自販機の缶コーヒーでいいかな。
和泉は捜査1課の部屋に帰る道を歩きながら、留守にしている間にいったい、聡介に何があったのかを考えていた。
あの表情はただごとではない。
もし自分の部下に関することで『何か』あったのだとしたら、父の視線はその相手に注がれていることだろう。でもその眼はむしろ、宙を見ていたような気がする。
と言うことはおそらく……自分の家族に関することだろうか。
あるいは聡介自身のこと。
和泉は自動販売機で父の好きな紅茶を購入し、捜査1課の部屋に戻った。
「ねぇねぇ、聡さん。もう少ししたら帰るでしょう? 送って行きますよ」
しかし聡介は返事をしてくれない。
「聡さんってば!!」
「……何か言ったか……?」
「だから、一緒に帰りましょうって。どこかで晩ご飯食べて帰りましょうよ? あ、それとも材料買って家で料理しましょうか。僕も昨日の猫ちゃんを見たいし」
「え……?」
「そうしましょう、ね? バ課長から聞いているかもしれませんが、僕からもいろいろご報告したいこともありますし」
すると父は、
「すまないが、1人にしてくれ」
「……何があったんです?」
和泉は聡介の目を覗きこんだ。
話したくなさそうだ。
しばらくの沈黙の後、思いがけない返答があった。
「お前には関係ない」